すれ違い、重ならない

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 冬月とうげつ期の二番目の月にあたる白殺しの月の五日。拉致・監禁事件が解決してから二日ほど自宅で療養した葵はこの日、同居人であるクレアと共にトリニスタン魔法学園アステルダム分校に登校した。すでに予鈴が届けられているので、アステルダム分校では正門付近に描かれている魔法陣から校舎へと向かう生徒の流れができている。好奇の視線に晒されながら流れの中に身を投じると、クレアがさっそく大きなため息をついた。

「おたくも物好きやなぁ」

 クレアが呆れているのは、葵がこの学園へ通い続けることを決めたからだった。この二日の間にクレアからは散々「学園なんて辞めてしまえ」と言われてきたので、葵は苦笑いを浮かべる。

「そうだね。普通なら、もう二度と来ないよね」

「それは自分が普通やないっちゅー宣言かいな?」

「あはは。そうかもね」

 確かに、あんなことがあった後では学園に来たくないという気持ちもないわけではない。葵は以前にも一度、陰湿なイジメに耐えかねて学園を辞めようとしたことがあるのだから、今度こそ退学してしまうのが自然な成り行きだろう。しかし葵は、その道を選ばなかった。何故かと問われればやはり、何か日常的な義務が欲しいからだろう。

(それに、あの時とは状況が違うし)

 以前に学園を辞めようとした時は周囲に助けてくれる人がおらず、孤独だった。アルヴァはその時から傍にいたが、その頃の彼は純粋な味方とは言い難い存在だったのだ。しかし今は、自分のことを本気で心配してくれて、助けてくれる人達が、傍にいる。

「ったく、アハハやないで」

 気楽に笑っている葵に心底呆れてしまったようで、クレアは肩を竦めて閉口した。その態度は素っ気ないようにも見えるが、彼女がこうして隣を歩いているのは葵の決断に付き合ってくれているからである。幸せだなぁと、葵は顔をほころばせた。

「……なに笑っとんのや」

 そこは笑うところではないと、クレアに睨まれてしまった。それでも葵が笑いを収めきれずにいると、クレアは深々と嘆息する。

「で、あいつらはどうするつもりなんや?」

 クレアの言う『あいつら』とはもちろん、葵を拉致・監禁したクラスメート達のことだ。それが誰なのかはすでにクレアも知っていたが、葵の口からはまだ誰にも真相を伝えていない。誰に何を訊かれてもはぐらかしているのは、少し思うところがあるからだ。

「今日は色々、やらなきゃいけないことがあるっぽい」

「せやから、何をどうするんやっちゅー話や」

「んー、それはまだナイショ。でも、心配しないで」

「心配するわ、アホ!」

 あんなことがあった後でよくそんな科白が吐けるものだと、クレアは葵のこめかみに緩い右ストレートを当ててきた。首を傾げる程度で済んだ衝撃はクレアからの親愛表現で、その心根を嬉しく思った葵はまた微笑みを浮かべる。じゃれあいながら校舎に向かう二人を、周囲の生徒達が奇妙な顔をしながら見つめていた。

 頭や肩に降り積もった雪を払いながら校舎の中に入ると、不意にピリピリとした緊張感が伝わってきた。その異様な気配を察したのは葵やクレアだけでなく、校舎に入って来た生徒達も一様に同じ方角へと顔を傾ける。そこで、人と人との間に見知った少年の姿を垣間見た葵はクレアを振り向いた。

「ちょっと待ってて」

 クレアにそれだけを言い置くと、葵は人の間を縫うようにしてエントランスホールの中央に進み出た。そこにいたのは、この緊張感を生み出している主。エントランスホールのど真ん中で仁王立ちをしているキリルからは、誰かが口を開くことさえも許さないような厳しい雰囲気が、全身から発せられていた。

