オロール城の夜

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 オーロラを見ながら湯に浸かるという贅沢なバスタイムの後には、映画さながらの晩餐が待っていた。テーブルマナーを知らない葵はクレアに助けられながら何とか食事を終え、食後の紅茶を片手にホッと息をつく。

(みんな、貴族なんだなぁ)

 普段は粗暴な振る舞いをするキリルなども食事の席ではひどく上品で、葵は改めて自分が場違いな集団の中に身を置いているのだと実感していた。けれどそれも、今夜で終わる。そう思うと安心するような少し残念なような、複雑な気分だ。

(とにかく、キリルと話さないと)

 葵が慰労会をやろうという誘いに乗ったのは、キリルときちんと話をする機会を作るためだった。そろそろ目的を果たそうと思った葵が視線を泳がせると、キリルに行き着く前にマシェルの姿が視界に入り込んでくる。

「ちょっといいか?」

 何か話があるような雰囲気だったので、葵はすぐに了承した。するとマシェルは手近なテーブルに紅茶を置き、仕種で食堂を出ようと促してくる。ここで話を聞くだけで済むものだと思っていた葵は驚いて、目を瞬かせた。

「うちも行ってええか?」

 葵の動揺を察したクレアが助け船を出したが、マシェルは葵と二人で話がしたいのだと言って断ってきた。クレアが「どうする?」と言うように視線を傾けてきたので、葵はまだ少し動揺を残しつつも席を立つ。

「行ってくるね」

「何かあったら大声出すんやで?」

 クレアが真面目な顔をして言うので、失礼なことを言われたマシェルは苦笑していた。その表情を見て、この人は大丈夫そうだと思った葵も、マシェルにつられて苦笑いを浮かべる。オリヴァーやキリルは動向に注目していたが制止の声は上げなかったので、葵はマシェルと二人で食堂を後にした。

 しばらく廊下を歩いた末、マシェルは扉を開けて室内に進入して行った。そこは二部屋続きのゲストルームで、奥の部屋にはキングサイズのベッドが一つ置いてある。しかしそこまでは行かず、マシェルは手前の部屋のテーブルセットで腰を落ち着けた。

「ここ、マシェルが泊まる部屋?」

 勧められて椅子に腰かけた葵はマシェルのことを『手馴れた様子の宿泊客』だと思ったのだが、ここは彼が寝泊りする部屋というわけではないらしい。よくよく話を聞いてみると古城を丸ごと借り切っているようで、誰がどの部屋で寝ようが構わないのだという。スケールの大きさに発想の方が追いつかず、葵は感嘆のため息をつくばかりだった。そんな葵の様子に、マシェルの方は不思議そうな表情を浮かべる。

「お嬢の家はあんまり裕福じゃないのか?」

 質問の内容よりも、葵は『お嬢』という久しぶりの呼ばれ方の方が気になった。そのせいで空返事をすると、気に障ったと捉えたらしいマシェルが謝ってくる。葵は慌てて誤解を解こうとしたのだが、その過程で『お嬢』という呼ばれ方が複雑な気持ちになるのだと明かすと、マシェルは苦笑いを浮かべた。

「他に呼び様がないんだぜ? そのくらい勘弁しろよ」

「あ、そっか。私の名前、呼べないんだっけ」

 マシェルが『ミヤジマ=アオイ』という単語を口にすると、彼の体からは大量の血液が噴き出してしまうのだ。そのことを思い出した葵は何故自分だけが呼び出されたのか、その理由を察した。

「話って、もしかしてそのこと?」

「一度、ちゃんと聞いておこうと思ってな」

 マシェルが肯定したので、一度は緊張を解いていた葵は、別の意味で緊張し直した。ここからの問答には細心の注意を払う必要がある。葵のそうした気構えが伝播したようで、マシェルも真顔に戻ってから話を進めた。

「オリヴァーの話ではあんた、フロンティエールからの留学生ってことだったよな? あの国の人間は魔法を使えないっていうのが周知の事実だが、昼間、あんたは魔法を使って見せた」

「うん。魔法はね、使えるんだ」

 マシェルの言うように、確かにフロンティエールの人間は魔法を使うことが出来ない。しかしそれは、フロンティエールという国の内部では魔法を使えないということであって、国外に出れば、フロンティエールの人間にも魔法を使うことが可能なのだ。葵の場合はさらに、他人の魔力を借りて魔法を使っている。そうした説明を、マシェルは興味深そうな面持ちで聞いていた。

「なるほどな。昼間見せた魔法は完全な実力じゃないってことか」

 何か思い当たる節があったようで、マシェルは深々と頷いている。彼に聞かせた話自体は概ね真実だったものの、一部には嘘も混じっていたため、葵はマシェルが納得してくれたことにホッとした。

