すれ違い、重ならない

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 すでに授業が始まっている校内は静まり返っていたので、保健室を出た後、葵は教室ではなくエントランスホールへと向かった。外に出るとまだ雪が降っていたが、いつものことなので構わず、葵はそのまま校舎の東へと歩を進める。向かう先はマジスターがたまり場としている大空の庭シエル・ガーデンだ。心配してくれたオリヴァーに礼を言うのが目的だったが、その場所に行けばもう一度キリルとも話が出来るかもしれない。

 校舎の東の区画にあるシエル・ガーデンは全面がガラス張りになっている建造物で、扉や窓などの目に見える入口は設けられていない。この花園に進入するには転移魔法を使うより他ないのだが、実は徒歩でも進入可能な秘密の入口があった。葵はもう自力で魔法を使うことが出来ないので、VIP用と思われる隠された回廊を使って内部に進入した。

 花園の中央部に設けられている花を愛でるための場所で、マジスター達は今日も今日とて優雅に紅茶を飲んでいた。残念ながらキリルの姿は見当たらなかったが、オリヴァーがいたので、白いテーブルに寄った葵は軽く頭を下げる。

「クレアから聞いた。心配してくれてありがとう」

「いや、俺は大したことしてないし。それより、体はもう大丈夫なのか?」

「うん。もともと、そんなにひどいケガしてたわけじゃないから」

 そこで言葉を切った葵は、一度周囲に視線を走らせてから話題を変えた。

「今日は二人だけ?」

 今現在、シエル・ガーデンにはオリヴァーとハルの姿しかない。誰かに用事があるのかとオリヴァーが尋ね返してきたので、葵はまずマシェルの名を口にした。

「なんか、色々動いてくれたって聞いたから。お礼言いたかったんだけど、いないね」

「あいつは本校に帰ったよ」

「あ、そうなんだ」

 それではもう、マシェルに直接礼を言う機会はないだろう。葵が少し残念に思っていると、オリヴァーは気にすることはないと言って話題を変えた。

「キルには会ったか?」

「……会った。ねぇ、これ外す方法とか知らない?」

 葵が左手を持ち上げて薬指を指し示すと、オリヴァーとハルは目を剥いた。どうやら二人とも、この指輪が何を意味するのか知っているようだ。

「キルが、それを?」

「あんたと結婚でもするつもりなのかな」

「ええ!?」

 何故そういう話になるのかと、葵は驚きと怪訝さを綯い交ぜにしながらハルを見た。不穏な発言をサラッと言ってのけたハルはいつもの無表情に戻っていて、後に続く言葉は特にない。相変わらずマイペースなハルに代わって、オリヴァーが炎の守護者フレーム・ガルディアンについて説明を加えてくれた。その補足によるとこの指輪は、エクランド公爵家にとって特別な意味を持つものらしい。

「キルは他に、何か言ってなかったか?」

「言ってた、けど……」

 とても自分の口からは伝えられそうになかったので、問いかけてきたオリヴァーに苦笑いを返すと、葵はそこで話を切り上げることにした。オリヴァーとハルに短く別れを告げ、逃げるようにしてシエル・ガーデンを後にする。ひとまず校舎に引き返すと、エントランスホールで見知った少女と出くわした。

「少し、よろしいかしら」

 そんな風に声を掛けてきた内巻きカールの少女はクラスメートで、名をサリーという。サリーはココの腰巾着であり、葵の拉致に関わった者の一人だ。当然のことながら葵は警戒し、サリーが縮めてきた距離を再び開かせながら応えた。

「何?」

「警戒しなくても、何もしませんわ。今回のことで、よく分かりましたもの」

「……何が?」

「ココさんといいシルヴィアさんといい、あなたに関わるとロクなことがありませんもの。これ以上、何かが起こるのは御免ですわ」

 忌々しげに顔を歪めたサリーの発言を聞いているうちに、葵は自分が疫病神か何かになったような気になった。その物言いに呆れた葵が反論もせずにいると、サリーは眉根を寄せたまま言葉を次ぐ。

「学園、お辞めになりますの?」

「は?」

「……辞めないのですわね。それならば何故、キリル様にわたくし達のことを告げ口しないんですの?」

 葵が一人の時を見計らって話しかけてきたのは、そのことを聞きたかったかららしい。そう察した葵は真顔に戻り、一つ息を吐いてから胸の内を明かした。

「何であんなことしたのか、まったく理解出来ないわけじゃないから」

 葵の返答が意外だったのだろう、サリーは目を見開いた。しかしその表情は、次第に憤りへと変わっていく。

「それは同情、ですの?」

「そんなんじゃないよ」

 幸運に恵まれたおかげで無事に帰って来られたものの、下手をすればあのまま野垂れ死にしていたかもしれないのだ。自分をそんな目に遭わせた者達を、そう簡単に許せはしない。それでも葵が憎いという感情に囚われないのは、彼女達を凶行に走らせた気持ちが理解出来てしまうからだった。

「この学校の女子がマジスターをカッコイイって騒いでるみたいに、私にも憧れの男の子がいるの。でも私だったら、その人に好きな女の子がいてもあなた達と同じことはしなかった。だから同情なんてしてないよ。でもあなた達が責められるところを見たら、きっと嫌な気持ちになる。だから言わなかった。それだけ」

 叱責も贖罪も和解も、葵は望んでいない。それが建前ではなく本心から出た言葉だったと伝わったのか、サリーは心底驚いたような表情をして見せた。しかしそれは一瞬のことで、彼女はすぐ仏頂面に戻る。そして苦々しく、自分達が悪かったと葵に謝罪した。

「ココさんも気が抜けてしまいましたし、わたくし達はもうあなたには関わりませんわ」

「……ココは今日、来てるの?」

「いいえ。あなたが戻って来た日以来、登校していませんわ。もしかしたら、このまま学園をお辞めになってしまうかもしれませんわね」

「そう……」

「では、ごきげんよう」

 ココのことをどう思っているのかは分からないが、サリーは多くを語らずに去って行った。その背中を見送っていると、学園に編入した当初の記憶が蘇ってくる。彼女達と過ごした日々は息苦しいものだったが、まったく楽しくなかったわけでもない。胸に去来する思いはやはり複雑で、サリーの姿が見えなくなってしまうと、葵は溜めていた息を吐き出した。






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