不審の種

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(……はあ)

 失言のフォローをクレアに任せて一人で花園を後にした葵は、シエル・ガーデンに隠された秘密の通路を辿りながら深いため息を零していた。マジスターに、自分達がレイチェルと知り合いであることがバレてしまった。それをこれから、レイチェルの弟であるアルヴァ=アロースミスに報告しなければならない。そのために前へ進んでいるわけなのだが、どんな叱りを受けるのかと思うと気が重かった。

 普段はそうでもないのだが、葵は時々、アルヴァのことを『怖い』と感じることがあった。それは彼が目の色を変える時で、レイチェルに関する話題などはまさにそれだ。それともう一つ、葵の足を鈍らせている要因がある。最後に会った時のアルヴァの様子を思い出した葵はさらに気分を沈ませ、歩調を遅くした。

(機嫌、悪くないといいなぁ)

 最近のアルヴァは予測のつかないところで不機嫌になったり、急に威圧的になったりする。素っ気なく接される原因はよく分からないが、彼が威圧的になる点については心当たりがあった。『禁呪』というものが絡む時、アルヴァはひどく冷淡な表情を見せるのだ。

(一人の時、アルって何してるんだろう)

 アルヴァの肩書きはアステルダム分校の校医ということになっているが、彼は生徒の前には決して姿を現さない。保健室の業務は代理に任せ、自身は保健室に酷似した窓のない部屋で引きこもっているのだ。以前にその部屋で何をしているのかと尋ねた時、アルヴァは主に研究をしているのだと言っていた。その研究とは、ひょっとして禁呪に関わるものではないだろうか。そう思った葵は叱られる憂鬱さとは別に、胸を鬱がせた。


――禁呪は世界の理を乱すものだ。決して触れてはいけない


 葵は以前、この世界に存在する精霊達の長に会ったことがある。彼はアルヴァを名指しして、そう忠告して欲しいと葵に言ったのだ。アルヴァが陰で何をしているのかは分からないが、精霊の長からそうした伝言を託されるくらいなのだから、それはきっと良くないことなのだろう。

「!?」

 考え事をしながら回廊を歩いていた葵は、背後から伸びてきた手に突然背中を押された。突き飛ばされる形でバルコニーに出た葵は体勢を立て直して振り返り、そこで目にした人物の姿に目を瞠る。

「ウィル……?」

 赤い髪が印象的な少年は、アステルダム分校のマジスターの一人であるウィル=ヴィンスだ。もともと細身の少年ではあったのだが、久しぶりに対面したウィルは病的に痩けている。そして何よりも記憶と違っていたのが、彼の表情だった。

「あいつは、どこにいる?」

 やつれたウィルの顔には焦燥感が滲み出ていて、搾り出された声も掠れていた。質問の意味が分からずに葵が困惑していると、ウィルは爪が食い込むほどの勢いで肩を掴んでくる。その荒々しい行動に恐怖を抱くよりも先に、葵はウィルの瞳に釘付けになった。葵の奥に誰か別の人物の姿を見据えている彼の瞳は、怒りと恐怖で我を忘れてしまうほどに昏く沈んでいる。

「あいつはどこにいるんだ!!」

 ウィルが声を荒らげた瞬間、葵とウィルの間に突如として熱が生まれた。葵の左手の薬指から生じた炎は、敵と見做したらしいウィルにまとわりついていく。業火の向こうにウィルの姿が消えてしまうと、葵は慌ててその場を離れた。

「も、もういいから!」

 危機を察して現れてくれた炎の守護者フレーム・ガルディアンがどうしたら消えてくれるのか分からず、葵は必死の思いで語りかけた。人語を理解出来るのかは分からないが、フレーム・ガルディアンは葵の言に従って指輪へと戻って行く。バルコニーに渦巻いていた炎も同時に引いて行ったので、葵は慌てて倒れこんでいるウィルの傍へ寄った。

「ウィル! 大丈夫!?」

「……大丈夫に見えるの?」

 悪態をつきながら体を起こしたウィルは、肌や髪などを炎に焼かれてしまっていた。特に上半身の被害が酷く、ウィルは半裸状態になってしまっている。焦った葵は目を背けたのだが、一瞬の光景が頭に焼き付いてしまっていた。その光景に異様なものが映っていたため、葵は再びウィルに視線を転じる。そして彼の胸元に、釘付けになった。

 改めて見てみると、ウィルの胸では刺青のような荊が蔓を伸ばしていた。写真のように精巧なそれは、実際彼の体に荊が巻きついているのではないかと思うほどリアルなのだが、本物の植物のように凹凸はない。これと同じものを、葵は見たことがあった。そして葵は、その荊が持つ意味を知っている。

