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 つい先程までトリニスタン魔法学園アステルダム分校の校舎にいたはずの葵は、気がつくとまったく別の場所にいた。この世界には一瞬で別の場所に移動が出来る転移魔法があるので、場所を移したこと自体はそれほど問題のあることではない。では何が問題なのかというと、知らぬ間に拘束されていることだった。

 葵は現在、地に膝をついている。その背後には十字状の氷柱が刺さっていて、そこに両手をつながれているのだ。体の自由を奪っている鎖も氷で出来ていて、手首が冷たくて痛い。前傾姿勢になっているのも苦しくて、顔を歪めた葵は拘束から脱しようと体を動かしてみた。

(いたっ……)

 力任せに鎖を引き千切ろうとして、それがいかに愚かな行為だったのか身を持って知った。こういう時は魔法の出番だ。氷に対しては火が有効なので、葵は「ル=フュ」と呪文を唱えてみた。この呪文は指先や手の上に、任意の大きさの火球を発生させる。葵はそれで氷を融かそうとしたのだが、いつまで経っても熱は生じなかった。

「無駄ですわ」

 おかしいと思った葵が指先の方に顔を傾けていると、視界の外から声が聞こえてきた。顔を正面に戻してみると、見知った吊り目の少女が瞳に映る。トリニスタン魔法学園の制服である白いローブを纏っている少女は名をココといい、彼女はクラスメートであると同時に葵の天敵でもあった。

「……何の真似?」

 ココは葵の所属するクラスの女子を仕切っている存在で、見せたいものがあると言って葵を連れ出したサリー達は彼女の腰巾着だ。この場にサリー達の姿はないが、彼女達の不審な行動の裏にはココの指示があったのだろう。それは今、この状況でココが目の前にいるということが、十分な証拠となっていた。

「この魔法陣の効果、お分かりになりませんこと?」

 葵とココはテーブル状に整った岩山の上にいて、そこには魔法陣が描かれている。その中央ではりつけにされている葵はココの真意が分からぬまま、周囲に視線を走らせてみた。だが魔法の勉強を始めて日が浅い葵には、この魔法陣がどんな効果をもたらしているのか見当もつかない。黙り込んでいる葵を見て、ココはフッと嘲笑した。

「この魔法陣は空間を囲って、世界から断絶させるものですわ。用途は特殊ですけれど、そう珍しいものではありません。トリニスタン魔法学園の生徒ならば知っていて当然ですわね」

 滔々と魔法陣の効用を説明しているココは暗に、葵がトリニスタン魔法学園の生徒として相応しくないと言っているのだろう。その問題は先頃の特別試験で明確な決着を得たはずだが、彼女はそれに納得していない。だから、制裁を加える。そういうことかと、葵は納得した。

「学校から出てけって言いたいのね?」

「いいえ。違いますわ」

 ココの意を汲んだつもりでいた葵は、彼女がそれを明瞭に否定したので目を瞬かせた。この理由が違うと言うのなら、ココは何のためにこんなことをしているのか。答えを見失ってしまった葵が困惑していると、ココは今までに見せたことがないような、静かな微笑みを浮かべて見せた。

「あなたは、調子に乗りすぎました」

 ココの微笑みは心中の穏やかさを表しているのに、その双眸に宿る光は驚くほどに昏い。彼女の声音も気持ちが悪いほどに優しくて、狂気を感じた葵はゾクリとした。

「わ、分かった! もう学校には行かないから!」

 この感情は、対峙してはならないものだ。そう察した葵はココの望みを叶えようとしたのだが、彼女はゆるゆると首を振る。

「わたくしはもう、あなたの存在自体が許せませんの」

「ココ!」

「さようなら、アオイさん」

「待っ……!」

 必死の懇願も虚しく、ココは聞く耳を持たないといった様子で姿を消してしまった。しばらく茫然としていた葵は、やがて耳鳴りが聞こえるほどの静けさに激しく心を乱される。一人きりでいることが、怖くて仕方がなかった。

(お、落ち着いて、)

 胸中で何度も同じ言葉を繰り返すと、少しは冷静さが戻ってきた。今の自分は、無抵抗でいることしか出来なかった以前の自分とは違うのだ。なんとかなるはずだと、深呼吸を繰り返した葵は息を吐き切ったところで目を開ける。もう一度「ル=フュ」という呪文を唱えてみたのだが、やはり火は出なかった。

(……ココは、何て言ってた?)

 彼女は確か、魔法陣が空間を断絶させるのだと言っていた。魔法を使えるというのはこの世界の理で、この場所は『世界』から切り離されているから理が適用されなくなっている、ということなのかもしれない。特別試験の時のように精霊自体を呼んでみても変化はなかったので、葵はやがてそうした結論に行き着いた。

 空間の一部を世界から切り離すという技術は、模造世界イミテーション・ワールドに似ている。イミテーション・ワールドは魔力で空間を囲んで創られるが、ここでは殻の役割を魔法陣が果たしているのだろう。それならば魔法陣自体を壊してしまえば魔法が使えるようになるかもしれない。そう考えた葵は辺りを見回して、失望した。

(届かないよ……)

 葵が磔にされているのは魔法陣の中央で、その周辺には何も描かれていない。魔法陣を形成している魔法文字や線などは、遥か遠くにあるのだ。下半身は比較的自由なものの、どれだけ足を伸ばそうと届く距離ではなかった。

(それも計算の内、なのかな)

 だとしたらやはり、ココは本気だ。これでほどの悪意には出遭ったことがなくて、先程のココの顔を思い浮かべた葵は身震いをする。だが、こんな所で野垂れ死ぬわけにはいかないと、必死で頭を切り替えた。

 再び顔を覗かせ始めた恐怖をなんとか押し込めたまでは良かったものの、考えても考えても、妙案は浮かんでこなかった。そのうちにじっとしていられなくなり、葵はがむしゃらに手足を動かす。だが無駄な抵抗で、磔にされている手首が傷んだだけだった。

(アル、クレア……)

 最も身近にいる二人の後で、葵が脳裏に浮かべたのはユアン=S=フロックハートとレイチェル=アロースミスだった。彼らは葵が危機に晒されていることを知れば、助けに来てくれるだろう。だが誰一人として、葵がここにいることを知らない。ココやサリーが葵の居場所を教えない限り、おそらくは探し様もない。だが彼女達が口を割ることは、まずないだろう。

(何で、こんな目に……)

 ココにここまでのことをさせたのは、キリル=エクランドだ。彼の少年に思いを寄せているココは葵がキリルの傍にいることが耐えられず、激しい妬心に突き動かされてしまった。しかし葵は、キリルの恋人でも何でもない。彼の近くにいたのも望んでのことではなかったのだ。それなのにこの仕打ちは、あんまりではないだろうか。

 やりきれない思いを抱えて顔を上げると、雲一つない空では太陽が輝いていた。周囲には高い山々が連なっているが、どの山も雪を被ってはいない。もしかするとこの場所は、トリニスタン魔法学園があるゼロ大陸ではないのかもしれなかった。

「……帰りたい」

 アルヴァのいる、トリニスタン魔法学園に。クレアと暮らしている、豪奢な屋敷に。雨の雫が紫陽花を濡らしている、懐かしい故郷に。しかしそのどれも、今は叶わない。葵が零した呟きは瞬く間に静寂に呑み込まれて、虚しく消えて行った。






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