不審の種

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「あの話じゃなくてさ、クレア自身のことだよ」

 そう言って話を切り出すと、オリヴァーはクレアが何故、故郷である坩堝るつぼ島を出たのかと尋ねた。一緒に暮らしてはいるものの、その辺りの事情は何も知らない葵もクレアに目を向ける。

(そういえば、クレアのことってほとんど知らないんだよね)

 葵が知っているのはクレアの故郷が坩堝島という辺鄙な所にある島であることと、彼女がユアン=S=フロックハートという少年の私用人をしているということくらいだ。しかし自分のことを話したくないというわけではないらしく、クレアは表情を変えることなくオリヴァーの問いかけに応じた。

「うちなぁ、父親を探しとるんや」

「父親?」

「せや。この大陸のどこかにおるらしいんやけど、それ以上のことは分からへん」

 クレアの話によると、彼女は故郷の坩堝島で母親と二人で暮らしていたらしい。クレアの父親は漂流者で、フラリと島に現れてクレアの母親と恋に落ちた。だがクレアが物心つく頃には、すでに父親は島にいなかったのだという。

「うちは別に、父親がおらんでもどうっちゅーこともなかったんやけどな。せやけどおかんは、親父が帰って来るんを待っとった。それで親父に興味を持ったんや」

 クレアの話を聞いていて葵はふと、以前に彼女が零していた独白を思い出した。


『好きになった相手とは一緒にいたいわなぁ』


 遠い目をしてそう呟いていた時、クレアは両親のことを考えていたのかもしれない。淡々と語るクレアからは彼女が父親に対してどういう感情を抱いているのか読み取らせなかったが、葵はクレアの父親をひどいと思った。

「そんな事情があったのか……」

 クレアに過去を語らせたオリヴァーは責任を感じたのか、沈痛な面持ちになっている。それを見たクレアは苦笑いを浮かべた。

「うち、湿っぽいのはイヤやねん。そんな顔せんといてや」

「父親を見つけたら帰るの?」

 クレアに言われてもなお顔を曇らせているオリヴァーとは対照的に、ハルが無感動な調子で口を挟んできた。湿っぽいのが嫌いなクレアも、いつもと同じ調子で答える。

「それは分からん。もう、うちを待っとる人はおらんからな」

「え? お母さんは?」

「ポックリ逝ってしもうてな。せやから父親を探してみようと思ったんよ」

 クレアから返ってきた答えに、葵は言葉を失くしてしまった。マジスター達も口を開かなかったため、静かなシエル・ガーデンに沈黙が流れる。すぐさまそれを破ったのは、クレアだった。

「皆してうちが不幸やって顔しとるけど、実際は真逆やで。うちは今、これまでにないくらい幸せなんや」

 明るい表情で言うと、クレアは肩口にいるワニに似た魔法生物に触れた。彼の名はマトといい、マトはクレアのパートナーなのである。感情の機微を理解しているマトはそっと、クレアの頬に口を押し当てた。

「うちにはマトもおるし、島を出たおかげでアオイみたいな友達にも会えたんや。貴族しか通えんっていう名門校にも通わせてもらっとるし、おたくらかてもうダチみたいなもんやろ?」

 クレアがマジスターに向けて友人発言をすると、オリヴァーだけがすぐに頷いて見せた。ハルは無表情を崩さず、キリルは微妙そうな表情をしていたが、それでもクレアは朗らかに笑う。強いなと、葵は感銘を受けていた。視線に気がついたのか、振り向いたクレアが柔らかな笑みを浮かべる。

「それになぁ、人生変えるような主に恵まれたんや。これ以上幸せなことなんて、そうそうあらへんやろ?」

 その一言にユアンとクレアの絆の深さが表れているような気がして、温かな気持ちになった葵も笑みを返した。するとオリヴァーが、何かに納得したかのような面持ちになって言葉を紡ぐ。

