すれ違い、重ならない

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 クレアが突然怒り出してキリルを叩いたため、事態を呑みこめずに保健室に取り残された者達の間にはしばらく沈黙が流れていた。だがやがて、静寂はオリヴァーの一言によって破られる。

「……キル、大丈夫か?」

「なっ……何なんだよ、あの女は!!」

 オリヴァーに声をかけられたことで我に返ったキリルは、叩かれた頬を手で押さえながら怒りの声を上げた。しかしキリルを心配する態度を取ったオリヴァーは、彼の憤りには同調を示さない。それどころか少し冷めた表情で、淡々と言葉を次いだ。

「キル、俺の話をよく聞くんだ」

「……何だよ?」

 オリヴァーの様子がおかしいことに気がついたキリルは面から怒りを消し、気味が悪そうにオリヴァーを見る。その視線を真っ向から受け止めたオリヴァーは感情を押さえ込んだ低い声音で、葵が今までアステルダム分校の女子生徒から受けてきた仕打ちを話して聞かせた。

「あの特別試験も、アオイとクレアを学園から追い出すために画策されたものだったらしい。うちの女子はそれくらい、アオイとキルが一緒にいるのが許せなかったんだ」

「じゃあ、あの子が行方不明になってるのも?」

「嫌がらせをされたんだ。少なくともクレアは、そう思ってる。だからキルのことを怒ったんだろうな」

「……分校に通うのも楽じゃねぇんだな」

 しみじみと独白を零したのはマシェルで、キリルは茫然とオリヴァーの話を聞いていた。マシェルが辟易した様子で口を閉ざしたのを機に、オリヴァーは再びキリルに向き直る。

「俺達と一緒にいるとどうしても目立って、標的にされる。だからもう俺達とは関わりたくないんだって、アオイが言ってた。オロール城に来たのも、キルとその話をしたかったからだそうだ」

 葵が自分との関わりを切りたがっていたと知って、キリルはショックを受けたようだった。平素であればキリルの心情を酌んで、フォローを交えながら話を進めるところなのだが、オリヴァーはあえてそれをせず、言葉を続ける。

「アオイは、そういう気持ちでいる。だけど俺は、キルに諦めろなんて言うつもりはない。他人がそんなことを言ってもどうしようもないのが恋愛ってものだからな。でもキルが、このまま自分の気持ちを認めないでアオイを手に入れようとするのなら、」

 そこで一度、オリヴァーは言葉を切った。感情的になりすぎないよう自制の息を吐き、彼はそれから言葉の続きを口にする。

「俺は怒る」

 口調は静かで淡々としていたが、言葉の端々からは怒りが滲み出ていた。絶句しているキリルに背を向けると、オリヴァーはそのまま保健室を出て行く。ピシャリと扉が閉ざされるとその場は再び、静寂に支配された。

「オリヴァーが怒ると、どうなるんだ?」

 しばらくの沈黙の後、口火を切ったのはマシェルだった。マシェルから視線を向けられたハルは、「さあ?」と答えて首を傾げる。

「見たことないから、知らない」

「だよな。オレも見たことねぇ。そんな奴を怒らせるなんて、やるな」

 科白の後半はキリルに向けられたものだったが、未だ呆けている彼からは反応が返ってこなかった。ポカンと口を開けているキリルを見て小さく肩を竦めたマシェルはその後、再びハルを振り向く。

「しかし、女子ってやつが本校と分校でこんなにも違うなんて知らなかったぜ」

「早く本校に帰ったら?」

「相変わらず素っ気ねーなぁ。言われなくても、事の顛末を見届けたら帰るって」

「まだいるの?」

「事と次第によっては役に立つかもしれないだろ?」

 そう言って自分を指し示した後、マシェルはヒラヒラと手を振ると保健室を後にした。一人、また一人と姿を消す中で、キリルはまだ現実を取り戻せずに立ち尽くしている。彼の正面に回りこんだハルは漆黒の瞳を覗きこみ、そのまま友人が正気に戻るのを待った。

