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「悪かった」

 掴みかかりそうな勢いでキリルを罵倒しているクレアと、それを必死で宥めようとしているオリヴァーの間に割り込んで行って謝罪の言葉を口にしたのは、キリルと一緒にやって来たマシェルだった。何故そこで彼が謝るのかと、虚を衝かれた様子のクレアは閉口する。しかしマシェルから事情を聞くと、今度は彼に向かって怒りを爆発させた。

 マシェルがクレアに語ったことは概ね、昨夜オリヴァーが言っていたのと同じ内容だった。確かに彼はキリルにいらぬことを吹き込んだ張本人だったが、そそのかしてやろうだとか、混乱を招くような意図はなかったのだという。そう釈明した上で、マシェルは葵に頭を下げた。

「悪かった。まさかキリルがそこまで空気読めない奴だと思わなかったんだ」

 マシェルの発言は普段ならばキリルの怒りを買いそうなものだったが、さすがに今は、彼も沈黙を守っている。成す術なく硬直したままでいる、と言った方が正しいかもしれない。その場の視線はキリルに集っていたが、彼がいつまで経っても口を開かなかったため、マシェルがその体を小突いた。

「お前も謝れよ。悪いことしたと思ってんだろ?」

「お……」

 マシェルに促されたことで硬直が解けのか、キリルはぎこちなく葵を振り向いた。面と向かったことで嫌悪感が蘇った葵が顔を歪めると、キリルの表情も歪む。しかし下げようとした頭は斜め十五度くらいの角度で止まり、謝罪の言葉も最後までは紡がれなかった。

「……もう、いい」

 中途半端な低頭にも、尻切れな謝罪の言葉にも、努力の跡は見えた。だがそれ以上のことは期待出来そうもなかったので、葵は白け切った空気を断ち切ったのだ。「もういい」という言葉はどうとでも解釈の出来るもので、キリルが再び硬直する。深くため息をついた後、葵はその強張った顔に真っ向から視線をぶつけた。

「二度とあんなことしないで」

 嫌悪感がなくなったわけではない。許せもしないが、今はそう言うより他なかった。それにどのみち、彼とはこれまでなのだ。そう思えば少しは楽になったような気になれる。

「……帰るで」

 話が一段落したところで口を開いたクレアは無表情ではあったものの、その声音がまだ怒っていることを表していた。逆らう理由もなかったため、葵はクレアと共にオロール城を後にする。住み慣れた屋敷に帰って来るなり、クレアはまた憤りを露わにした。

「おたく、よう許せるなぁ。うちやったらぶん殴ってるところや」

 拳を自らの掌に叩きつけているクレアなら、きっと襲われた瞬間に発言したようなことをやってのけただろう。その様子がリアルに想像出来てしまったので、葵は乾いた笑みを浮かべた。

「そんな簡単に許せないよ。やっぱり、嫌だったし」

「それやったら、何でもっと責めてやらんかったん?」

「必要ないかなって、思って」

 これが今後どうしても付き合っていかなければならない相手なら、クレアの言うようにしたかもしれない。それでわだかまりが消えるわけではないが、少しでも発散しておかないときつすぎるからだ。しかしキリルが相手なら、もうそんな必要はない。後はオリヴァーにこちらの意向を説明してもらって、今後は関わらなければいいだけの話なのだから。

「必要ないって、どういう意味や?」

「あ、そっか。クレアは知らなかったんだっけ」

 特別試験が行われた背景を知らないクレアのために、葵はアルヴァ=アロースミスから聞いた話をかいつまんで説明した。あの試験が葵をキリルに近付かせないために行われたものだと聞き、クレアは心底呆れたような表情になる。

「アホらし。うちらはそんなことのために特訓までしたんか」

「でもさ、特訓自体は別に良かったんでしょ?」

「まあ、なぁ。基礎的なことを学ぶ、ええ機会になったわ」

「私も同じ。だからもう、この話はやめよう?」

「せやな。せっかくの休日がもったいないわ」

 クレアは気分を切り替えたようで、表情を明るくして頷いた。彼女の一言で今日が休日であることを知った葵は口元に手を当てて独白を零す。

「そっか、今日は休みなんだ」

「試験も終わったことやし、久しぶりに普通の家・・・・でのんびりしようや」

 葵とクレアが暮らしている屋敷はここしばらく、魔法の特訓場と化していた。今はもう普通の屋敷に戻っているが、特訓をしていた間は、おちおち歩くことさえ出来なかったのだ。何をしようか考えていた葵はそれもいいかもしれないと思い、クレアの提案に笑顔で頷いた。








