「うちらの力だけでは無理やけど、精霊の力を借りられるんやったら楽勝やと思うで?」
しばらくの沈黙の後にクレアが持ちかけてきた話に、何か妙案はないかと考えを巡らせていた葵はギョッとした。確かに、今は防御に徹している精霊の力を攻撃に転じれば、この試合には楽に勝てるだろう。それはココ達の攻撃が先程からまったく利いていないことからも明らかだ。しかし精霊の力を大っぴらに借りてしまった場合、問題は試合終了後に起こる。
「それはダメ」
葵に精霊が『見える』ということは幾つもの懸念が複雑に絡み合う、非常にデリケートな問題なのだ。故に、そこに他人の目が向いてしまうような行動は極力避けなければならない。クレアにもそれは分かっているようで、彼女はあっさりと葵の意見に同調した。どうやら、可能性の一つとして言ってみただけということらしい。
「それやったら、どないする? 正直なところ、うちはもうこの学園に未練はない」
「……え?」
クレアが思わぬことを言い出したので、葵は目を丸くしながら彼女を振り向いた。真顔のままでいるクレアは冗談を言っているわけではないらしく、淡々と話を続ける。
「王立の名門校やって話やったから入学させてもろうたけど、授業とかもそないに大したことやってるわけやあらへんからな。ユ……主の傍におった方が学ぶべきことは多いわ」
魔法を自在に使えるようになりたかったので特訓はしたが、初めから試験の結果はどうでも良かったのだとクレアは言う。この局面での衝撃的な告白に、なかなか理解が追いつかなかった葵は眉根を寄せて空を仰いだ。
「えっと、それってつまり……」
「わざと負けるんもアリっちゅーことやな」
わざと、負ける。クレアが放ったその一言が、葵の胸に波紋を広げた。
(未練……)
クレアはないと断言したが、自分はどうだろう。そう考えてみた時、アステルダム分校で過ごした時間が走馬灯のように脳裏をよぎっていった。それは圧倒的に嫌なことが多かったが、中には学園に通っていて良かったと思えるような出来事もある。
(確かに、学校を辞めればイヤなことも少なくなるけど)
葵が頭を悩ませる問題の多くはトリニスタン魔法学園で発生して、トリニスタン魔法学園で完結する。その悪循環を止めるためには退学という手段をとるのが手っ取り早いが、それは同時にハプニング続きの日々が終焉を迎えるということにもなる。
(色々、あったな)
時として、平穏は心の害毒になることもある。今は味方となってくれる人が傍にいるからいいが、トリニスタン魔法学園に編入した当初、葵は限りなく孤独に近い状態だった。当時は『学園へ通わなければならない』ということに不満ばかり感じていたが、今思い返してみると、その
「アオイはどないする?」
クレアが最終確認をするように尋ねてきたので、葵はスッキリした笑みを浮かべた。
「私はやるだけやってみるよ。せっかく特訓したのに途中で投げ出すのはもったいないし、ココに大人しく負けるのも悔しいじゃん?」
悔しいと感じる理由がおかしかったらしく、葵の意見を聞いたクレアは吹き出した。
「ココに勝ち誇った顔されるんは確かに悔しいわ! こうなったら最後までやったろーやないか!」
「あれ? 付き合ってくれるの?」
「当たり前や! 気合い入れて行くで!」
クレアの『気合い』がこもった平手が背中に飛んできて、葵は痛みに歪めた顔で同時に笑みを浮かべた。
その後、簡単な作戦会議をした結果、葵とクレアは小細工なしの一発勝負に打って出ることにした。狙いをココだけに絞り、先程クレアが提案した無茶な方法で、水晶球を割ってしまおうというのである。勝利の確率は万が一。それでも葵とクレアは、顔を見合わせて笑い合った。
「力を貸してくれてありがとう。後は私達だけでやるから」
肩口にいたサラマンダーを掌の上に移動させてから話しかけると、黒いトカゲは燃え盛る炎の中に姿を消した。その影が見えなくなると、葵とクレアの周囲にそそり立っていた炎の障壁が一瞬で消え去る。攻撃の手を休めて様子を窺っていたらしい対戦相手達が身構えたのを瞳に映した刹那、葵とクレアはココに向かって走り出した。しかし息の合った動作が裏目に出て、集中攻撃を警戒したココはパートナーの元へと戻ってしまう。こうなってしまうと突っ込んで行くのは不利なので、葵は慌てて足を止めた。
「こっちや!」
背後から声がかかったため、葵はとにかくクレアの言う通りに行動した。方向転換して走り出した先には立会人である教師の姿があって、その教師は自分の元へと疾走してくる葵とクレアに困惑を露わにしている。しかし戸惑っていたのは一瞬のことで、攻撃の気配を察した教師は反射的に
「卑劣ですわ!」
「立会人を盾にしたらあかんなんてルールは聞いてないで? 難癖つけるんはやめてもらえますかぁ?」
「難癖ではありません! 一般常識というものですわ!」
「うち、田舎者やさかい。この国の一般常識なんて知らんなぁ」
「なんて憎たらしいの!」
「うちをとっちめたいなら、そんな所におらんとかかって来たらええやん。いつでも相手になったるで?」
「今や!」
クレアの叫び声に導かれ、彼女と同じように手に魔力を集中させた葵は呆気にとられているココの水晶球を拳で叩き割った。ゴツッという鈍い音が中庭に響いて、葵が拳に纏わせていた風の残滓が、粉々に砕けた破片を散乱させる。その瞬間は誰もが動きを止めていて、中庭には異様な静けさが漂っていた。
「や……やった!」
しばらく呆けた後、次第に歓喜を感じ始めた葵は笑顔でクレアを振り向いた。その直後、頭上でゴトッという鈍い音がする。同じ現象はクレアの頭上でも起こっていて、葵とクレアはそれぞれに、自身の足元に転がった水晶球に視線を落とした。
「わたくし達の勝ち、ですわね」
冷静にそう言ってのけたのは、ココのパートナーである少女だった。自身の水晶球を割られて茫然としていたココも、息を吹き返したように胸を反らす。対戦相手達は勝ち誇った笑みを浮かべていたが、もう結果などどうでも良くなっていた葵とクレアは顔を見合わせた後、同時に吹き出した。
「アホ、気ぃ抜きすぎや」
「そんなこと言われても。クレアだって割られちゃってるじゃん」
試合後の程よい興奮と一糸報いてやったという達成感が相俟って、今はお互いの何でもない一言すらおかしい。そうしていつまでも笑っている葵とクレアを、対戦相手である少女達が薄気味悪いと言わんばかりの顔つきで眺めていた。
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