捕縛

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 エレナに連れて行かれたのは以前に一度だけ訪れたことのある、彼女の家だった。『屋敷』と言うよりは『家』と言った方が似合うくらいのこじんまりとした佇まいは、葵に妙な懐かしさを抱かせる。素朴な安らぎを感じながらエレナの後に続いて行くと、通されたのは以前に話をしたサルーンではなく、着替えをした部屋の方だった。窓にカーテンが引かれているその部屋には見知らぬ人物の姿があって、そんな話を聞いていなかった葵はギクリとした。

「さあ、入って入って」

 戸口で立ち止まった葵を急かすように、エレナが背を押してくる。そうして引き合わされたのは、おそらく二十代だと思われる青年。彼は全体的に色素が薄く、髪などは新雪のように真っ白で、純白のスーツからわずかに覗く素肌も陶器のように透きとおって見えた。そして、何よりも印象的だったのが剣呑な感じのする紅の瞳。その瞳に見入られると萎縮してしまいそうな何かが、青年にはあった。

「ど、どなた?」

「この人がアオイの指輪を外してくれるのよ」

 青年の纏う雰囲気に気圧されしながらエレナを振り返ると、彼女は何の気なしに笑いながらそう言った。そうなのかと思った葵はとりあえず、青年に向かって軽く頭を下げる。しかし「よろしくお願いしますと」と言っても、彼の無表情は動くことがなかった。

(なんだろう……息苦しい)

 青年は美貌の持ち主だが、周囲にそういった人物の多い葵は見慣れている。それなのに、美しい面に表情がないというだけで、こんなにも雰囲気が重くなるものなのだろうか。彼の特異な外見もこの胸苦しさを助長しているようで、葵はさりげなく目を逸らした。

「手を、わたしの方に差し出しなさい」

 初めて聞いた青年の声は、その見た目通り硬質で、冷たい感じがした。彼に視線を戻した葵は左手を持ち上げ、それをゆっくりと青年の方に差し出す。青年の白い指が指輪に触れると、ただそれだけのことであったにも関わらず、炎の守護者フレーム・ガルディアンが出現した。

(何で?)

 フレーム・ガルディアンは葵に危害を加える者に反応するのだと、キリルが言っていた。しかし触れられた程度では『危害を加える』という基準には抵触しないだろう。どうしてそうなったのか分からなかった葵は、青年が炎に巻かれる様をポカンと眺めていた。彼の姿は業火の向こう側に消えてしまったのだが、やがて、炎が苦しげに蠢き始める。

「なるほど。これがエクランドの誇る精霊の炎か」

 独白が聞こえて来てからしばらくすると炎の勢いが突然弱まり出し、青年の姿が再び見えるようになった。彼は未だ炎に纏わりつかれているが、その美しい面には余裕で観察しているような表情が浮かんでいる。青年はすでに葵の手を離していて、その掌には小さな瓶が置かれていた。その小瓶に、炎が吸い込まれている。葵がそう気付いた一瞬後には全ての炎が小瓶の中に納まっていて、青年がコルクでフタをした。

「指輪、もう外せるわよ」

 茫然としていた葵はエレナに声をかけられたことでハッとした。指輪に手をかけてみると、以前はピクリとも動かなかったものがスルスルと外れていく。エレナが手を差し出してきたので、葵は無意識の内に外した指輪を彼女の掌へと落とした。

「良かったわね、アオイ」

「うん。ありがとう、エレナ」

 葵がスッキリした笑みを浮かべて振り向いた刹那、エレナが行動を起こした。突然の出来事にあ然としながらも、葵は無意識の内に自分の首元へと手を伸ばす。するとそこに、小さな鈴がついたチョーカーのような物が嵌まっていた。

「はい、捕縛完了ー」

「証はどこにある?」

「あ、確かめときます?」

 青年と気安く言葉を交わすと、エレナは葵のローブを背後から捲り上げた。焦った葵は慌ててエレナの手を跳ね除けようとしたのだが、彼女が「ストップ」と言うと体が動かなくなってしまう。その金縛りは青年が背後に回りこんでからもしばらく続き、やがて「リリース」という声が聞こえてくると解けた。

「なっ……!」

 金縛りが解けた瞬間に二人から遠ざかった葵は抗議の声を上げようとしたのだが、あまりのことにうまく言葉が出てこない。顔を真っ赤にして憤っている葵は捨て置かれ、エレナと青年は二人だけで話を続けた。

「新種だな」

「探し出すの、苦労したんですよ。今回は弾んでくださいね?」

「考えておこう」

 そこで話を切り上げると、青年は転移の呪文を唱えて姿を消した。二人きりになると改めて、エレナが目を向けてくる。騙されたと知って、葵は憤りの感情をエレナへと向けた。

「騙したわね」

「二度しか会ったことないのに簡単に信用するなんて、警戒心なさすぎ」

 それを言われてしまうと返す言葉がなく、葵は口をつぐんでしまった。葵が黙り込んだのを見ると、エレナは無造作にローブを脱ぎ捨て、ヘアバンドを外す。彼女がそうすることによって出現したある物に、目を奪われた葵はギョッとした。

(耳と……尻尾!?)

