決意を新たに

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 オリヴァーの『訊きたいこと』とは、葵の誕生日がいつなのかということだった。どうやら彼は友人の恋を応援することに決めたようで、この問いかけはキリルのための情報収集だろう。しかし問われた側であるクレアは眉根を寄せて空を仰いだ。

「知らん」

 クレアの答えが意外だったらしく、オリヴァーは瞬きを繰り返した。キリルなどは教えないと言っているのだと受け取ったようだったが、知らないものは知らないのである。というより、答えようがないと言った方が正しい。葵は異世界からの来訪者であり、この世界で誕生したわけではないのだから。

「誕生日は知らんけど、アオイが欲しがっとる物なら知っとるで?」

 葵に同じ質問をされることを避けるため、クレアは一歩踏み込んだ答えをマジスター達に返した。誕生日を知りたがるということは、要はそういうことだろう。

「教えろ」

 やはりプレゼントを考えていたようで、キリルがすぐさま食いついてきた。クレアはそこで一度口を噤み、無言でキリルに視線を移す。クレアが真顔のままだったので、キリルは怯んだようだった。

「な、何だよ?」

「プレゼントで気ぃ引こうとする前に、おたくには直さなあかんことがあるで」

「直す?」

「せや。ホンマはいっぱいあるんやけど、最低限のこと一つだけ教えといたるわ」

 そう前置きした上で、クレアは今後葵のことを『あの女』呼ばわりするのを止めろとキリルに申し立てた。言われている意味が分からなかったようで、キリルはキョトンとしている。反応が鈍いことに嘆息した後、クレアは説明を付け足した。

「お前とか、こいつとか言われるんは感じ悪いやろ? おたくが同じこと言われたらどないする?」

「はったおす」

 キリルが迷いなく答えたことにクレアは呆れ、傍で話を聞いていたオリヴァーは吹き出した。しかしオリヴァーも、それはいいことだとクレアの意見に同意を示す。するとキリルは不服顔になってクレアを見た。

「お前だってオレらのこと『おたく』とか言ってるじゃねーか。 ……あ」

「言うてる傍からこれや。せやけど、おたくの言うことも一理あるわ」

 そこで、自分でも『おたく』という単語を口癖としていることに気付き、クレアは苦笑いを浮かべた。

「せやなぁ、うちも気ぃつけるわ。キリルも気をつけや」

 クレアに親しげに名前を呼ばれたキリルは複雑そうな表情をしていたが、反論はしてこなかった。以前なら「気安く呼んでんじゃねーよ」とでも言いそうな場面だが、どうやら彼は本気で変わろうとしているらしい。そう感じ取りはしたものの、積極的にキリルを応援する気もなかったクレアは話を元に戻すことにした。

「アオイが欲しがっとるのはラルフウッドっちゅー島に自生しとる植物や。マト、あの植物覚えとるか?」

 クレアの肩にはワニに似た魔法生物が腹這いになっていて、マトと呼ばれた彼はクレアの求めに従って口を開ける。そこから出てきたカプセルを手に取ると、それを見たオリヴァーが珍しげに声を発した。

「お、形状記憶カプセルか」

 形状記憶カプセルとは魔法生物の体内で生成されるレア・アイテムで、物の形状から魔法陣の形まで様々なものを再現することが出来る便利な代物だ。使い方は知っていそうだったので説明は加えず、キリルにカプセルを手渡したクレアは「ほなな」と言い置くとシエル・ガーデンを後にした。






 校内に授業の終わりを告げる鐘の音が響き渡ると、葵は魔法書を胸に抱いて素早く席を立った。

「先に帰ってて」

 クレアにそれだけを言い置くと、葵は脇目も振らずに教室を後にする。廊下を早歩きで移動している時も数人の生徒に声を掛けられたが、それらは無視に徹し、エントランスホールを出たところで葵はようやく一息ついた。

(はあ……)

 思わずため息が零れてしまうのは、周囲が片時も放っておいてくれないからだ。気疲れをするほど学園内で人間関係を築いてはいないが、それでも周囲に常に人だかりがあるというのは妙なプレッシャーがある。一刻も早く現状を改善したかった葵はマジスターが集うシエル・ガーデンへと向かったのだが、そこには誰もいなかった。

(サンルームかな?)

