進級試験

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 冬月とうげつ期最初の月である白銀の月の二十九日。その日、丘の上に建つトリニスタン魔法学園アステルダム分校では朝から進級試験が行われていた。進級試験では通常、生徒一人一人が一年間の学びの成果を、教師を相手にして発表する。その形式はレポートの提出だったり実際に魔法を使って見せたりと様々で、教師がそれを認定することで生徒達は次のステップへと進めるのだ。合否はその場で言い渡されるため、自分の試験が終わった生徒は早々に帰宅するのが通例である。しかし今回に限っては、一般の試験が終了した昼過ぎになってもアステルダム分校は活気に満ち溢れていた。その理由は、これから理事長公認の特別な試験が中庭で行われるからである。

 トリニスタン魔法学園の分校では校舎そのものが魔法陣になっていて、五芒星の外側を円で囲んだ形になっている。その形状のため中庭は幾つか存在するのだが、特別試験の会場となっているのは五芒星の中心にある正五角形の部分だ。中庭を臨むことの出来る校舎の廊下には生徒達が鈴生りになっていて、特別試験が始まるのを今か今かと待ち侘びている。開始の合図を待っているのは特別試験に臨む者達も同じことであり、中庭にはすでに四人の女子生徒の姿があった。

「やりにくいなぁ」

 一階から四階までズラッと並んだ生徒の群れを見回しながら、心許ない呟きを零したのは黒髪に同色の瞳といった容貌をしている少女。これから学園への残留をかけて魔法対決をする、宮島葵だ。葵の横にはパートナーとなるクレア=ブルームフィールドの姿もあったが、彼女は衆人環視の状況を物ともしていない。クレアはクラス対抗戦を経験しているため、こんな状況には慣れているのだ。

「雰囲気に呑まれたらあかん。やるだけやったんやから、今も出来ることをするだけや」

 葵とクレアはこの進級試験に向けて集中的な魔法の特訓をした。学園にも登校せずに六日間、スパルタ気味の試練を乗り越えてきたのだ。特訓の総仕上げである『試練の館』をクリアすることは出来なかったが、舞台に立ってしまったからにはやるしかない。いつになく口数が少ないクレアからそうした気迫が伝わってきたため、葵も気を引き締めて対戦相手へと視線を傾けた。

 特別な形式で行われる葵とクレアの進級試験は二対二の魔法対決だ。その相手として選ばれた二人の少女が、葵達の前に佇んでいる。そのうちの一人は見覚えのない顔だったが、一人はクラスメートである。吊り目がきつい印象を与える少女は名をココといい、葵は彼女が対戦相手であることに複雑な思いを抱いていた。


『アステルダムの女子生徒はミヤジマがキリル=エクランドと親しくするのが死ぬほど気に食わないんだよ』


 この特別試験が行われることになった背景をそんな言葉で説明したのは、葵の協力者であるアルヴァ=アロースミスだった。彼が言うには、葵とクレアの退学を求める嘆願書が提出されたのは、マジスターと親しくしている彼女達に対する女子生徒の嫉妬心が生んだ行動だったのだという。何が何でも葵とクレアを追い出したい。この特別試験には女子生徒達のそういった思いが秘められていて、その想いを背負って舞台に立っているのがココ達というわけだ。

 トリニスタン魔法学園に編入した当初、猫をかぶって人付き合いをしていた葵は二年A一組のリーダー格であるココ達と親しくしていた。芸能人をカッコイイと言う感覚で、彼女達とはよく学園のアイドルであるマジスターの話をしたものだ。だから、葵は知っていた。ココが、マジスターの中でも特にキリルを好きでいたことを。

 もともと火種はあった。この対決はある意味、成るべくして成ったものだと言えるだろう。だからこそ、早く決着をつけなければならない。この対決にだけではなく、曖昧で不安定なキリルとの関係にも、だ。そうしなければまた、同じことが繰り返されてしまうだろう。

(アルが正しい)

 キリルに早く、はっきりとした形で引導を渡せと言ったのはアルヴァだが、葵も彼の話を聞いて同じ意見を抱いていた。学園への残留を希望するのなら尚更、マジスターとは距離を置いた方がいい。この対決の行方がどうなるにせよ、葵はこの闘いが終わったらキリルと話をしようと、覚悟を決めていた。