 エレナはローブの下にショートパンツと体にフィットしたタンクトップを着ていて、その臀部でんぶからはフサフサの尻尾が生えていた。同じく、ヘアバンドを外した頭には狐のもののような三角形の耳が生えている。その姿は異様だったが、葵は似たような耳や尻尾を持つ人達に出会ったことがあった。

「あなたも召喚獣だったの?」

 より正確に言えば、葵が以前に出会った獣耳を持つ人達は召喚獣ではない。祖先が別の世界から来た者だった彼らは、召喚獣の末裔なのだ。エレナもそうであるらしく、彼女はすぐさま召喚獣ではないと否定してきた。

「ま、狩られる・・・・っていう点では似たようなものかもしれないけれどね。でもアタシは、狩る側なの」

「狩る、側……?」

「まだ分からない? アタシってば、ハンターなのよね」

「ハンター!?」

 この世界のハンターがどういった存在なのかを知っていた葵は、エレナの告白にギョッとしてからゾッとした。葵が青褪めたのを見て、エレナは少し申し訳なさそうな表情になる。

「説明の必要は、なさそうね?」

 ハンターについての説明は、いらない。葵が知りたかったのは、これから自分がどうなるのかということだ。しかしそれは、怖くて口に出すことが出来なかった。葵が無言でいると、エレナは一人で話を続ける。

「アタシもハンターに狙われてたクチだから気持ちは分かるんだけどね、これも生きていくためなのよ。悪く思わないでね」

 そう言うと、エレナは尋ねてもいないのに自分のことを語り出した。彼女の種族は自由でいられないと生きていけないらしく、ハンターに捕まった後に多くの仲間が死んでしまったらしい。彼女達は自由でいるために王家と契約し、召喚獣を捕まえるハンターになったのだそうだ。同類を売るという心苦しさを感じながらも、生きていくためには仕方がないと割り切っている。エレナからそんな話を聞かされて、葵は間違っていると強く思った。

「人とちょっと違うってだけで、何で捕まえられなきゃいけないの? そんなの、おかしいじゃない」

 葵が常々感じていた憤りを口に出すと、エレナは意外そうな面持ちで瞬きを繰り返した。それから、彼女は朗らかに笑う。

「アタシね、ホントは磨壬弧まみこっていうの。エレナは偽名なのよ。ごめんなさいね」

 唐突に打ち明け話を聞かされて、どう応えていいのか分からなかった葵は困惑した。葵が反応を返せずにいると、磨壬弧は気にする様子もなく言葉を重ねる。

「おかしいって思うんだったら変えてみせてよ。王女のところへ行くんだから、ちょうどいいじゃない」

「……え?」

「さっきの白い人ね、王女の教育係なの。あの人と王女を説得して、王様を動かせれば、世の中が変わるかもしれないわね」

 私憤がいきなり壮大な話になってしまい、そこまで考えていなかった葵は絶句した。エレナも真面目に取り合ってはいないようで、さっさと話を切り上げた彼女はクローゼットへと向かう。

「さて、と。どんな衣装が似合うかしら?」

 背中を向けたエレナが独白を零しながら首を傾げたのを見て、逃げ出すチャンスだと思った葵は足音を忍ばせて歩き出した。しかし扉に手をかけようとしたところで、エレナから「ストップ」という声がかかる。先程と同じように急な金縛りに遭った葵はその場で動きを止めた。

「逃げようと思っても無駄よ。そのチョーカーね、拘束具になってるから」

 例え逃げ果せたとしても、すぐに居場所が分かるのだとエレナは淡々と説明を加える。金縛りに遭っているので顔の向きを変えることさえ出来なかったが、葵は悔しさに歯を食いしばった。

(あの時、もっとちゃんと考えてれば……)

 以前この家を訪れた時、葵には身に覚えのない危険を察知してフレーム・ガルディアンが姿を現してくれた。その意味を、もっと深く考えるべきだったのだ。しかし身を護ってくれる指輪はすでに手元を離れ、ハンターに拘束されてしまった後では何を悔やんでも後の祭である。

「はい、リリース。いい子だから、大人しくしててね」

 葵の金縛りを解くと、磨壬弧はまたクローゼットへと向かう。逃げるのは無理だと察した葵は自分の行く末を案じながら、磨壬弧に言われるがまま着替えをさせられたのだった。






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