進級試験

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 立会人だというグレーのローブを纏った教師が中庭に姿を現すと、全校生徒の注目を集めている特別試験は開始となった。立ち上がり早々、空から大量の雪が雪崩れのように落ちてきたので、葵とクレアは自分達の周りに炎を巡らせてそれを防ぐ。二人の力では全ての雪を融かしきることは出来なかったが、攻撃を凌ぐには十分だった。やがて雪が止んで葵とクレアが無事な姿を覗かせると、対戦相手の少女達は驚いたように目を瞠った。葵とクレアを侮っている彼女達は、あの一撃で勝負は決まったと思っていたのだろう。

「さぁて、ここからやな」

 血気盛んなクレアは雪が舞う寒さの中で腕まくりをし、葵に目で合図を送った。どうやって攻撃に転じるかはすでに打ち合わせ済みであり、葵も無言で頷く。

 クレアが風の魔法を使って大きく跳躍したので、葵はすかさず追い風を送った。自身の魔法で身を護り、葵が送った風で前へ進んでいるクレアは、あっという間に対戦相手との距離を縮める。近付いて来た相手に対し、ココ達が呪文を唱え始めたのが見えたので、そのタイミングを狙っていた葵は先程降り注いできた雪を風の魔法で舞わせる。クレアは迷わず突っ込んで行ったが、その先は雪煙に閉ざされているので、奇襲が成功したのかどうかは分からなかった。

 葵やクレア、それに対戦相手である少女達の頭上には、それぞれ色の異なる水晶球が浮いている。特別試験のルールはただ一つで、これを魔法で壊した方が勝者となるのだ。このルールは非公式で行われたクラス対抗戦に似ていて、そこからクレアが何パターンかの作戦を考え出した。その一つがクレアの軽い身のこなしを利用した『奇襲』である。クラス対抗戦の時はこの要領でクレアが勝利していたが、さすがに二度目となると相手も用心していたようだ。雪煙の中から叩き出されたクレアが斜め上方に飛ばされていくのを目にして、葵はそう察した。

「クレア!」

 校舎の壁に激突しそうな勢いで飛んで行ったクレアに目を奪われていた葵は、そちらへ行こうとしてハッとした。重たい雲のように立ち込めている雪煙の中から、何かが飛び出してきたのだ。それは魔法ではなく人間で、さらには葵の知った顔だった。

 クレアが先程そうしていたように、風に乗って突っ込んで来たココは手に氷の剣を持っていて、それを大上段から振り下ろしてきた。スライディングするような形で、間一髪で剣を避けた葵は雪にまみれながら慌てて体を起こす。それから改めて、ゾッとした。

(こ、怖っ……)

 確かに、破壊対象である水晶球は葵の頭上に浮いている。しかしココの勢いは、水晶球もろとも葵を真っ二つにしてやるという気迫のこもったものだった。葵の疑いを裏付けるかのように、氷の剣を構えなおしたココが殺気を漂わせた面を向けてくる。

「あなたのこと、初めから気に入りませんでしたの」

「そ、そう」

 想像以上に、ココは本気だ。そう実感した葵は顔を引きつらせ、じりじりと後退する。ココはその場を動かずに、話を続けた。

「トリニスタン魔法学園はあなたのような人には分不相応ですわ。フロンティエールにお帰りなさい」

「上や!!」

 対峙しているココばかりに気をとられていた葵は、クレアの声で我に返った。反射的に顔を上向かせると、目に入ったのは視界を覆わんばかりのツララの群れ。いつの間にか上空に発生していたそれが雨のように降り注いできたので、葵は焦って呪文を唱えようとした。だが、間に合わない。

(火、火、火ぃ!!)

 頭部を庇って縮こまっていると、いつまで経っても衝撃は降ってこなかった。おそるおそる顔を上げて目にした光景に、驚いた葵は目を瞠る。呪文を唱えていないのに、葵の周囲では紅蓮の炎が燃え盛っていた。

「ぎゃあ!!」

 不意に火中から黒い影が飛び出してきたので、ただでさえ驚いていた葵は仰天してしまった。その拍子にしゃがみこんでいた体勢も崩れ、地面と接触した葵は泣きそうになりながら体を起こす。すると、近くにトカゲのような生物がいるのが目に留まった。

 炭のように真っ黒な体色をしているトカゲは瞳が金色で、わずかに開いた口からは鋭い歯と炎が見えていた。火とトカゲという単語を頭の中で組み合わせた葵は、このトカゲの正体に見当がついて目を見開く。

