「マジスターが来るみたいやな?」
椅子に横座りをして廊下側に体を向けているクレア=ブルームフィールドが、葵の予想と同じことを言う。葵もクレアもこちらへやって来る人物に見当をつけていたのだが、果たして、予想通りの人物が三年A一組の教室に姿を現した。
「キリル様!」
「キリル様、いらっしゃいませ!」
マジスターがやって来ると察して身構えていた三年A一組の生徒達は、戸口にキリル=エクランドが現れると男子も女子も揃って、好意的に彼を迎えた。キリルがどこへ向かうつもりなのか誰もが知っているので、生徒達は自然と道を開ける。すると必然的に、葵達の元へと続く花道が出来てしまった。
(……何、この雰囲気)
これではまるで、キリルと葵がクラス公認のカップルのようではないか。クラスどころの騒ぎではなく、下手をすると学園公認のカップルにされているのかもしれない。公衆の面前ではっきりと断ったのに何故こういうことになるのかと、頭痛を覚えた葵はこめかみに指を押し当てた。
「よう来たな」
「……おう」
頭を抱えているうちに傍までやって来たキリルがクレアと言葉を交わしたので、彼らそれぞれの態度を意外に思った葵は別の意味で眉根を寄せた。先日までキリルに対して憤っていたクレアが自分から彼を迎えたことも、またキリルがぶっきらぼうながらクレアにちゃんとした挨拶を返したことも、驚くべき変化だ。
「何かあったの?」
葵が思わずといった調子で尋ねると、揃ってこちらを振り向いたキリルとクレアはキョトンとした表情をした。何を問われているのか分からないといった彼らの態度に、葵は「なんだか仲良くなったみたいだから」という一言を付け加える。するとクレアが、ニヤリと笑ってキリルを仰いだ。
「仲良くなんてあらへんよな?」
クレアから同意を求められたキリルは怯んだ様子で口をつぐんでしまった。そのままクレアの問いかけには答えず、キリルは葵を振り向く。
「
「……何で?」
「いいから、来い。おま……、クレアも」
「りょーかいや」
キリルからの申し出にクレアはすぐさま頷いて見せたが、葵はキリルの発言にひどい違和感を覚えて眉根を寄せていた。葵からははっきりとした答えを聞かないうちに、キリルは転移の呪文を唱えて姿を消す。おそらくは先に、シエル・ガーデンへ行ったのだろう。
「ほな、うちらも行こか」
クレアに促された葵はクラスメート達ににこやかな顔で見送られながら、三年A一組の教室を後にした。しばらく廊下を歩いて、辺りに人気がなくなったのを確認してから、葵は先を行くクレアの袖を引く。
「ねぇ、さっきのアレ、何?」
「さっきのアレって何や?」
「キリルと何かあったでしょ?」
それはもはや、疑惑ではない。確実に何かがあったはずだと葵が言葉を重ねると、クレアは何故か笑みを浮かべた。
「うちなぁ、今までキリルのこと単純バカやと思っとったけど、とんでもないわ。本来の性格とやらは意外に強かで、計算高いかもしれへんで」
「計算高い?」
それは煽られてはすぐに熱くなり、直情的な行動をするキリルから最も縁遠い単語のように思われた。単純バカと言われた方が納得出来ると葵が眉根を寄せていると、クレアはキリルのイメージを見直すに至った経緯を語り出した。
「あのお坊ちゃんな、うちを牽制してきたんや」
クレアの話によると、キリルは葵に近付くにあたってクレアの存在が邪魔になると感じていたのだという。だから邪魔をされる前に、先手を打ってクレアを懐柔しようとした。そうした話を聞かされた葵は、いまいち状況が呑みこめずにポカンと口を開ける。
「何……それ」
「利口なやり方やと思うわ。単純バカと思って侮っとると、食われてしまうかもしれへんで?」
クレアが何気なく口にした『食われる』という言葉に思いのほか説得力があって、身の危険を感じた葵は青褪めた。
「わ、私、帰る」
「まあまあ、落ち着きぃや。うちがちゃあんと釘刺しておいたさかい、滅多なことはあらへん」
「釘って、何言ったの?」
「もしまたアオイを傷つけよったら、うちがおたくを半殺しにして吊るし上げる。って言うてきたわ」
それでもキリルは、クレアの脅しに屈しなかったのだという。自分の知らないところで話が進んでいることを認識した葵は、キリルの言動に何を思うより先に状況自体が怖いと思った。
「ま、それはともかくとして、シエル・ガーデンには行った方がええと思うで。たぶん、アオイにとってエエことが起こるはずや」
クレアの口ぶりは何かを知っていることを示唆していたが、それ以上のことは教えてもらえなかった。キリルに会うのは気が進まなかったものの、その『いいこと』が気になった葵は結局、クレアと共にシエル・ガーデンへと足を運ぶ。そこにいたのはキリルだけではなく、オリヴァー=バベッジの姿を認めた葵は胸を撫で下ろした。
「お、来たな」
葵とクレアを笑顔で迎えたオリヴァーは、そう言うと隣にいるキリルを振り向いた。オリヴァーの視線を受けたキリルは、シエル・ガーデンの一画にある、とある部分を指で示す。そちらに顔を傾けて見ると、何やら地味な植物が生えているのが目に留まった。
「あれ、やる」
「あ、そう……」
キリルにプレゼントだと言われても「ありがとう」と言えなかったのは、その植物がひどく地味だったからだ。シエル・ガーデンで咲き誇っている他の花のように色鮮やかな花弁もなければ、いい香りがするわけでもない。しかも花束のようにまとまっているものでもないので、持ち帰るには自分で刈り取らなければならない。そんな物をもらっても……と微妙な気分になっていた葵は、その植物を眺めているうちにあることに気が付いた。
(……ん?)
よくよく観察してみると、その植物の形状には見覚えがあるような気がする。葵がそう思い始めた頃には、静かなシエル・ガーデンにキリルの怒声が響き渡っていた。
「話が違うじゃねーかよ!」
クレアに向かって怒鳴っているところを見ると、二人の間で何か取り決めがあったのかもしれない。そう察した葵は説明を求めて、キリルに噛み付かれているクレアを見た。興奮しているキリルを軽く往なした後、クレアは呆れ顔を葵に向けてくる。
「あんなに欲しがっとったのに、そのリアクションはないんちゃう?」
「えっ……ってことは、これって、やっぱり?」
「ラルフウッドっちゅー島に自生しとる、アオイが欲しがっとった植物や」
「うそ!」
『プレゼント』の意味をようやく理解した葵は、稲に似た植物の元に駆け寄った。垂れ下がっている穂を掌に乗せてみると、
「それなんか?」
「そう、これ」
「で、これをどうやって食べるんや?」
「それ、食うのか?」
葵とクレアで話をしていると、オリヴァーが興味津々といった様子で口を挟んできた。プレゼントとして用意したものの用途までは知らなかったようで、キリルも不思議そうに葵の手元を見ている。葵がクレアに食べ方を説明しているうちに、実際にここで炊いてみようという話になり、シエル・ガーデンでは精米作業が始まった。
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