オロール城の夜

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 トリニスタン魔法学園アステルダム分校を後にして屋敷に戻った宮島葵は、何気なく扉に手を伸ばしたところでピタリと動きを止めた。そこで躊躇してしまったのは、魔法の特訓場と化していた屋敷が元に戻っているか分からなかったからだ。ペナルティを食らうのは嫌なので、葵は念のため扉を開ける呪文を唱えようとした。しかし葵が口を開く前に扉は内側から開かれ、何かが突っ込んで来る。その勢いに押されて尻餅をついた葵は、体に覆いかぶさっているモノの正体を知ると目を瞬かせた。

「ユアン」

「おかえり。試験合格、おめでとう!」

 葵を驚かせておきながら無邪気な笑みを浮かべている少年の名は、ユアン=S=フロックハートという。彼の後ろからユアンの家庭教師であるレイチェル=アロースミスと、この屋敷で共に暮らしているクレア=ブルームフィールドが揃って姿を現したので、葵はまた瞬きを繰り返した。

「ユアン様、アオイが困っています」

「あ、ごめん。嬉しくて、つい」

 レイチェルにたしなめられたユアンは葵の上から体を退けると、手を差し出してきた。ユアンに手を貸してもらって立ち上がった葵は、そこで改めて疑問を口にする。

「どうしたの?」

 ユアンとレイチェルは非常に多忙な人達で、二人揃って姿を現すことは滅多にない。そんな彼らが自分達を労うためにわざわざ来てくれたのだと聞き、胸が温かくなった葵は頬を緩ませる。葵が笑んだので、ユアンもつられるようにして破顔した。

「本当はパーティーでもと思ってたんだけど、友達と約束があるんだってね」

「あ、うん……」

 葵はせっかく来てくれたユアンとレイチェルに悪いという気持ちになったのだが、ユアンはむしろ嬉しそうに微笑んでいた。どうやら彼は、葵とクレアに学園で友達ができたことを純粋に喜んでいるようだ。現実はそれとは少し違うのだが、説明を加えると厄介なことになりそうだったため、葵は苦笑いを浮かべるに留めておいた。

「ユアン様、そろそろお暇しましょう」

「そうだね」

 レイチェルが声を掛けると、ユアンは葵とクレアにそれぞれ別れを告げてから魔法陣へ向かった。レイチェルは屋敷を元に戻したことを言い置いてからユアンの後を追う。二人の姿が魔法陣の上から消えると、葵はクレアを振り返った。すでに私服に着替えている彼女の肩口にはワニに似た魔法生物の姿があり、久しぶりに彼を見た葵は傍へ寄りながら声をかける。

「おかえり、マト」

「ただいま、やて」

 マトは人語を理解しているが直接的に話すことは出来ないので、クレアが彼の気持ちを代弁した。ただいまの一言がなんだか無性に心を揺さぶって、葵ははにかんだ笑みをマトに向ける。マトは表情を変えることはないが葵の気持ちは汲んでくれたようで、二人の間には和やかな雰囲気が漂った。

「クレアはもう、いつでも行けるの?」

「うちは準備オッケーや。アオイもはよ支度しぃ。あんまり待たせると遅いって怒られるかもしれへんで」

 誰にとは言われずとも、葵の脳裏にはキリル=エクランドの姿が浮かんでいた。今夜、彼とは真面目な話をしなければならない。その前に機嫌を損ねてしまうのは得策ではないため、葵はクレアの助言に従って足早に自室へと戻った。

(なに着て行こう)

 葵の私物は高等学校の制服だけだが、この部屋のクローゼットには様々な洋服が収納されている。これから赴く場所は城なので、自然とドレスに手が伸びた。しかし、あまり気合いを入れて着飾るのもどうかと思い、口元に手を引き寄せた葵は眉根を寄せる。

(クレアは普段着っぽかったよね。なら、私もフツウでいいか)

 もっとも、クレアの『普段着』は露出が多く、かなり派手で見栄えがするものなのだが。そんな彼女に合わせるとなると自然と露出度の高い服を選ばなければならなくなり、葵の手は宙を彷徨った。その結果、考えるのが面倒になってしまった葵はいつもの洋服・・・・・・に手を伸ばす。結局、白いワイシャツにチェックのミニスカートといった出で立ちで戻って来た葵を見て、クレアは首を傾げた。