(う、うわぁ。サラマンダーだ)

 おそらくは葵が、あまりにも「火」と念じすぎたために彼は姿を現してくれたのだろう。葵の内部なかにある精霊王の力に惹かれているのか、サラマンダーは擦り寄ってきた。おそろしげな外見とは裏腹の愛らしさに、葵は頬を緩ませる。

「助けてくれて、ありがとう」

 サラマンダーの小ぶりな頭を指で撫でながら礼を言ったところで、葵はハッとした。周囲は紅蓮の炎で囲まれているので、この光景を誰かに見られてはいないだろうが、今は試験の最中なのだ。全校生徒が注目している中で、精霊王の力の片鱗を見せ付けてしまうのは非常にまずい。そう思った葵はサラマンダーに頼んで火を消してもらった。

 葵が炎の囲いから抜け出すと、意外なことに試合は続行中だった。どうやら呆けている間は『火の魔法で防御』していると見なされて、対戦相手から捨て置かれたようだ。その分、クレアが二対一の不利な戦いを強いられている。葵が慌てて助けに入ろうとすると、クレアの方で気がついてこちらへやって来た。

「あかん。うち、もう疲れたわ」

 疲弊した様子のクレアが珍しく弱音を吐いたのと、対戦相手から攻撃を仕掛けられたのが同時だった。消防の放水のように向かってくる大量の水に対し、葵は火の魔法を脳裏に思い浮かべた。すると葵の肩に乗っているサラマンダーが火を吐き、再び周囲を炎で覆うことで護ってくれた。

「今……何したんや?」

 呪文を唱えようとしていたのはクレアも同じことで、彼女は葵が呪文も唱えずに魔法を使ったことを訝っているようだった。肩口のサラマンダーに触れないところをみると、クレアには見えないらしい。

「あのね、ここに火の精霊がいるの」

 クレアにそう説明を加えたところ、サラマンダーから抗議の声が上がった。それは魔法生物が人間とコミュニケーションを取る時に似ていて、人語ではないのだがサラマンダーの思いは伝わってくる。

「え? 火じゃなくて炎?」

 何が違うのかと眉根を寄せた葵がサラマンダーに問いかけると、クレアは奇妙そうなまなざしで『二人』の会話を眺めていた。

「……そろそろ、ええか?」

 少し間を置いてクレアが遠慮がちに口を挟んできたので、葵はサラマンダーとの会話を切り上げることにした。クレアは葵の肩口に目を注ぎながら言葉を重ねる。

「とにかく、そこに精霊がおるんやな?」

「うん。この炎、精霊が出してくれてるんだよ」

「えらいこっちゃ」

 葵には何が『えらいこと』なのか分からなかったのだが、クレアは見えていない精霊に向かって何度も頭を下げた。ひとしきり感謝の意を伝えると、クレアは改めて葵に目を移す。

「で、おたくは何で精霊が見えるんや?」

「ああ……それは、後で説明する。とりあえず今は、この試験を終わらせようよ」

 先程から炎の壁に、種類の異なった魔法が幾度もぶつけられてきている。が、そのどれもが精霊の力には適わずに退けられていた。この障壁内にいる限りは安全だが、いつまでも立ち話をしている場合でもない。葵はそう思ったのだが、クレアは何故か苦笑いを浮かべて見せた。

「あのなぁ、おたくがおらん時にうち、ココの水晶球を割ろうとしたんよ」

 葵が炎の中に消えたことで、ココ達は呆気に取られていた。その隙を狙って奇襲をかけたクレアは、ココの頭上で輝いている水晶球めがけて魔法を放ったらしい。それは周囲の雪を氷に変えて水晶球を破壊するという企みだったようなのだが、両者がぶつかって砕け散ったのはクレアの魔法の方だったのだという。それが何を意味するのか分からなかった葵が眉根を寄せると、クレアは重いため息をついてから補足した。

「つまりな、うちらの魔法では遠距離から水晶球を割るのは難しいっちゅーことや」

 ココ達との間には、それだけの力の差がある。クレアがはっきりとそう言ったので、葵は困惑してしまった。

「じゃあ、どうすればいいの?」

「せやなぁ。例えばの話やけど、拳に体中の魔力を集中させて、そこに炎やら風やらを纏わせて水晶球に直接叩きつければ割れる……かもしれんな」

 そこまでやっても『かもしれない』なのかと、クレアの無茶な例え話を聞いた葵は返す言葉に詰まって閉口した。






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