不審の種

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 転移魔法によってアステルダム分校に戻って来た後、クレアは一人で屋敷に帰って行った。それは彼女が葵の行動を先読みしているためで、気を遣ってくれたのだということが分かる。クレアほどには無理だろうが、キリルにもせめてオリヴァーくらいには、気遣いの心というものを持ってもらいたいものだ。そんなことを考えながら、葵は校舎の北辺にある保健室へと向かった。

 保健室の前に立つと、葵は常には感じない緊張を覚えた。きっちりと隙間なく閉ざされている扉が、この部屋の主の心を表しているかのように感じられたからかもしれない。これから葵は、アルヴァが固く心を閉ざしている部分に踏み込んでいかなければならないのだ。どんな反応をされるか予想がついてしまうだけに、葵は息苦しさを感じながら鍵を取り出した。

 保健室の扉を魔法の鍵マジック・キーを使って開く時、その先は保健室に似て非なる部屋へと続いている。窓がなく、どこか陰鬱な空気が漂っているその部屋は、アルヴァが魔法で作り出した私室だ。扉を開けるとすぐ、壁際のデスクにいる青年の姿が目に留まった。白衣を着ている彼はアステルダム分校の校医である、アルヴァ=アロースミスだ。

「やあ」

 椅子ごと体を回転させて振り返ったアルヴァは、その碧眼に葵の姿を映すといつものように彼女を迎えた。ひとまず今は、アルヴァの態度に邪険さは感じられない。しかしこの雰囲気が長くは続かないことを知っている葵は緊張を漲らせながら室内へと歩を進めた。

「何があった?」

 葵の変化に敏感なアルヴァは、葵が簡易ベッドに腰を落ち着けるとすぐに断定的な口調で尋ねてきた。何から話を切り出すべきか迷った葵は、先にレイチェルの話から始めることにした。

「ごめん。マジスターに、私とクレアがレイと知り合いだってバレた」

 頭を下げたはいいものの、葵はアルヴァの反応が怖くてそのまま動けなくなってしまった。叱責の言葉が飛んで来るでもなく、室内が静まり返っているのが逆に恐ろしい。しばらくすると「頭を上げなよ」というアルヴァの声が聞こえてきたが、その口調からは彼がどのような感情を抱いたのか読み取ることは出来なかった。

 アルヴァの言に従って、葵は恐る恐る顔を上げた。アルヴァは無表情のままで、顔を見てもやはり、彼がどう受け止めたのかは分からない。しばらく葵を見据えた後、アルヴァは視線を泳がせてため息をついた。

「バレたって、どんな風に?」

 アルヴァに尋ねられるがまま、葵は口を滑らせてしまった状況を事細かに説明した。先にクレアが失言してしまったのだと聞くと、アルヴァはまた息を吐く。

「まあ、ミヤジマもクレア=ブルームフィールドも、よく持った方かな」

「怒って……ないの?」

「好ましいことではないけどね。バレたものは仕方がないだろう?」

「……まあ、うん」

「繋がりがバレたからといって、口を軽くしてもらっては困るけどね」

「それは、言わないよ」

 今回のようについ口が滑ってしまうことが皆無とは言い切れないので、安心しろとは言えなかった。それでも誠意は伝わったようで、アルヴァは微苦笑を浮かべる。

「僕が怒ると思って、そんなに緊張していたのか?」

「……だってアル、レイのことになると怖いんだもん」

「レイチェルのことより、ユアンのことが漏れる方が問題が大きいんだよ。クレア=ブルームフィールドにも、その辺りは言い含めておいて欲しい」

「分かった。あと、ウィルのことなんだけど……」

 葵が話題を変えた刹那、苦笑を浮かべていたアルヴァの表情が一変した。その変化を目の当たりにしてしまった葵はドキッとして、言葉を途切れさせる。

「ウィル=ヴィンスが、どうした?」

 険しい表情を見せたのは一瞬のことで、アルヴァはすぐ真顔に戻って尋ねてきた。しかし真っ直ぐに見据えてくる瞳の奥には、ただならぬ剣呑さが秘められている。その昏い輝きはウィル以上に迫力があって、葵は背筋が冷たくなるのを感じた。

(やっぱり、アルがやったんだ……)

 ウィルの体に刻まれていた、荊の刻印。あれは禁呪を復活させることに失敗した者が負う罰なのだと、レイチェルが言っていた。ウィルはそれを、アルヴァがやったのだと言外のうちに主張している。そしてアルヴァの過剰な反応は、それを肯定していると見て差し支えないだろう。

「ねぇ、アル。いつも一人で、何してるの?」

 葵からの問いかけが予想外のものだったのか、アルヴァは眉間にシワを寄せた。しかしすぐ、彼は真顔に戻って言葉を紡ぐ。

「ミヤジマには関係ない。それより、ウィル=ヴィンスがどうしたって?」

「ウィルの体にレイと同じものがあった」

「あれを見たのか?」

 アルヴァは驚いた様子で目を見開いた。その驚きはどうやら、ウィルの体を見たことよりも葵がレイチェルの秘密を知っていたことの方が大きかったようだ。それはアルヴァにとって誤算だったようで、彼は難しい表情をして口元に手を当てている。考えこんでいるようだったが、葵は構わずに言葉を次いだ。

