ただいま特訓中

BACK NEXT 目次へ



 屋敷の扉を開けたのは、先頭に立って走って来たキリルだった。扉を開けるとすぐにエントランスホールで、そこに倒れている葵の姿が目に留まったため、キリルは彼女の元へと駆け寄る。しかし助け起こそうと体に触れた瞬間、キリルもまた悲鳴を上げた。

「ぎゃあああああ!!」

「痛い痛い痛い!!」

 葵に触ったことでキリルは感電し、そこにさらなる雷撃が降ってきたので葵もまた悲鳴を上げる。二発目の雷撃は屋敷のドアを素手で開け、徒歩で屋敷内を移動したキリルに対するペナルティだ。二人に雷撃を加えたのは空中を漂っている雷雲で、それは後から屋敷に進入して来たオリヴァーとマシェルをも捕捉した。エントランスホールで蹲っている葵とキリルに驚いた二人は彼らの傍に寄ってしまい、結果、雷撃を食らうことになったのだった。

「何事や!?」

 エントランスホールでの騒ぎを聞きつけて、二階からクレアが姿を現した。空中を泳いでやって来た彼女はエントランスホールに転がっている数名の屍を見つけて、目を瞬かせながら階段に着地する。おそらくは驚いて、気が緩んでしまったのだろう。足を踏み外したクレアは階段を転げ落ち、それをルール違反とみなした雷雲がエントランスホールに雷撃を落とす。刹那、五人分の悲鳴がエントランスホールで谺した。

「……っ、てぇな!!」

 度重なる雷撃に怒ったキリルは勢い良く体を起こすと、その身に纏っている魔力を暴走させた。キリルの魔力は具現化すると炎に似ていて、その熱が不穏に渦を巻いていた雷雲を吹き飛ばす。雷の素をやっつけたことでキリルは踏ん反り返っていたのだが、その直後、異変は起きた。エントランスホールの空間がぐにゃりと歪み、突然現れた闇がその場の全てを呑み込んだのだ。そして気がつくと、彼らは屋敷の玄関戸の前で佇んでいた。

「な、何!?」

「何やこれ!?」

 突然の異変に驚愕の声を上げたのは、屋敷の住人である葵とクレアだった。彼女達は改装を施された屋敷で魔法の特訓を始めていたのだが、こんな事が起きるなどとは聞かされていなかったのだ。

「アン・エスペース・クペ」

 葵とクレアが動揺していると、どこからか冷静な声が聞こえてきた。声のした方を振り返ってみると、宙に向かって手を伸ばしているオリヴァーの手首から先が消えている。異次元から取り出した分厚い魔法書をめくって転移の呪文を唱えた後、オリヴァーは葵とクレアに視線を移した。

「魔法は使えるけど転移はダメみたいだな」

 オリヴァーが現状を述べた頃にはキリルとマシェルもそれぞれに魔法書を手にしていて、色々と呪文を試している。彼らがあまりにも冷静だったため、彼らよりも事情を把握しているはずの葵達の方がポカンとしてしまった。口を開けたまま動きを止めている葵達をよそに、少年達の分析は続く。

「たぶん、模造世界イミテーション・ワールドだな。ここ」

 そう言ったのは、色々と試した末に魔法書を閉ざしたマシェルだった。彼の口からイミテーション・ワールドという単語が飛び出したので、葵とクレアは無言で顔を見合わせる。オリヴァーとキリルはイミテーション・ワールドを知らないようで、彼らはマシェルに質問をしていた。

模造世界イミテーション・ワールドってのは世界の一部を魔力の殻で隔離して、その隔離した空間に擬似世界を創ったもんだ。この空間の感じ、レイチェル=アロースミスが発表した論文のままだぜ」

 論文が発表されたのが今月のことなのに、誰がこんな世界を創りあげたのか。オリヴァーとキリルの質問に答えた後、マシェルはそんな独白を零した。そこでレイチェルの名前が出て来たことで、葵とクレアはもう一度顔を見合わせる。そして少年達の意識がこの空間に向いているうちに、密談することにした。

「イミテーション・ワールドっちゅーことは、こうなったのもレイチェル様のお考えの内ってことやな?」

「そうみたいだね。だったら、とりあえずは安心?」

「それは分からんで。どうやって出たらええのか分からんさかい、ワケアリ荘の時とは訳が違うわ」

 葵とクレアは以前、レイチェルの教え子であるユアンが創ったイミテーション・ワールドの中に住んでいた。その時は魔法の鍵マジック・キーを使うことで出入りしていたのだが、今回はそのようなアイテムは与えられていない。しかしイミテーション・ワールド内でのことは、擬似世界を創った者に全て筒抜けなのだ。この世界を創ったのがレイチェルなら彼女が『卵』を持っているはずであり、どうにもならなくなったらきっと助けてくれるだろう。葵がそうした考えを述べると、深刻そうな表情を崩したクレアも同意した。

