不審の種

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 ユアンがレイチェルを伴って葵達の元を訪れたのは、冬月とうげつ期にしては珍しく姿を現した月が中天に昇った頃だった。夜空に二つの月が浮かぶこの世界には時計というものがないので正確な時間は分からないが、葵の感覚に照らし合わせてみると日付が変わるくらいの頃合だと思われた。深夜の来訪のため、長話は出来ない。それが分かっていたので、葵はすぐにユアンと二人で話がしたいと申し出た。

「クレアやレイに聞かせたくない話ってことは、アルのこと?」

 手作業で紅茶を淹れてくれたクレアが去って行くと、ティーカップを手にしたユアンはそんな風に話を切り出した。彼はまだ十三歳の少年だが、葵よりも頭の回転は早い。葵が頷いて見せるとユアンは苦笑いを浮かべた。

「ケンカでもした?」

「ケンカっていうか……」

 ただの喧嘩で済むのなら、単純でいい。しかし事は、精霊達の長まで巻き込むような大事なのだ。

「精霊王に会ったの」

 葵がまずそのことから打ち明けると、ユアンは驚愕の表情を浮かべた。

「どこで?」

「えっと、私がクラスメートとちょっとイザコザがあったっていうのは知ってる?」

「うん、聞いてる。アオイが拉致されたって聞いた時は驚いたけど、その件はもう解決したんだよね?」

「うん。それは、大丈夫。その、閉じ込められてる時にね、精霊王に助けてもらったの」

「……そうだったんだ」

 そこで口をつぐむと、葵から視線を外したユアンは思案に沈んだようだった。平素であれば情報を整理する時間くらいは待つのだが、切羽詰った気持ちになっていた葵はユアンの反応を待たずに言葉を続ける。

「その時に、アルに禁呪に関わるなって伝えてって、言われたの」

 精霊王に自分の存在を隠して欲しいと言われたため、葵はアルヴァにも伝言の主を教えなかった。それをユアンに明かしたのは、彼が人界の調和を護る者ハルモニエだからだ。人王と呼ばれるユアンは、おそらく精霊王と対等な、世界にとって特別な存在なのだろう。だからユアンになら打ち明けても大丈夫なのではないかと、葵は思ったのだった。

「……アルは、それ聞いて何て言ってた?」

 しばらくの沈黙の後、ユアンが口火を切った。彼の表情はいつになく硬く、それが事の重大さを示唆している。やはり今の状態は、非常にまずいのだ。ユアンの反応から改めてそう感じた葵は目を伏せながら答えを口にした。

「すごく、怖い顔してた。誰がそんなこと言ったんだって、問い詰められた」

「それで、精霊王のこと教えちゃった?」

「ううん。それは、言ってない」

「そう……」

 手にしたまま口に運ばずにいたティーカップをソーサーに戻すと、ユアンはそこで表情を改めた。彼の顔から険しさが消えた理由をどう解釈すればいいのか分からず、葵は黙ってユアンを見つめる。目が合うと、ユアンは微苦笑を浮かべた。

「ハルモニエには不干渉の約束があってね、あまり他のハルモニエが管轄しているところに関わっちゃいけないことになってるんだ。だから精霊王の行為は、ギリギリの瀬戸際なんだよね」

 ある特定の人間に対して精霊王が意見することは、本来ならばあってはならない。それを可能にしたのは葵が『ヴィジトゥール』と呼ばれる存在だからなのだと、ユアンは語った。

「アオイは限りなく人間に近いけど、この世界のどこにも属してはいない。だから伝言なんてことが出来たわけなんだけど、これってかなりの荒業なんだよ。言い換えればアルが、それくらい危ない状態にあるってことなんだよね……」

 物憂げに空を仰いだユアンは表情を曇らせたが、アルヴァがどうして危ういのかは彼にも分からないようだった。何か心当たりはないかと尋ねられたので、葵はドキリとする。昼間ウィルの体に見た異変が鮮明に蘇ってきた。

