葵とクレアが暮らしている屋敷が正常な状態に戻ると、お騒がせなマジスター達は帰って行った。転移魔法で姿を消した彼らを見送った葵とクレアは、そのまま魔法陣の脇で立ち話を始める。
「何だったんだろう?」
「よう分からんけど、元に戻ったみたいやからもうええんちゃう?」
あっけらかんとしているクレアが特訓を続けるかと尋ねてきたので、葵は一度アルヴァの元へ行くことを伝えた。こういった『よく分からないこと』は大抵、アルヴァに質問すれば解決する。今回の異変に直接的な関わりがなくても調べてはくれると思うので、葵は彼に報告だけでもしておいた方がいいと思ったのだった。
「了解や。うちは屋敷の方を調べとくわ」
話がまとまったところで葵は魔法陣へ向かおうとしたのだが、刹那、魔法陣が反応してオリヴァーが姿を現す。ついさっき仲間と共に帰ったはずの彼が一人で戻って来たことに、葵とクレアは首を傾げた。
「忘れもんでもしたんか?」
「いや、アオイに話を聞きたくて戻って来た」
「何?」
名指しされた葵が問い返すと、オリヴァーは葵に向き直ってから改めて口火を切る。尋ねられたのはキリルと二人きりになった時のことで、オリヴァーに大丈夫だったかと問われた葵は苦笑を浮かべた。
「ちょっと話しただけで、別に何にもなかったよ」
「そっか。それなら、良かった」
「キリルには謝ってもらえたんか?」
クレアが口を挟んでくると、胸を撫で下ろしていたオリヴァーも「そうそう」と言って話に乗ってきた。聞けば、今日はキリルがノゾキの件を謝るためにやって来たらしい。直接的な謝罪を受けた覚えのない葵は苦笑を浮かべながら首を振った。
「でも、悪いとは思ってたのかな? 私とクレアが試験を受けなくてもいいようにしてくれるとか言ってたよ」
葵がそのことを明かすと、クレアだけでなくオリヴァーも驚いていた。マジスターの間では権力をどう使おうが当たり前のことかと思っていた葵はオリヴァーの過剰な反応に首を傾げる。
「そんなに驚くこと、なの?」
「そりゃ、な……」
オリヴァーが知る限り、キリルが他人のために公爵家の権力を使おうとしたのは初めてのことだったらしい。クレアはそこに自分の名前も挙がったことに驚いていたらしく、しばらくの後、深々と嘆息する。
「キリルにも人情ってもんがあったんやなぁ」
「キルはもともと優しいヤツだったんだよ。ハーヴェイさんがかけてた魔法が解けて、元に戻って来てるのかもしれないな」
ついさっき葵も同じことを思ったばかりだったので、オリヴァーの意見に同調を示した。するとオリヴァーとクレアが、息の合った動作で同時に振り返る。二人から視線を向けられた葵はまずい雰囲気を察したが、その頃にはもうクレアが話を始めていた。
「なんやなんや。キリルのこと、ちょお見直したんか?」
「ぶっちゃけ、アオイ的にキルとどうこうっていうのはアリなのか?」
クレアに続いてオリヴァーまでもが問いを重ねてきたので、苦笑いをする他なかった葵は素直な気持ちを二人に明かした。意外とフツウに付き合える人なのかもしれないとは思ったが、恋愛関係には成り得ない。そう断言してしまっても、オリヴァーもクレアも不気味なほどアッサリと頷いて見せた。
「アオイはキルに色々されたからなぁ」
殴られたり恋路の邪魔をされたり、葵がキリルから受けた仕打ちを挙げればキリがない。オリヴァーはそのほとんどを知っているらしく、彼が零した独白には何とも言えない深みがあった。オリヴァーやクレアは知らないことだが、葵はさらに、アルヴァからキリルとは付き合うなと言い含められている。だからキリルとどうこうなることは絶対に有り得ないし、あってはいけないのだ。
「私、そろそろ行くね」
早々に退散するのが吉だと思った葵はそそくさと別れを告げ、魔法陣へと逃げ込んだ。転移の魔法によってトリニスタン魔法学園アステルダム分校に出現すると、授業中で人気のない校舎を移動して一階の北辺にある保健室を目指す。
「今日はそっちからなんだ?」
この部屋の主であるアルヴァが、廊下側の扉から姿を現すことは珍しい。校内では常に着ている白衣も羽織っていなかったので、葵は外出でもしていたのかと尋ねてみた。するとアルヴァは、今まで葵達が暮らしている屋敷にいたのだという。