 人だかりの中から葵が進み出て来たのを目にすると、キリルは組んでいた腕を解いた。彼が待っていたのはやはり、自分だったらしい。そう察した葵はキリルの前で足を止めると、息を詰めているギャラリーを横目でチラリと見てから視線を戻した。

「私、あなたのことが好きじゃない。惚れるのも無理。ごめんなさい」

 キリルが口を開く前に一息で言い切ると、葵は彼に向かって軽く頭を下げた。葵が姿勢を正すと、凍り付いていた空気が女子生徒の怒りで溶かされる。あちこちから自分を口汚く罵る声が聞こえてきたが、葵は気にしなかった。

 葵が女子生徒から目の敵にされるようになったのは、おそらくキリルにだけ原因があるわけではない。恋愛をゲームのように扱ったキリルにも問題はあるが、自分がはっきりしなかったのもいけなかったのだ。そうした曖昧さが不満を煽ったせいで、ココはあそこまでのことをしてしまったのだろう。だからといって何をしても許されるというわけではないが、許す許さないは別問題として、まずはキリルとの関係を周囲にはっきりさせるところから始めようと、葵は思ったのだった。

 意思表示を終えた葵はキリルから反応が返ってこないことを不審に思い、周囲に向けていた視線を彼に戻した。そこでもう一度、キリルの反応に不審を抱く。やかましく騒ぎ立てている周囲に怒りをぶつけることもなく、またフラれたことに傷ついている様子もなく、彼はただ無表情で葵のことを見つめていた。

 キリルが、いつもと違う。そう思ったのは葵だけではなかったようで、激しく葵を責め立てていた周囲も波が引くように静かになっていった。そしてエントランスホールに、また緊張感を伴った静寂が訪れる。そんな異様な空気の中で突然動き出したキリルが足下で跪いたので、驚いた葵は反射的に身を引いた。しかし後退が済む前に、キリルに手を取られて動きを止められてしまう。

「なっ、何?」

 思わずどもってしまった葵の問いかけには答えず、キリルはポケットから取り出した指輪リングを葵の指に滑らせた。血のように濃い紅の石が煌いている指輪を嵌められたのは、左手の薬指。そこに視線を落としたまま、キリルは静かに口火を切った。

「キリル=エクランドの名において命じる。この指輪を持つ者に、エクランドの守護を」

 呪文のような言葉を紡ぎ終わると、キリルは葵の指に口唇を寄せた。その口唇が指輪に触れた刹那、体の奥の方で脈打つ何かを感じた葵は困惑に顔を歪める。儀式的な雰囲気を持つ行動はそれで終わったようで、キリルはそっと葵の手を解放した。

「うわあ!!」

 キリルの手が離れた次の瞬間、指輪から真っ赤な炎が立ち上った。驚いた葵は反射的に左腕を突き出し、自分から炎を遠ざけようとする。するとその手を、再びキリルが取ってその場に留めた。

「な……何、これ?」

 指輪から溢れた炎が形作ったのは甲冑に身を包み、先端に行くにつれて細くなっている大きな槍を持った騎士のような姿だった。上半身しかないが迫力は十分で、葵はポカンとしながら独白を零す。その問いに答えたのは、キリルだった。

「エクランドに伝わる炎の守護者フレーム・ガルディアン。これからはこいつとオレが、お前を護る」

 キリルは至って真面目な表情をしていたのだが、何を言われたのか分からなかった葵は混乱した。疑問も浮かんでこないほど真っ白になってしまった葵から視線を外したキリルは表情を険しくし、そのまま周囲に向かって声を張る。

「てめぇら、よく聞け!! オレはこの女に惚れてる! こいつに手ぇ出したらタダじゃおかねーからな!!」

 キリルの方が、葵に惚れている。この図式が明らかになったことで、成り行きを見守っていたギャラリーからは大きなどよめきが起った。光のような速度で、意図するところとは真逆に事態が動いている。そのことに気付いた葵が「何でこうなるの」と力ない独白を零したのは、しばらく経ってからのことだった。






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