 冬月とうげつ期の中間の月にあたる白殺しろごろしの月の一日。クレアと共にトリニスタン魔法学園アステルダム分校に登校した葵はそこで初めて、進級というものを体験した。しかしそれは葵のイメージするクラス替えとは違っていて、教室の位置が校舎の三階に移っただけの代物だった。

「代わり映えせーへんなぁ」

 昼休みを告げる鐘が校内に鳴り響いて、それと同時に特別試験の話をしに来たクラスの男子達の顔を見て、クレアがぽつりと独白を零す。それを受けてクラスメート達は一様に苦笑いを浮かべた。

「そんな、イヤそうにしなくても……」

「別にイヤとは言うてへんやろ?」

「そんなことよりさ、試験の話を聞かせてくれよ」

「これから昼食やさかい、また今度な。おたくらもはよ帰りぃ」

 トリニスタン魔法学園では昼食の時に一時帰宅するのが普通なため、クラスメート達にそう言い置くとクレアは席を立った。促された葵も男子達に会釈だけしてクレアの後を追う。

「試験の話、しばらく続きそうやな」

「そうだねぇ」

 全校生徒が注目していた特別試験は、彼らにとってかなり衝撃的な内容だったらしい。それは葵とクレアが邪道とも言える魔法の使い方をしたからで、そのことが学園内での刺激が少ない男子達の間では話のネタとなっているのだ。困ったことだと、葵はため息をついた。

「うち、午後は仕事なんよ。色々と、気ぃつけや」

 クレアの発した『色々』という言葉の中にはマジスターのことも含まれていて、それを察した葵は苦笑いを浮かべて頷いた。

 屋敷で昼食を取った後、仕事に出掛けるクレアと別れて一人で学園に戻った葵は、校舎一階の北辺にある保健室を訪れた。その扉を魔法の鍵マジック・キーで開けると、アルヴァの部屋への道が開かれる。いつもなら何の気なしに入る部屋なのだが今日は辺りを窺いながら、葵はゆっくりと室内に進入した。

「ロバートならいないから、安心していいよ」

 壁際のデスクで椅子ごと振り返ったアルヴァが懸念を否定してくれたので、葵は体に入っていた余計な力を抜いた。ホッとした後は簡易ベッドに向かい、そこに腰かけながら話を始める。

「あの人もこの部屋のこと、知ってたんだね」

「まあ、この学園は彼の私財も同然だからね。何かしようと思うと許可がいるんだよ」

「けっこう、よく来てたりするの?」

「そういうわけじゃない。彼が来てる時はミヤジマが入れないようにしておくから、変に心配する必要はないよ」

 葵が何を気にしているのか分かった上で、アルヴァは気遣いを示してくれた。こういうところはさすがだと思いつつ、葵は話題を変える。

「なんかボロボロだったけど、大丈夫だったの?」

「……問題ない。それより、ミヤジマの方こそ大丈夫だったのか?」

 すぐさま話題を変えたアルヴァは、どうやらコケにされたことを恥じているらしい。そのことを察した葵は話を合わせつつも、複雑な気分で曖昧に頷いて見せた。

「大丈夫、だったけど……やっぱり、あの人には会いたくない」

「……分かった。今後、あんなことがないように気をつける」

「ありがと」

「それと、合格おめでとう」

 アルヴァが社交辞令程度の感覚で「おめでとう」という言葉を言ったように、合格に関してさほど感慨のなかった葵も苦笑いで応えた。その後、試験中に現れた『炎』についての説明を求められたので、精霊のおかげで難を逃れたことを説明する。あの場に炎の精霊が姿を現したことを知ると、アルヴァは納得するのと同時に驚いていた。

「精霊の炎、か……」

「やっぱり、まずかった?」

「生徒達はそれほど気にしていないようだけど、マジスターには気をつけた方がいいね」

 何を訊かれても、答えないように。念を押されるまでもなく葵もそのことは承知していたので、すぐさま頷いて見せた。葵の素早い反応に、アルヴァは満足そうな表情を浮かべる。

「そういえば、クレア=ブルームフィールドにはハルモニエのことを話したのか?」

「ううん。言ってない」

「ユアンのこともある。そのまま話さないでいるのが賢明だな」

 アルヴァが口にしたハルモニエとは、世界の調和を護る役割を与えられた特別な存在のことである。クレアの主人であるユアン=S=フロックハートは、その人間界の代表なのだ。しかしユアンと親しいはずのアルヴァは、葵が話すまでそのことを知らなかった。おそらくハルモニエとは、それほど機密性の高い事柄なのだろう。葵もアルヴァの態度からそう思っていたので、彼の提案には素直に同意を示した。






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