「な、何だよ!」

 やがて我に返ったキリルが焦った様子で後退して行ったので、ハルは表情を動かさないまま口火を切る。

「キルは、どうするの?」

 ハルから投げかけられた質問には様々な意味合いが含まれているように感じられて、口を閉ざしたキリルはしばらくしてから顔を歪めた。






 キリルに張り手を食らわせてから保健室を後にしたクレアは、その足で自身が所属する三年A一組の教室に向かった。そこで葵を連れ去ったというサリーやココの姿を見つけたので詰問したのだが、彼女達は案の定、口を割らない。ココ達が葵に何かしたのだと確信を持っていたクレアはその態度に堪忍袋の緒が切れてしまい、話し合いで解決するという道を早々に捨て去った。

「マト、変態メタモルフォーゼや!」

 殺気立ったクレアが肩口にいる魔法生物に変態を命じたことで、室内は騒然とした。しかし乱闘になると危惧した生徒達が一斉に避難していく中で、人混みから姿を現したオリヴァーが、クレアの腕を引いたことで衝突は回避された。

「落ち着けって」

「うるさいわ!」

 怒りが治まらなかったクレアはオリヴァーを睨み見て、ハッとした。平素は穏やかな彼の顔に、微かにはではあるが自分と同じ感情が滲んでいる。押し殺そうとしている分だけオリヴァーの怒りは深く、その静けさに圧倒されたクレアはマトを元の形状に戻し、大人しく口を閉ざした。

「彼女達とは俺が話をするから、クレアはアルヴァって人を探してこいよ」

 アステルダム分校において、マジスターは女子生徒の憧れの的である。ここはオリヴァーに任せた方が、ココ達から情報を引き出せる可能性が高いだろう。オリヴァーもそう思って口を出してきたことを察したクレアは素直に引き下がり、踵を返した。

 マジスターを目当てに集って来た女子生徒の間を縫うようにして廊下を進んだクレアは、再び保健室へ向かうために階段を目指した。その途中でマシェルと出会ったので、お互いに傍へ寄る。

「オリヴァーはどうした?」

「アオイを連れ去った女と教室で話しとる」

「口を割りそうか?」

「オリヴァーが相手でも、言わんやろうな」

 葵に何かしたことを認めてしまえば、その後にキリルから何らかの仕返しをされることは目に見えている。直接的な制裁ではなくとも毛虫のように嫌われることは確実なので、ココ達は絶対に口を割らないだろう。クレアがそうした見解を伝えると、マシェルは頷いてから言葉を次いだ。

「探し物なら任せとけ」

 実家に頼れば何とかなるだろうと言って、マシェルは転移魔法で姿を消した。一人になった後、クレアは再び階下に向けて歩を進める。再度保健室を訪れるとキリルやハルの姿はなく、そこには白衣を身に纏った金髪の青年の姿だけがあった。

「詳しい話を聞かせてください」

 アステルダム分校の校医であるアルヴァ=アロースミスは、すでにある程度のことは知っているようだった。クレアが憶測を交えながら状況を説明すると、彼は険しさを面に滲ませる。

「昨夜から、ミヤジマは帰っていないのですね?」

「確かなことは言えへんけど、たぶんそうやと思うわ。何か、アオイの行方が分かるような魔法とかないんか?」

「僕の方でも探してみます。クレアさんはとにかく、その女子生徒からミヤジマの居所を聞き出してみてください。多少のことでしたら僕が揉み消しますので、手段は選ばなくてけっこうですよ」

 平静に見えたアルヴァの口から物騒な発言が飛び出したので、彼がそんなことを言うと思っていなかったクレアはギョッとした。アルヴァが続けて、どうしても口を割らないようならココ達を自分の許へ連れて来いと言ったので、クレアはさらに驚いて目を丸くする。

「ちょ……おたく、大丈夫か?」

「何が、でしょうか?」

「何か変やで? とりあえず落ち着きぃ」

「ご心配いただかなくても、僕は冷静ですよ。では後程、お会いしましょう」

「……どう見ても冷静やないやんか」

 アルヴァの素顔を垣間見たような気がしたクレアは呆気に取られながらもツッコミを入れてみたが、その頃にはもうアルヴァの姿は保健室から消えていた。葵の身を案じているのは人間だけではなく、二人きりになった途端に肩にいるマトが顔を寄せてくる。手を触れてみると不安と心配のイメージが頭に流れ込んできた。

「せやなぁ。トモダチなんやから、そら心配もするわ。でも大丈夫やで。アオイは絶対、無事で帰ってくるわ」

 自分にも言い聞かせるようにマトを宥めた後、表情を改めたクレアは今自分に出来ることをしようと保健室を後にした。






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