美しい光景にしばらく見入っていると、背後で扉の開く音がした。室内に進入してきたのはこの城のメイドで、ワゴンを押して入って来た彼女はテーブルでモーニングティーを淹れている。そのカップが何故か二つだったので、テーブルに寄った葵は首を傾げた。すると再び扉が開いて、今度は知己が姿を現す。ワニに似た魔法生物を肩に乗せている少女はクレア=ブルームフィールドだ。
「ここにおったんか」
声をかけながら近付いて来たクレアと入れ替わりに、二人分のモーニングティーを用意したメイドはワゴンを押しながら去って行った。彼女の行動はクレアがこの部屋に来ることを察していたもので、葵は「すごい」と思ったのだが、クレアに言わせるとメイドとはそういうものらしい。
「おたく、昨夜はずっとここにおったんか?」
席に着くとクレアがさっそく問いかけてきたので、葵は曖昧に頷いてみせた。厳密に言えば『ずっと』ではないし、記憶も定かではない部分があるのだが、詳しい説明をするとややこしくなりそうだ。そう思った葵は曖昧なままで自身の話を終わらせ、クレアのことに言及した。
「クレアは昨日、どうしてたの?」
「マシェルと話をした後はアオイを探してたんやけど、見付からんかったから寝た。この城、広すぎるわ」
確かに、闇雲に人探しをするとなると、この城の規模は大きすぎるだろう。しかしそのことよりも、葵は別のことが気になって問いを重ねた。
「マシェルと話、したの?」
「アオイの後に呼び出されて、空中散歩しながらアレコレ訊かれたわ」
「何それ? どういう状況?」
話が見えなかったので詳しく聞いてみると、クレアはマシェルと共にペガサスに跨って、空を飛びながら二人きりで話をしたらしい。昨夜、闇を舞うペガサスの影を目撃していた葵はその時のことかと納得するのと同時に、妙な気持ちになって眉根を寄せた。
「なんか、デートみたいだね」
「そんな甘いもんやないわ。
クレアの出身地である坩堝島が辺鄙な場所であるということや、彼女の連れている魔法生物がこの大陸では珍しいという事情もあるのだが、どうやらマシェル=ヴィンスは好奇心旺盛な性格の持ち主のようだ。アステルダム分校のマジスターであるウィル=ヴィンスやオリヴァー=バベッジでさえそういう所があるのだから、トリニスタン魔法学園の本校に通っているマシェルが探求の徒であるのは当然のことなのかもしれない。そういった人物は、自分が納得するまで質問を掘り下げてくる。そのことを身を持って知っている葵は昨夜のクレアに同情して苦笑を浮かべた。
「お疲れ」
「おたくのことも、訊かれたで」
クレアがふと真顔に戻って言ったので、葵もすぐに笑みを消して話に応じた。
「どんなこと?」
「アオイの事情を知っとるかいう話から始まって、おたくに魔力を与えてるんは誰やとか、試験の時におたくが呼び出した『炎』のことなんかも訊かれたなぁ」
「ああ……やっぱり、色々気になってるんだ」
「興味津々って感じやったから、気ぃつけた方がええな」
昨夜オリヴァーが力説していたように、マシェルは悪い人ではないのかもしれない。だが好奇心は、きっとそういうこととは話が別なのだ。今は親身になってくれる貴重な存在であるオリヴァーでさえ、出会った当初は好奇心を剥き出しにしていたのだから。
(いろいろ知ってる人ほど、そういうもんなんだろうな)
マジスターとはもう距離を置くつもりでいるが、気をつけるに越したことはない。葵がそんなことを考えていると、扉をノックする音が聞こえてきた。席は立たずに「どうぞ」と声をかけると、扉が開いてオリヴァーが顔を覗かせる。テーブルに歩み寄って来た彼はクレアを一瞥した後、葵に話しかけてきた。
「調子はどうだ?」
「うん、平気」
葵はオリヴァーが昨夜の醜態のことを言っているのだと思って返事をしたのだが、クレアが言葉の意味を尋ねると違った答えが返ってきた。昨夜、自分が突然意識を失って椅子から転げ落ちたと聞き、葵は目を瞬かせる。
「えっ、そうなの?」
「まさに『倒れた』って感じだったけど、どこか痛かったりしないか?」
「いや、別に……」
オリヴァーに言われて改めて体の状態に意識を向けてみたものの、特に痛む箇所などはなかった。
(おかしいなぁ)
葵は今までに、オリヴァーが言うような眠り方はしたことがない。そのためしきりに首を傾げていたのだが、そのうち考えるのをやめた。一緒にいたオリヴァーがそう言うのなら倒れるようにして眠りこんだのだろうし、記憶がないのだから今更その理由を考えるのも不毛だ。
「昨夜の話、覚えてるか?」
視線を戻すとオリヴァーが話題を変えたので、葵は間を置かずに頷いた。昨夜は彼と色々な話をしたが、確認したいのはおそらく、オリヴァーの過去に関する話だろう。
「大丈夫。誰にも言わないって」
「あ、いや、そっちじゃなくてだな……」
「なんや、意味深やな?」
密事のにおいを嗅ぎ付けたクレアがからかう調子で口を挟んできたので、オリヴァーは焦った様子で彼女の方に顔を傾けた。そして「何でもない」を連呼した後、葵の方に顔を戻して強引に話を進める。
「キルに謝る機会を与えてやってくれないか?」
キリル=エクランドの名前が出た瞬間、葵は露骨に顔をしかめてしまった。その反応にクレアが眉根を寄せていたが、オリヴァーは見なかったことにしたらしく、言葉を重ねてきた。
「あの件は俺が折りを見て話しておく。だからこっちの件は、いま片を付けさせてやってくれよ」
そうしないとお互いに、禍根が残る。葵はそれでも構わないと思ったが、オリヴァーはある可能性を示唆してきた。今ここで決着をつけておかなければ、キリルは許しを乞おうと今後も葵に付き纏うかもしれないのだ。それはマジスターと距離を置きたがっている葵にとっても、不本意なことだった。
「……分かった」
「助かる」
葵が渋々頷くと、オリヴァーはホッとした顔を見せてから部屋を出て行った。彼の姿が見えなくなると、それまで黙っていたクレアが口火を切る。キリルが何を謝るのかと問われた葵は言葉を選びながら、昨夜の出来事をクレアに説明した。
「……なんや、それ」
葵が襲われたという事実を知ると、クレアは憤りを露わにした。彼女が当事者である自分よりも怒っていたので、葵はその剣幕にギョッとする。
「クレア……?」
「安心しぃ。カタキはとったるわ」
クレアは有言実行の人なので、何をするつもりなのかと下手に尋ねるのは危険だ。そう判断した葵はとにかく彼女を落ち着かせようと、真意には触れずに宥め
「おたく、最低やな」
部屋に入るなりクレアの眼光と冷たい言葉に責められたキリルは表情を凍りつかせている。クレアが怒っていることを知ったオリヴァーが慌ててキリルをフォローしたが、クレアは構わず「女の敵だ」と怒鳴り散らした。それは傍若無人なキリルが面に怯えを滲ませるほどの勢いで、自分の感情を露呈する機会を逸してしまった葵はポカンとして成り行きを眺める他なかった。
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