「これ……」

「これが何なのか、知ってるの?」

 無意識のうちに零れた独白に、ウィルが反応を返してきた。どう答えたらいいのか分からず、葵は眉根を寄せながらウィルを仰ぐ。それなら話が早いと、独り言のように呟いたウィルは再び葵の肩に手をかけた。

「あいつがどこにいるのか、教えてよ」

 昏い感情を湛えた瞳に間近から覗きこまれ、葵はゾクリとした。今のウィルからは空腹時の肉食獣のような獰猛さが感じられて、非常に危険だ。本能的に逃げなければと思った葵は緊張に体を強張らせたのだが、膠着状態は長く続かなかった。

「てめぇ!! 何してやがる!!」

 不意に第三者の怒声が降ってきて、目の前にあったウィルの顔が見えなくなった。それはキリルが背後からウィルを襲ったからで、力任せに後ろに引かれたウィルは倒れこんでしまっている。いきなりの出来事に、葵はあ然とした。

「おい、大丈夫か!?」

 床に座り込んだまま呆けていると、心配そうな顔をしているキリルが視界に入り込んできた。それで我に返った葵はキリルを押し退け、倒れこんだまま動かないウィルの元へと向かう。

「ウィル!」

「……ウィル?」

 葵が助け起こした人物がウィルであることを知ると、キリルは不思議そうな表情で傍へ来た。倒れている人物の顔を覗き込んでも尚、キリルは不思議そうに首を傾げている。そこへクレアとハルも姿を現して、経緯の見えない事態に怪訝そうな顔をした。最後にバルコニーに出てきたオリヴァーだけは、何故か険しい表情を浮かべてウィルを注視している。

「一体、何があったんだ?」

 オリヴァーが硬質な表情を崩さないまま尋ねてきたので、葵はウィルがフレーム・ガルディアンに攻撃されてしまったことと、キリルがウィルを引き倒したことだけを簡単に説明した。すると話を聞いていたハルが、ウィルらしくないと独白を零す。葵には何が『らしくない』のか分からなかったが、そう感じたのはキリルやオリヴァーも同じなようだった。

「……とにかく、移動しよう」

 そう言い置くと、オリヴァーは異次元から魔法書を取り出した。オリヴァーが呪文を唱えると、魔法書から現れた魔法陣がその場にいた全員を呑み込むように展開される。転移の魔法によって移動した先は、以前に一度だけ訪れたことのあるオリヴァーの部屋だった。少し廊下で待っていて欲しいとオリヴァーに言われた葵とクレアは、彼の言葉に従って室外へと移動する。しばらく廊下で待っていると室内から声がかかり、再び部屋の中に入るとウィルが目を覚ましていた。

「へぇ。髪、切ったんやな」

 ボロボロになっていたウィルはすでに着替えを済ませていて、焼けてしまった髪もバッサリと切って体裁を整えていた。その短さはハルと同じくらいで、以前は前髪に隠れていた眉毛が露わになっている。だいぶイメージが変わった彼は、そうして見ると双子の兄弟であるマシェルに似ているように思えた。しかしマシェルの話題は、ウィルにはタブーである。そのことを知っている葵は感想を胸中で留めたのだが、クレアは開けっ広げに言ってしまった。次の瞬間、ウィルの形相が不快感に歪む。

「ウィルが嫌な予感がするって言って消えた後、マシェルがアステルダムに来たんだ。それで、つい最近まで学園にいた」

 ウィルとクレアが険悪になりそうなところで、話を始めたのはオリヴァーだった。そういった場面で気を利かせられるのがオリヴァーという人物なのだが、容喙した口調に平素の穏やかさはない。硬い表情のまま、オリヴァーはウィルに向かって言葉を重ねた。

「ウィル、学園に来なかった間に何をしてたんだ」

「何って、言われてもね」

「マシェルが何でアステルダムに来たのか、知ってるんじゃないのか?」

 オリヴァーが語気に鋭さを含ませると、ウィルは閉口して視線を泳がせた。そうして少し間を置いた後、ウィルはオリヴァーに視線を据える。

「あいつは何て言ってたの?」

血の誓約サン・セルマンのせいで体がおかしくなった。でも自分はそんなものしたことがない。こういう時は大体ウィルの仕業だって、言ってたぜ」

「……あ、そう」

「ウィル、お前も誰かと血の誓約サン・セルマンを結んだって言ってたよな?」

 剣呑な雰囲気が漂うオリヴァーとウィルのやりとりを聞いていた葵は、何かが腑に落ちてしまったような気がしてギクリとした。血の誓約。その単語から、ある人物を連想してしまったからだ。






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