 マジスターのいそうな場所といえばシエル・ガーデンか、校舎の五階にあるサンルームくらいしか思いつかない。そのため再び校舎に向かおうとしたのだが、シエル・ガーデンを出たところで葵は足を止めた。目に留まったのはシエル・ガーデンの北に聳えている塔。せっかくここまで来たのだから先に電話を済ませてしまおうと思い、葵は塔に向かって歩き出した。

 シエル・ガーデンの北にある塔は、その二階部分の壁面にぽっかりと大きな穴を空けている。そこに時計を嵌めたら似合いそうだと思ったことから、葵は密かにこの塔を『時計塔』と呼んでいた。この塔では何故か、携帯電話がつながるのだ。

「……あ」

 螺旋階段を上って塔の二階部分に出た葵は、先客の姿を目にすると声を漏らしてしまった。その声に反応してか、壁面に背を預けて座り込んでいた少年がこちらを振り返る。栗色の短髪にブラウンの瞳といった容貌をしている彼はアステルダム分校のマジスターの一人で、名をハル=ヒューイットという。

「ごめん」

 反射的に謝罪を口にした葵は素早く踵を返した。そのまま立ち去ろうとしたのだが、背後から制止の声がかけられる。階段に足をかけたところで動きを止めた葵は少し躊躇した後、平静を努めながら背後を振り返った。

「何?」

「こっち、来て」

 ハルが手招きをするので、どういった反応をすればいいのか分からなかった葵は微かに眉根を寄せた。ハルは真顔のまま、葵が傍に来るのを待っている。その意図は分からなかったが、このまま立ち去ってしまうのも気まずいので、葵は仕方なくハルの傍へ歩み寄った。

(本当はここで、あんまりハルといたくないんだけどなぁ)

 この塔は葵にとって、良くも悪くも思い出の場所だ。この場所でハルのことを好きになり、再会し、そしてこっぴどくフラれた。直接的に告白を断られたわけではないものの、あの夜に負った傷はまだ完全には癒えていない。傍にいると辛いのだと言ったハルも、この場所で葵と共にいるのは苦痛だろう。そう思うからこそ、葵には傍へ来いと言ったハルの意図が分からなかった。

「……来たけど」

「じゃあ、座って」

 ハルが自分の隣を指し示したので、葵は意味が分からないまま少し距離を置いてしゃがみこんだ。その微妙な距離感が、何とも言えず気まずさを増大させる。しかしそう感じているのは葵だけのようで、ハルは淡々とした調子を崩さないままに言葉を次いだ。

「あんたを待ってた」

「……何で?」

「用があるから」

 待っていたのだから当たり前だろうとでも言いたげに、ハルは小首を傾げて見せる。しかし葵にはその反応こそが不可解で、小さく眉根を寄せてしまった。

「用って……何?」

「キルがさ、あんたのこと本気で好きみたいだから」

「……うん?」

「この間の城の時みたいに、俺達とも顔を合わせることが増えると思う」

 葵は先日、マジスター達と共にオロール城という所に泊りがけで出掛けた。ハルが言っているのは、おそらくその時のことだろう。あんな風にマジスターと出掛けることは二度とないだろうと思ったが、葵は胸中を言葉にはせずにハルの話に耳を傾けた。

「だから、普通にしたい」

「……え?」

「俺もそうするから。よろしく」

 それだけを言うと、一方的に話を切り上げたハルは壁面に空いている穴から飛び降りて姿を消す。葵はそれを、ポカンと見送ることしか出来なかった。






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