 アステルダム分校の中庭で特別試験が行われる直前、校舎五階の一室に三人の少年が姿を現した。無駄に広い室内を横断して窓辺に寄った彼らは、その部屋から一望出来る中庭へと視線を落とす。その場所では特別試験が行われる予定で、すでに四人の少女の姿があったが、まだ試験は始まっていないようだった。

「間に合ったみたいだな」

 独白を零し、安堵の息を吐いたのはオリヴァー=バベッジだ。オリヴァーの横にはキリル=エクランドの姿もあり、彼は無言で中庭に視線を注いでいる。

「エーメリー卿がいるな」

 オリヴァーとキリルが下方へと視線を注いでいる中で、マシェル=ヴィンスの視線だけが前を向いていた。彼の視線を辿ってみれば、三人がいる部屋のちょうど向かいにアステルダム分校の理事長である、ロバート=エーメリーの姿が見える。

「理事長が見に来てるのか……」

 マシェルの呟きにつられて中庭から視線を移したオリヴァーは、その意味を思案して眉根を寄せた。しかしすぐに、別のことが気になって隣にいるキリルを振り向く。

「何だよ」

 視線を感じて顔を傾けてきたキリルは眉をひそめてはいたが、彼の顔には訝しさ以外の感情は表れていなかった。以前はロバートを「ぶっ飛ばす」と公言していた彼だが、もう理事長への関心は失っているようだ。それならば蒸し返すこともないと思い、オリヴァーは別の話題を口にした。

「ウィルもどこかで見てるかもな」

 マシェルの双子の兄弟であるウィル=ヴィンスは、オリヴァーやキリルと同じくアステルダム分校のマジスターだ。マシェルが現れてからは一度も学園に姿を見せていないが、こうした催し物はいい退屈しのぎになるので、彼もどこかで見物しているかもしれない。そうしたオリヴァーの何気ない呟きは、マシェルによって即刻否定されてしまった。

「それはないな」

「どういう意味だ?」

「少なくとも今、この学園にはいないと思うぜ」

 魔力を見ることが出来る者にとっては、ある程度相手との距離が離れていたとしても、その人物が近くにいることを感知することが出来る。時と場合によって感知出来る範囲は異なるのだが、それにしても『学園内』という範囲は広すぎる。それなのにマシェルの口調が断定的だったので、オリヴァーはその根拠を尋ねてみた。すると彼は、なんとなく分かるのだと言う。

「なんとなく、ねぇ」

 そういえばウィルも、なんとなく嫌な予感がすると言ってマシェルが現れる前に姿を消した。双子というのは、そういうものなのだろうか。オリヴァーがそんな思いを込めてマシェルを見ると、彼は苦笑いを浮かべた。

「分かりたくもねぇけどな。こういう時はその感覚が便利だ」

 マシェルは便利だと言うが、そのわりには、ウィルを探し出すという彼の目的は未だ達せられていない。マシェルに分かるということはウィルにも分かるということであり、鉢合わせにならないよう敬遠しているのだろう。ウィルがそこまでしてマシェルを避ける理由は、ただ仲が悪いからというだけなのだろうか。ウィルとこれほど長く会わないことなど初めてで、当初は懐疑的だったオリヴァーも最近では、マシェルの言い分が真実なのではないかと不安に思い始めていた。

「キリルくらいダダ漏れだといいよな。探す必要なくて」

 マシェルが軽い口調で揶揄したので、中庭に視線を落としていたキリルがムッとした表情で顔を傾けた。

「どういう意味だ」

「ってかさ、そんなに魔力垂れ流してて疲れないのか?」

 体から流れ出て世界に還ってしまう魔力がもったいないと、からかい口調を改めたマシェルは真顔で言う。今まで考えもしなかったことのようで、キリルは眉根を寄せて首をひねっていた。

「ま、それはいいや。それより、あの話はちゃんと覚えてるだろうな?」

 マシェルが話題を変えるとキリルは頷いていたが、オリヴァーには何の話だか分からなかった。しかし尋ねてみても、笑顔のマシェルとなにやら小難しい表情をしているキリルにあっさりと流されてしまう。そうこうしているうちに中庭で動きがあったので、三人の意識はそちらに向かった。






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