灰色の雲が重く垂れ込めた空から大粒の雪が降りしきる夜、トリニスタン魔法学園アステルダム分校の中に創った『研究室』でデスクに向かっていたアルヴァは、来訪者の気配を察して顔からメガネを引き抜いた。それを閉ざした魔法書の上に置くと、椅子ごと回転して振り返る。
「いらっしゃい。まあ、テキトーに座ってよ」
アルヴァが素顔で迎えた深夜の来訪者は、二人。そのどちらも年若いが、彼らはトリニスタン魔法学園の生徒ではない。灰色の
「例ノ奴、見ツケタヨ」
腰に片手を当てて胸を張って見せたのは、黒髪のベリーショートが幼い印象を強調している少女。この世界では黒髪に同色の瞳といった容貌をしている者自体が珍しいが、さらに褐色の肌の持ち主ともなると、世界を捜し歩いてもそうそうお目にかかることは出来ない。珍しいのはその容貌だけでなく、彼女の服装も独特だ。上半身はほとんどがマントに隠れているが、その下には体にフィットしたシャツを着ていて、腰には重たそうなベルトが斜に下がっている。下半身は革のショートパンツにブーツといった恰好をしていて、ちょっと剣でも持たせれば、まるで女剣士のようだ。そんな、非常に珍しい容姿をしている彼女は、名をスミンという。
「早かったな」
人探しを頼んだのが二日前のことだったので、アルヴァは少し驚きながら会話に応じた。するとスミンは余裕の表情で、立てた人差し指を左右に振って見せる。
「ワタシ達アナドル、良クナイ」
「それは、すまなかったな」
自尊心の強いスミンに真顔で謝意を示した後、アルヴァはベッドに移動して行った少年の方へ顔を傾けた。簡易ベッドの際に腰を落ち着けている少年はスミンとは対照的な
「連れてきますか?」
柔らかな物腰の少年の名は、ユーリーという。彼は白いシャツにベスト、硬めの上着といった貴族の子弟風の恰好をしているが、本当に貴族なのかどうかは分からない。語らないことは尋ねない、それが暗黙のルールだからだ。だから彼らも、アルヴァのことをほとんど何も知らない。それでも背徳のウェイン・ムーンを手にしている限り、彼らは互いに助力を惜しまない『仲間』なのだった。
「
「レユニオン、ですか」
「レユニオン、久シブリネ! ワタシ、ミンナニ報セテクルヨ!」
集会と聞いて嬉しそうに笑ったスミンは、さっそく準備のために姿を消した。アルヴァは残ったユーリーのために紅茶を淹れてから、自身もティーカップを手にして話を続ける。
「レユニオンの日程が決まったら、彼を連れて来てもらいたい」
「それは、メンバーが増えるということですか?」
「本来ならばそうなるはずだったんだけどね。彼は僕を欺いて、脅迫までしてきたから」
「穏やかではないですね」
「背徳の上に裏切りまで重ねたんだ。その罪は、重いよ」
アルヴァが何をするつもりなのか察したらしく、ユーリーは言葉を次がなかった。今はそれ以上の話をすることに意味がなかったため、紅茶を一口含んだ後、アルヴァは話題を変える。
「それと、もう一つ頼まれてもらいたいことがあるんだ」
「何ですか?」
「
「イニシエーションの解消、ということですか?」
「そのイニシエーションを行うべき相手が、そもそも間違っているんだ」
意味が分からなかったようで、ユーリーは首を傾げている。アルヴァがどのようにしてサン・セルマンが歪められたのか説明を加えると、彼は驚いた様子で瞬きを繰り返した。
「そのような方法で誓約から逃れるなんて、考えもしませんでした」
「僕も思いつかなかったよ。邪道な蛮行だ」
「ある意味、尊敬に値します。真似は出来ませんけれど」
普通の人間であればまず、魔法の
「ボクは何をすればいいですか?」
「サン・セルマンを解消する儀式を行いたいんだけど、その相手に僕の情報を与えたくないんだ」
「分かりました。その相手を説得して、儀式に臨ませればいいのですね」
ユーリーは非常に頭のいい少年で、多くを語らずとも話が通じる。その対応の早さに心地好さを感じながら、アルヴァは指で空中を四角く切り取った。そこに交渉相手の情報が現れたので、ティーカップを脇に置いたユーリーがこちらへと歩み寄って来る。彼がマシェル=ヴィンスの情報を整理しているうちに、先程集会の呼びかけをしに行ったスミンが戻って来た。
「ミンナ、イツデモイイ言ッテタヨ。レユニオン、楽シミニシテタネ」
「それなら、こちらも急いだ方がいいですね」
空中に浮かんでいた情報を手で払うことによって消し去ったユーリーは、さっそく行動に出た。彼が事を急いだのはレユニオンで何らかの罰を受けるウィルが、サン・セルマンの解消を行うマシェルと深い関わりを持っているからである。この場合、歪められたサン・セルマンが誰にどういった影響を与えているのか分からないので、制裁を行う前に解消しておいた方が安全なのだ。
「何ノ話カ?」
席を外していたスミンが説明を求めてきたので、アルヴァはユーリーに語った内容を彼女にも明かす。それほど長話をしていたわけではなかったのだが、その間にユーリーは戻って来た。
「交渉はうまくいきました。儀式を行うのはこれからでも構わないそうです」
ユーリーは自身の功績を誇ることもなく、淡々と報告を口にする。彼が頭のいい少年だということは知っていたものの、そのあまりの手際の良さにアルヴァは改めて驚いてしまった。
「君は本当に優秀だな」
「ワタシモ優秀ネ」
「分かってるよ。僕たちの中に無能な人間なんていないだろう?」
「ソウヨ! ワタシ達ハミンナ特別ネ」
アルヴァの発言に気を良くしたスミンは胸を張って見せたが、ユーリーはあくまで淡々とした口調を崩さずに口を挟んできた。
「では、儀式の準備をお願いします」
「すぐに済ませるから、二人はここで待っててよ」
スミンも見学していくようだったので二人に言い置くと、アルヴァは単身で『研究室』を後にする。転移魔法でアステルダム分校のグラウンドへと移動したアルヴァはそこにサン・セルマン用の魔法陣を敷き、その日のうちに厄介事の一つを片付けたのだった。
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