「試験に向けて特訓はしたけど、サン・セルマンっていうもののことは本当に知らなかった。っていうか、今もよく分かってないんだけど」

「あの時は疑って悪かったな。今はもう、お嬢がウソついてないってことは分かってる。でもな、あんたが無関係とも考えられない」

 嘘をついていないと認められて一度は安堵したものの、その後に続いたマシェルの言葉は厳しいものだった。再び体を硬くした葵は眉根を寄せ、マシェルの真意に考えを巡らせる。葵から探るような視線を向けられたマシェルは緊張を解そうとするかのように、ふっと笑みを浮かべて見せた。

「たぶん、あんた自身は知らないところで何かが起きてるんだ。血の誓約サン・セルマンに名を連ねるなんて尋常じゃない。気をつけた方がいいぜ」

 マシェルの言葉からは純粋な気遣いが感じられて、意外に思った葵は瞬きを繰り返した。

(もしかして心配、してくれてるのかな)

 マシェルとは知り合って間もないうえに、二人きりで話をするのもこれが初めてのことだ。しかも葵には、疑われても仕方のない要素が山ほどある。それなのに彼は自分を信じてくれて、なおかつ心配までしてくれている。その大らかさに葵が純粋な感動を覚えていると、マシェルは葵の反応が理解出来ないといった風に眉根を寄せた。

「何だ? ひとの顔をじっと見て」

「いやぁ……マシェルっていい人だなぁと思って」

 葵がしみじみとした呟きを零すと、マシェルは目を瞬かせた後に小さく吹き出した。何故そこで笑われたのか分からなかった葵は首を傾げる。

「私、何か変なこと言った?」

「いや。あんた、素直ないいヤツだな」

「やめてよ。なんか、照れる」

 褒められることに慣れていない葵が顔を赤くすると、マシェルは笑いながら席を立った。皆の元へ戻るのだと思った葵が後に続こうとすると、マシェルは手で彼女の動きを制す。ここで少し待っていろと言われたので、葵は首を傾げながらも椅子に座り直した。

「とりあえず、何か心当たりがあったら些細なことでもいいから教えてくれ」

 最後にそう言い置くと、マシェルは一人で部屋を後にした。実は心当たりがないこともなかった葵は、マシェルの言葉を胸中で繰り返しながら空を仰ぐ。

 サン・セルマンという単語を初めて耳にした日、葵はアルヴァ=アロースミスにそれがどういうものなのかを問いかけてみた。その時にアルヴァが、明らかな過剰反応を見せていたのだ。だからといって、アルヴァがマシェルの件に関わっているとは限らない。しかし彼は確実に何かを知っていて、それを故意に隠そうとしている。

(アル、一体何してるんだろう……)

 アルヴァはいつも、薄暗い部屋にこもって一人で何かをしている。その後ろ姿を思い浮かべた葵はアルヴァに拒絶されてしまった寂しさと、マシェルに彼のことを話せない罪悪感から、複雑な思いでため息を吐き出した。






 マシェルが葵と共に姿を消してからしばらくすると、ハルもフラリとどこかへ行ってしまった。今現在、集っているのはオリヴァー・キリル・クレアの三人である。キリルはむっつりとしたまま口を開かなかったので、オリヴァーは主にクレアからの問いかけに答えていた。質問の内容はやはり、葵を連れ去ったマシェルのことだ。葵とマシェルは以前に一悶着あった間柄なので、クレアはそのことを心配しているのだろう。

「そんなに心配しなくても大丈夫だって。な、キル?」

 マシェルの人格に問題がないことを説明した後、オリヴァーは同意を求めてキリルを振り返った。するとキリルもすぐに頷いて見せたので、クレアが意外そうな面持ちになる。

「そういえばおたく、止めんかったな。いつもやったらアオイが男とおるってだけで大騒ぎしよるのに」

「……どういう意味だ」

 ストレートすぎるクレアの一言にキリルが顔色を変えたので、彼の怒りを察したオリヴァーは慌てて宥めにかかった。そうこうしているうちにマシェルが戻って来たので、オリヴァーはホッと息を吐く。しかしすぐに、眉根を寄せることとなった。

「アオイは一緒じゃないのか?」

「ちょっとな」

 オリヴァーからの問いかけに短く答えると、マシェルはオリヴァーと同じく怪訝そうな表情をしているクレアの傍に寄った。

「今からオレとデートしないか?」

「はあ?」

 マシェルの誘いはあまりにも唐突で、眉をひそめたクレアよりも第三者であるオリヴァーの方が驚いてしまった。しかしオリヴァーやクレアの反応には構わず、マシェルはにこやかな笑みを浮かべながら話を進めていく。

「実は、もうプランも練ってある。飽きさせないぜ?」

「……アオイの次はうちに、個人的な話があるっちゅーことやな?」

「お、鋭いな」

「それやったら最初からそう言わんかい」

 回りくどい呼び出し方に呆れた顔をしつつも、クレアに異論はないようだった。マシェルとクレアが連れ立って姿を消すと、その場を静寂が支配する。やけに静かになったと思って周囲を見回してみると、いつの間にかキリルの姿も見えなくなっていた。

「…………」

 よく分からぬうちに一人にされたオリヴァーは誰もいない室内で少し考えを巡らせた末、散歩でもしようと思ってゆっくりと立ち上がった。






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