捕縛

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 冬月とうげつ期の中間の月である白殺しの月の九日。トリニスタン魔法学園アステルダム分校の校内に終業の鐘が鳴り響くと、宮島葵は机の上に広げていた魔法書を閉ざし、ため息をついた。学園に編入して、約一年。近頃はようやく、この学園の自由すぎる授業にも慣れてきた。教師が言っていることも何となく掴めるようになってきていたのだが、この日は朝からちっとも身が入らなかった。

「浮かない顔、しとるなぁ」

 葵の前の席で椅子に横座りになって話しかけてきたのは、同居人のクレア=ブルームフィールドという少女だ。苦笑いを浮かべた葵は「そんなことない」と返事をしたのだが、それが偽りであることは自身が一番よく分かっていた。しかしクレアは、こういった時に詮索してくるような性質タチではない。すぐに表情を改めると、彼女は話題を変えてくれた。

「明日は休みやし、どっか寄って帰ろか?」

「あ、そっか。明日は休みなんだっけ……」

 この世界の暦では一ヶ月が三十日で、十日に一度休日がある。クレアが仕事のない日なら、パーッと遊んでしまうのもいいかもしれない。葵はそう思いながら席を立ったのだが、戸口に佇んでいる少女の姿を目にした刹那、先約があったことを思い出した。

「アオイ」

 笑みを浮かべながら歩み寄って来たのは、ヘアバンドをしている少女。彼女は名を、エレナという。

「どちらさん?」

 エレナと面識のないクレアが訝しげに尋ねてきたので、葵は図書室で知り合ったことを簡単に説明した。その後、エレナに向かってクレアを紹介する。お互いに名前だけを知る間柄になると、クレアはエレナの顔をじっと見つめた。

「ファミリーネームは何ていうん?」

 葵にはクレアが何故ファミリーネームまで尋ねたのか分からなかったのだが、エレナは特に躊躇もなく『アンダーソン』だと答えた。それで納得がいったのか、クレアは閉口する。クレアが口を閉ざしたのを見て、エレナは葵に向き直った。

「準備が出来たから報せに来たの。これからうちに来てくれる?」

「うん。ごめん、クレア。どっか寄ってくのはまた今度で」

「それはエエねんけど……」

 どうにも何かが引っかかるといった様子で、クレアは眉根を寄せている。その反応を不思議に思った葵が首を傾げた刹那、遠巻きに様子を窺っていたクラスメート達が容喙してきた。

「ちょっと、あなた。アオイさんに馴れ馴れしいのではありません?」

「そうですわよ。アオイさんはあのキリル様の恋人なのですから、口の利き方にお気をつけあそばせ」

 妙な言いがかりをつけられたエレナはキョトンとしていたが、聞き捨てならない発言を耳にした葵は焦って口を開いた。

「恋人じゃないから!」

 わざわざ公衆の面前でキリルをフッたのに、何がどう間違ったらそういうことになるのか。葵としては至極当然の否定をしたまでだったのだが、その一言で教室中が静まり返ってしまった。クラスメート達の誰もが近くにいる者と顔を見合わせているという異様な空気の中、何かがおかしいと思った葵は眉根を寄せる。すると近くにいた女子生徒が、葵の顔色を窺うようにして口火を切った。

「本当に、交際をお断りしますの?」

「キリル様に恥をかかせるなんて、許されませんわよ」

 誰かが口にした脅迫めいたその一言で、葵はここ数日の妙な盛り上がりの原因を察した。男子生徒はともかくとして女子生徒は、誰もが葵に選択の余地があるとは考えていないのだ。だからこそ、憧れの存在であるはずのマジスターが特定の人物と親しくしていても文句を言わなかったのだろう。これでもし葵が交際を断るようなことになれば、非難は免れない。

(……あったま痛い)

 誰も彼も、どうしてこう身勝手なのか。その最たるものが左手の薬指に輝いている指輪のような気がして、葵はキリルの言動にも辟易してしまった。するとそこへ、諸悪の根源であるキリルが女子生徒の喚声を引き連れて姿を現す。キリルの顔を見た途端、指輪を外せと言いたい衝動に駆られたが、葵はそれを何とか胸中で留めた。

(そんなことしなくても、外せるんだから)

 まだ知り合って間もないが、葵はエレナに感謝を捧げたいような気分になった。一刻も早く指輪を外したかった葵はエレナを促そうとしたのだが、それはキリルによって制されてしまう。

「行くぞ」

「……どこへ?」

大空の庭シエル・ガーデン

「悪いけど、今日は約束があるから」

「聞いてねーぞ」

 キリルが不愉快そうに顔をしかめたので、押し問答が長くなりそうだと察した葵はエレナに「先に行ってて」と言い置いてからキリルの手を取った。

「ちょっと、来て」

 衆人監視の中では余計なことを言われかねないので、葵はキリルを引っ張って人気のない場所まで移動した。校舎五階にあるサンルームに辿り着くと、引いていた手を離してキリルに向き直る。するとキリルは、何故か真っ赤になっていた。

「な、なに赤くなってるの?」

「っ、何でもねーよ!」

 いつものように怒鳴り返してきた後、キリルは自分の顔に手を当てた。「そうじゃねーだろ」という呟きが聞こえてきたが、意味が分からなかった葵は眉をひそめる。説明を待っていると、やがてキリルが真意を語り出した。

「手、手が……」

「手?」

「おま……、アオイが、手を引くから、」

 照れて、赤くなったのだと、キリルは皆まで言わなかった。それでも十分すぎるほど気持ちが伝わってきて、妙な気分になった葵は数歩後退する。

「そんなことで赤くならないでよ」

「仕方ねぇだろ。嬉しかったんだから!」

 ストレートすぎるキリルの科白に、返す言葉を無くした葵は絶句した。手を引いただけでここまで過剰反応をされると変に照れ臭さを感じないでもないが、それよりも先立っている感情がある。困惑と、呆れだ。

「……あのねぇ、」

 どうやらもう一度、はっきりと断っておく必要がありそうだ。そう思った葵は言いにくいとは感じながらも、惚れるのは無理だと口にした。その一瞬後、真顔に戻ったキリルの顔が歪む。

「ハルのことが好きだからか?」

「……えっ?」

 頭では、そこでハルの名前が出てきたことを意外に感じつつも、鼓動は正直だった。葵がドキリとしてしまったのを見逃さなかったキリルは、憤りのような感情を面に滲ませる。しかし彼は、感情の爆発を理性で抑えこんだ。

「それでも……それでもオレは、お前が好きなんだよ!」

 ちくしょうと叫ぶと、キリルは手近にあった壁を殴りつけてから走り去って行った。言い逃げをされた葵はポカンとして、キリルの姿が遠ざかって行くのを見送る。しばらくの間そうしていたが、やがて重い息を吐き出して、エレナが待つ裏門へと歩き出した。

「あ、おかえり」

 裏門の門柱にもたれていたエレナは、葵の姿を認めると軽く手を振って迎えてくれた。溌剌とした笑みを浮かべている彼女とは対照的に、葵は疲れた笑いを返す。

「お待たせ」

「大変なのね。アオイが指輪リングを外したい気持ち、よぉく分かったわ」

 自分の身に置き換えてみているのか、エレナは何度も頷いて見せた。葵が乾いた笑みを浮かべ続けていると、エレナは話を切り上げて魔法陣へと移動する。

「じゃあ、行きましょうか」

 魔法陣の上にいるエレナに手招きされたので、葵も彼女の傍へと移動した。






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