「おたく、それ好きやなぁ」

「元の世界にいた時は毎日着てたから。なんとなく落ち着くんだよね」

「なるほどなぁ」

 クレアが深々と頷いているので、首を傾げた葵はその理由を尋ねてみた。するとクレアは、葵の使用人として働いていた時のことを話し始める。あの当時、葵が何故その服装にこだわるのか疑問に思っていたのだそうだ。クレアの胸中を知って、葵も彼女の頷きに納得した。

「なんか、こういう話ができるのって嬉しい」

「苦労してきたんやな。せやけど、マジスターの前でポロッと零してしまわんよう、今夜は気ぃ引き締めや」

「あ、そっか。そうだね」

 話が一段落すると、クレアはマシェル=ヴィンスから渡された白いカードを片手に、屋敷の外にある転移用の魔法陣へと向かった。クレアに諭された葵は気を引き締めながら、彼女の後を追う。葵が魔法陣の上に乗ったのを確認すると、クレアはカードに封じられている魔法陣を解放してから転移の呪文を唱えた。

 転移が完了して目の当たりにした光景に、葵とクレアは同時に息を呑んだ。そこは広大な雪原で、暮れかけの蒼の世界に旧い佇まいの城が浮かび上がっている。その古城を風景の中で際立たせているのは真っ白な雪ではなく、空から降り注ぐ豊かな光だった。

「うわぁ……」

 暮れなずむ空で揺蕩たゆたうオーロラの美しさに、葵は感嘆の息を零した。写真や動画などで見たことはあったが、実際のオーロラを目にするのはこれが初めてだ。それはクレアも同じだったらしく、ポカンと口を開けている彼女は空を見つめたまま呆けている。

 ふと、それまで瞬きもせずにオーロラを見つめていたクレアが顔を動かした。その変化を視界の隅で捉えた葵は、クレアが見ている方へ顔を傾けてみる。そこで目にしたものに、驚いた葵は瞠目した。

(ペガサスだぁ)

 古城の方から空を渡って来たペガサスは、上半分がガラス張りになっている車を引いていた。ペガサスの馬車を御しているのは、メイド服姿の少女。葵達の前で馬車を止めた少女はペガサスから降りると、恭しく一礼して見せた。

「いらっしゃいませ。城へ向かいますので、お乗り下さい」

 少女が扉を開けて促すので、葵とクレアは馬車に乗り込んだ。音も立てずに扉を閉めると、メイド自身は直接ペガサスに跨る。彼女が手綱を引くと、ペガサスは上昇を始めた。

 ペガサスの引く車は上半分がガラス張りになっているので、周囲がよく見えた。古城までの空の旅は光のカーテンの中を進むもので、目に映る光景は何もかもがファンタジックだ。その気分は古城の中に案内されてからも薄れることがなく、葵は窓から見えるオーロラを仰ぎながら嘆息した。

「はあ……夢みたい」

「珍しくテンション高いやないか」

「だって、ステキなんだもん。クレアだって珍しくキョロキョロしてるじゃん」

「そら、実際珍しいさかい、しゃーないやん」

 クレアとそんな会話をしながら城内を歩いていると、前方から誰かがやって来た。人の気配を察して顔を傾けた葵は、そこにいる人物を目にすると笑みを収める。栗色の短髪にブラウンの瞳といった容貌をしている彼の名は、ハル=ヒューイット。ハルはこの場にいてもおかしくない人物なのだが、彼が来ていることを想定していなかった葵は不意を突かれて動揺してしまった。

「ハルやないか。久しぶりやな」

 ハルに気がついたクレアはすぐ、気安く声をかけながら近寄って行った。口数は少なかったがハルの方にも、クレアを疎んでいるような様子は見られない。まるで何事もなかったかのように会話を成立させている二人を、葵は純粋に「すごい」と思った。

(私は……どうしよう)

 葵はハルに、傍にいると辛いとまで言われてしまっている。だから近付かない方がお互いのためなのだが、同じ場所にいる以上は極端に避けるような態度も望ましくないだろう。しかし葵が平静を装ってみても、それをハルに拒まれてしまっては意味がない。そうなるとやはり、話しかけない方がいいのだろうか。

(ううん……)

 葵が一人で悶々としている間に、ハルがこちらを向いた。意識しすぎてしまった葵は硬直したのだが、ハルはクレアに接していたのと同じ調子で淡々と言葉を発する。

「キルが待ちくたびれてた」

 それだけを言うとハルは葵の横を通り過ぎ、城の正面玄関の方へと向かって行った。どこへ行くのかとクレアが問いかけると、ハルは「外に行ってくる」と答えて姿を消す。クレアが呆れた顔になりながら「マイペースなヤツやな」と独白を零したので、葵はやや引きつり気味の苦笑いを浮かべた。






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