「レイチェル=アロースミスってのは噂通りの人物なんだな」

「ああ、ちゃうわ。レイチェル様は主やない」

 オリヴァーとクレアは至って普通にそんな会話をしていたが、傍で話を聞いていた葵は違和感を覚えて首を傾げた。その正体が何であるのかを知った時、葵は愕然として目を見開く。

「ちょ……、クレア! 何バラしてんの!」

「……あ」

「え?」

 クレアが「しまった」という顔をしたのと同時に、マジスター達が一斉に葵を振り返った。その反応で自分もまずいことを口走ったと察した葵は慌てて口元を手で覆う。しかしもう、後の祭りだった。






 葵を先に帰した後、クレアはシエル・ガーデンに居残ってマジスターと向き合っていた。クレアと葵が直接的にレイチェルと知り合いであることを知ったマジスター達は、それがどのような繋がりなのかを訝っている。レイチェル=アロースミスという人物は世間に名を知られた偉人なので、他にも興味は尽きないだろう。それが分かっているだけに、クレアは質問を浴びせられる前に先手を打つことにした。

「確かに、うちもアオイもレイチェル様と直接の知り合いや。せやけどアオイもうちも、何も喋らんで」

「分かったから、そんなに身構えるなよ」

 興味津々といった態度は崩さないものの、クレアがこういった出方をしてくることはすでに承知していたようで、苦笑いを浮かべたオリヴァーが宥めるように語りかけてきた。そしてすぐさま、彼は話題を変える。

「レイチェル=アロースミスのことは訊かないけどさ、他にも気になってたことがあるんだ」

「……何や」

シエル・ガーデンここってさ、転移魔法じゃないと出入り出来ないようになってるだろ? クレアとアオイはどうやって、魔法を使わずに入って来てるんだ?」

 オリヴァーの口から出てきたのは今更な問いかけで、どんな質問をされるのかと身構えていたクレアは呆れながら肩の力を抜いた。

「なんや、そんなことかいな」

 シエル・ガーデンには隠された通路があって、自分達はそこを通って出入りしている。クレアがそういったことを明かすと、オリヴァーだけでなくキリルやハルも驚いた表情になった。

「そんなものがあったのか」

「キル、知ってた?」

「いや、知らねぇ。どこのどいつがそんなもん造りやがったんだ?」

 オリヴァーは独白を零しながら辺りを見回していて、ハルとキリルは知らなかったことを確かめ合っている。アステルダム分校のマジスターはもう一人いるが、三人がこの調子ではウィルも知らないのだろう。この花園は一般の生徒の出入りを制限しているマジスター達の領域であり、そんな彼らが通路の存在を知らなかったことを、クレアも今更ながらに不思議に思った。

「ここ、おたくらのたまり場やろ? それなのに何で誰も知らんの?」

「そう言われてもな……。クレアは何でその通路を知ったんだ?」

「うちはアオイに教わったんや。アオイがどうして知っとったんかは、知らん」

「それ、どこにあんだよ?」

「俺も見たい」

 キリルとハルが問答無用で席を立つと、オリヴァーもそれに倣って立ち上がる。案内しろと言われたので、クレアはマジスター達を伴って花園の中を歩き出した。

 非常に透明度の高いガラスで覆われているので中外の別が分かり辛いが、シエル・ガーデンは半円形の建造物である。隠された通路というのはドームの内側にもう一つドームがあり、その二つの間に存在していると考えれば分かり易い。ドームの内側から通路に入る目印は、足下に咲いている小さな白い花だった。長方形に区画された部分に植えられているその花を踏まないように飛び越えると、その先が通路になっているのだ。

 隠された通路を目の当たりにして改めて驚いているマジスター達を引き連れ、クレアは回廊を一周してみることにした。回廊は基本的には一本道なのだが、外へと辿り着くまでにはVIP用と思われる広々とした部屋やバルコニーがある。回廊を歩いているとバルコニーの方から話し声が聞こえてきたので、先頭に立って歩いていたクレアは動きを止めた。






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