「あの荊、禁呪を復活させようとして失敗した罰なんだって、レイが言ってた。ウィルもそうなの? それがアルと、どういう関係があるの?」

「ミヤジマ、それは……」

「私には関係ないから口出すなって?」

 また同じ科白を繰り返そうとしていたのか、葵に先手を打たれたアルヴァは黙り込んだ。確かに、アルヴァとウィルの問題は葵には直接の関係はないかもしれない。けれど葵は、精霊王にアルヴァへの伝言を託されたのだ。

「禁呪っていうものに関わっちゃダメだって、言ったじゃん。アルが何してるのか知らないけど、こういうの良くないよ」

 具体的なことは何も分からなくても、葵にはアルヴァの行動がひどく危ういものなのだということだけは理解出来た。そうでなければ精霊達の長が、自分に不都合になると承知で忠告などしてこないだろう。口止めされているので精霊王のことは説明出来ないのだが、葵は何とかアルヴァに解ってもらおうと必死だった。

「ねぇ、ウィルを元に戻してあげてよ。それで、禁呪っていうものにはもう関わらないようにして?」

 葵が訴えかけると、アルヴァは何かを呟いた。しかしその声は小さく、葵の耳には届かない。聞き返そうと思い、口を開きかけた葵は言葉を紡ぐ前に閉口してしまった。視線を向けてきたアルヴァが、ひどく冷たい表情をしていたからだ。

「ミヤジマにはそれが、どういうことなのか解っていないみたいだね」

「……え?」

「召喚魔法も禁呪なんだよ? 僕に関わるなと言うからには、ミヤジマも諦める覚悟が出来ているんだろうね?」

「……それは……」

「諦められないのなら、口出ししないでもらいたいね」

 アルヴァの瞳には非難の色が濃く顕れていて、反論出来なかった葵は言葉を失った。葵が黙り込んだのを見て、アルヴァはデスクに向き直る。

「この件については、これ以上話しても無駄だね」

 暗に退出を促しているアルヴァの声は、冷たかった。背を向けた彼からは強い拒絶が滲み出ていて、居た堪れなくなった葵は立ち上がる。別れの挨拶もなく『アルヴァの部屋』を後にすると、葵は泣きそうになりながら帰路を辿った。

(禁呪って、何なんだろう……)

 禁呪とは何らかの理由によって封印されている魔法のことなのだと、レイチェルが言っていた。しかし、そういった表層的な知識だけでは駄目なのだ。アルヴァを説得するには禁呪のことを深く知り、さらには彼と禁呪の因縁を知らなければならない。その因縁はおそらくアルヴァの過去に関するもので、レイチェルとも深い関わりがあるのだろう。いっそのことレイチェルに尋ねてみようかとも思ったのだが、葵はすぐに自分の考えを打ち消した。

(私がそこまで踏み込むのも、どうなんだろう)

 今までに幾度か、アルヴァは自分の過去を語ろうとしたことがある。しかし葵は意図的に、それを拒絶してきたのだ。アルヴァとの距離を、縮めすぎないために。それを今になって受け入れると言ったところで、アルヴァは嫌がるだろう。また自分の心情的にも、知るのが怖かった。

(…………)

 精霊王の言葉を伝えるという役目は果たしたのだから、いっそ見なかったことにしてしまえばいい。何度考えてもそれが一番いいのだということは分かっていたが、それでも心は晴れなかった。何かがひどく、不安を煽るのだ。

「おかえり。歩いて帰って来たんか?」

 考え事をしながら帰宅を果たすと、エントランスホールでクレアが出迎えてくれた。彼女がそこに現れたのは偶然ではなく、どうやら葵を待っていたらしい。

「アル、怒っとったか?」

「え? ああ……それは、大丈夫。なんか、レイのことよりもユアンのことがバレる方がまずいから気をつけてって言ってた」

「分かったわ、気ぃつける。ほんま、ごめんなぁ」

 顔をしかめて謝ると、クレアはマジスター達に「自分達は絶対に喋らない」という宣言をしてきたのだと明かした。クレアらしい物言いだと葵が頬を緩めると、彼女は話題を変える。

「せや、さっきユアン様から連絡があってな。今晩やったら時間が取れるって言うとったで」

 葵は元々、召喚魔法の話を詳しく聞きたくてユアンと面会の約束を取り付けようとしていた。他のことで頭がいっぱいでクレアに頼んだことすら忘れていたのだが、ユアンの姿を思い浮かべた葵には彼がこの事態を打開してくれる救世主のように思えた。それまで浮かない顔をしていた葵が食いつくように頷いて見せたので、クレアは眉根を寄せる。しかし聡い彼女は、何も聞かないでいてくれた。






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