「マジスターが帰ったら出て行こうと思ってたんだけど、オリヴァー=バベッジが戻って来たからタイミングを逃した。やっぱり、ここだったんだね」
一人で姿を消した葵を追ってきたらしいアルヴァはそう言うと、きちんと整えられていた着衣をわざわざ乱しながら壁際のデスクへと向かった。指定席であるデスクに腰を落ち着けた後、アルヴァは脚を組みながら「アン・テ」と呪文を唱える。紅茶を勧められた葵はティーカップを受け取って、簡易ベッドの一つに腰を落ち着けた。
「言っとくけど、マジスターが勝手に来たんだからね? 私もクレアもちゃんと特訓してたのに、ジャマされたんだから」
「その件については、僕の方で対策を考えておくよ。軽々しくあの屋敷に来られるのは僕にとっても迷惑だからね」
マジスターと親しくしていたことについて咎められそうだと思った葵は先手を打ったつもりだったのだが、アルヴァは深く追及することをせずに話を終わらせた。どうやら今は咎める気がないようで、彼はさっさと話題を変える。
「試練の館は総合的な力を試すためにレイチェルが用意したものだ。僕が管理してるから心配いらないって、帰ったらクレア=ブルームフィールドにも伝えておいてよ」
「あ、やっぱりそうだったんだ?」
「やっぱりって……気付いていたのか?」
「気付いてたっていうか、マシェルがイミテーション・ワールドだって言ってたから。それなら心配しなくても大丈夫かなって」
葵が説明を終えると、アルヴァは口元に手を当てて考えに沈んでしまった。何が気になったのか分からなかった葵は閉口して、アルヴァが再び口を開くのを待つ。しばらく間を置いた後、アルヴァは葵に視線を戻して口火を切った。
「あの赤髪の少年、やはりマシェル=ヴィンスなのか?」
気になったのは彼のことかと、納得した葵は頷いてから話に応じる。
「そうみたいだよ。自己紹介されたから、間違いないと思う」
「妙、だな」
「うん。マシェルって本校に通ってるはずなのに、おかしいよね」
トリニスタン魔法学園の本校に通っている生徒は、そう滅多なことでは学園の外に出ることが出来ない。だから葵は友人のステラ=カーティスと会えないのであり、ハル=ヒューイットは本校を退学してアステルダム分校に戻って来たのだ。ここにいるということは、マシェルもハルのように本校を退学したのかもしれない。アルヴァと推測を述べ合って仮の結論を導き出したところで、葵はマシェルについてもう一つ疑問に思っていたことを尋ねてみることにした。
「アル、サン・セルマンって知ってる?」
葵が話題を変えると、アルヴァはピクリと眉を動かした後で動きを止めた。しばらくの後、アルヴァに険しい表情を向けられた葵は気圧されして身を引く。訊いたらいけないことだったのかと思った葵が言葉を次がずにいると、少し険を緩めたアルヴァが、それでも硬い声で言葉を紡いだ。
「
「えっと、オリヴァーからだけど……」
「オリヴァー=バベッジか。彼は、どんな風に言っていた?」
「知ってるかって訊かれただけ。知らないって答えたら、じゃあいいって」
「オリヴァー=バベッジは何故、ミヤジマにそんな話を持ちかけたんだ?」
アルヴァの口調は葵に質問しているというより、自らに問いかけているといった感じだった。しかし、何故オリヴァーがサン・セルマンの話題を持ち出したのかには心当たりがあったので、葵はマシェルの身に起こったことをアルヴァに説明する。すると再び、アルヴァは険しい表情になってしまった。
「あんまり、聞かない方がいいこと?」
黙して考えに沈んでしまったアルヴァに声をかけると、彼は我に返ったような様子で葵に視線を移す。そして深く、ゆっくりと頷いて見せた。
「ミヤジマは知らなくていい。それより今は、進級試験のことを考えてくれ」
屋敷は元に戻しておいたからと言い置くと、アルヴァはそれ以上の会話を避けるように背を向ける。アルヴァの背中から強い拒絶を感じた葵も追及しようとはせず、短く別れを告げると『アルヴァの部屋』を後にした。
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