「ユアンはレイの体のこと、知ってるの?」

「レイの体のこと?」

「その、禁呪関係の……」

「ああ……アオイもアレ、見たんだ?」

 ユアンははっきり何とは言わなかったが、おそらく葵が思い描いているものと彼が想像しているものは同じだろう。話が通じたようだったので、葵は説明を続けることにした。

「マジスターの一人に、アレと同じものがあったの」

「えっ? マジスターの、誰?」

 アステルダム分校のマジスターは全員把握しているとユアンが言うので、葵はウィルの名前を挙げた。何か思い当たることがあるのか、ウィルの名前を聞いた途端にユアンの表情が険しくなる。さらなる説明を求められたので、葵は不安を募らせながら話を続けた。

「ウィルに、あいつはどこにいるんだって訊かれたんだけど、その『あいつ』っていうのがたぶんアルのことだと思う。『あいつ』に都合の悪いことは喋れないとかウィルが言ってたから直接聞いたわけじゃないんだけど……」

 何故、アルヴァが疑わしいのか。葵がその理由を説明すると、ユアンは黙り込んでしまった。彼はしばらく険しい表情を崩さなかったが、ある時ふと、表情を緩めて嘆息する。

「話してくれてありがとう」

 葵が不安げな顔をしていたためか、ユアンは優しく微笑んで見せると席を立った。

「この件は僕に任せて。今からアルの所に行ってくるから、レイに適当に説明しておいてくれると嬉しいな」

「うん、分かった」

「じゃあ、またね」

 軽く手を振ると、ユアンは部屋を出て行く。ユアンが「任せて」と言ってくれたことで、一人で気持ちを張り詰めさせていた葵はホッと息を吐き出した。






 冬月期にしては珍しく雲が晴れた夜、アルヴァは美しい月夜を愉しむでもなく、一人で窓のない部屋にいた。取り留めのない考えを巡らせながら煙草を吹かしていると、やがて背後に人の気配が生まれたので、一つ息を吐いてから手にしていた煙草を灰皿で揉み消す。椅子ごと背後を振り返ってみると、深夜の来訪者は予想していた人物だった。

「ミヤジマに何か聞いたのか」

「まだ何も言ってないよ?」

 尋ねられてもいないうちから本題を口にすると、ユアンは呆れたような顔をして肩を竦めた。はっきりと肯定したわけではないが疑問を口にしないところをみると、やはり本題は禁呪のことのようだ。ユアンの態度からそう察したアルヴァは深く息を吐く。

「どこまで推察した?」

「アルがまだ、例の研究・・・・を続けてたってところかな」

 ユアンの言う『例の研究』は話の核心で、アルヴァはすでに全てが露見してしまっていることを知った。葵が何を話したのかは分からないが、彼女からは理に適った説明は得られなかっただろう。それでも結論に辿り着いてしまうのが、ユアンの優秀さだ。

「人体実験を、したんだね?」

 破天荒なことを平然とやらかすユアンでも、さすがに問いかけてくる声は硬かった。頷く必要もないと思ったアルヴァは、いつになく真剣な表情をしているユアンを見据えて言葉を紡ぐ。

「それで? 説教でもしようっていうのか?」

「お説教っていうか、忠告かな」

「忠告、ね。ミヤジマも同じようなことを言っていたよ。もっとも、誰かから伝言されたものだったらしいけど」

「アル、」

 皮肉な笑みを浮かべると、ユアンが咎めるように制してきた。アルヴァが口をつぐむと、ユアンは嘆息してから言葉を重ねる。

「気持ちは分かるけど、やりすぎだよ」

「僕の気持ちが分かる、だって? 奢るのもいい加減にして欲しいね」

 昂りに従って発言してしまってから、アルヴァはハッとした。今の科白は完全に失言だが、一度口をついて出た言葉はもう戻らない。ユアンを見ると、彼は悲しそうに顔を歪めていた。

「……今夜は、帰るね。また今度、話し合おう」

 目を伏せてそれだけを言うと、ユアンは転移魔法で姿を消した。また一人きりになった薄暗い部屋の中で、アルヴァは椅子に背をもたれる。

(もう、戻れないんだよ)

 義務を果たすまで、前を見て走り続けるしかない。揺らぎそうになる決意を確固たるものに築き直すため、アルヴァは胸中で独白を零した。






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