「アオイ、クレア」

 ちょうど話が終わったところでオリヴァーから声がかかったので、少年達から少し離れて密談をしていた葵とクレアは彼らの元へと戻った。魔法に精通している少年達が出した結論は『とりあえず屋敷の中へ行ってみる』というものであり、異論のなかった葵とクレアもそれを承諾する。話がまとまったところで、オリヴァーはマシェルを振り向いた。

「こいつはマシェル=ヴィンス。ウィルの双子の兄弟だ」

 初対面だと思ったらしいオリヴァーがわざわざマシェルを紹介してくれたが、すでに彼が何者なのか知っていた葵とクレアには特に驚きもない。二人の反応が薄いことに、オリヴァーが眉根を寄せた。

「もしかして、初対面じゃないのか?」

 先程からクレアの顔を見つめていたマシェルはオリヴァーの一言で思い出したらしく、ポンと手を打った。その後、彼はクレアの手をがっちりと握る。

「あの時は助かったぜ。ありがとな!」

「助けるいうほど大したことしてへんけどな」

 マシェルとクレアのやり取りをオリヴァーとキリルが訝しげに眺めていたので、葵はトリニスタン魔法学園での出来事を二人に説明した。その間にクレアが自己紹介を済ませると、マシェルの瞳が葵へと向かう。それを見たオリヴァーが、マシェルに葵を紹介した。

「ミヤジマ=アオイ……」

 この世界の者にとって、葵の名前は発音しにくいものであるらしい。そのことを知っていた葵はマシェルが自分の名前を繰り返しても疑問に思わなかったのだが、その直後に起きた異変には仰天してしまった。

「わああああ!!」

「な、何や!?」

 それまで普通に喋っていたマシェルの体から突然血が噴き出したので、葵とクレアは悲鳴を上げて彼から遠ざかった。キリルは瞠目していたが、オリヴァーはこの異常事態に耐性があるらしい。膝を突いたマシェルに駆け寄ると、オリヴァーは彼の体が倒れないように腕で支えた。

「マシェル、大丈夫か?」

「……そういうことかよ」

 左手に巻いていた包帯で首筋からの出血を止めると、低い声で独白を零したマシェルは葵を睨みつけた。謂われのない非難の瞳に出遭った葵が困惑していると、勢い良く立ち上がったマシェルが掴みかかってくる。

「マシェル!?」

「何すんのや!!」

 オリヴァーとクレアから驚きの声が上がる中、彼らよりも先に動いたのがキリルだった。葵の胸倉を掴み上げているマシェルの手を叩き落すと、彼は葵を庇うように二人の間に体を割り込ませる。キリルの体に視界を遮られた葵は何が何だか分からず、呆然と成り行きに身を任せた。

「さわんな」

 どすの利いた低い声で、キリルはマシェルを牽制している。だがマシェルの方にも譲れない事情があるようで、彼は葵に注いでいた鋭い視線をキリルへと向かわせた。一触即発の空気に、オリヴァーが慌てて仲裁に入る。

「二人とも落ち着けよ。マシェル、何がどうしたっていうんだ」

 キリルを睨んでいた目つきのままオリヴァーに視線を移したマシェルは、『ミヤジマ=アオイ』という単語・・が誓約にある禁忌なのだと言った。だから彼が大量出血したのだと理解したのはオリヴァーだけで、事情を知らない者達は眉根を寄せている。マシェルが何故怒っているのかを承知したオリヴァーは、それは勘違いだとマシェルを宥めた。

「アオイはフロンティエールからの留学生で、魔法は使えないんだ。そんなヤツが血の誓約サン・セルマンなんか出来るわけないだろ?」

 フロンティエールとは西の大陸にある国の名で、この国の人間は魔法を使うことが出来ない。その特殊性は広く知られているため、葵の素性を知ったマシェルは険を解いた。しかしまだ疑わしさを消し去ったわけではないらしく、彼は眉根を寄せている。それを見て、オリヴァーは葵を振り返った。

「アオイ、血の誓約サン・セルマンって知ってるか?」

 聞いたこともなかったので、葵はオリヴァーの問いかけに首を振る。そこへクレアが「サン・セルマンって何や?」と説明を求めたことで、マシェルの疑惑は払拭されたようだった。






BACK NEXT 目次へ


Copyright(c) 2012 sadaka all rights reserved. inserted by FC2 system