捕縛

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 冬月とうげつ期の中間にあたる白殺しの月の十日。主の元で住み込みの使用人をやっていた時の習慣で、クレアは日の出の頃に自然と目を覚ました。日の出とはいっても冬月期の空は厚い雪雲で覆われているのだが、それでも体内時計が働くのだ。起き出してからさほど時間をかけずに身支度を整えたクレアは、パートナーである魔法生物のマトを肩に乗せると、屋敷の二階にある寝室を後にして一階のキッチンへと向かった。そこで朝食の用意を整えてから、また改めて二階に向かう。同じ二階でも、今度は同居人の寝室がある屋敷の東側だ。

「アオイ、朝やで」

 軽くノックをしながら呼びかけてみても、室内から反応は返ってこなかった。まだ寝ているのかと思ったクレアは扉を開けてみたのだが、室内は無人だ。天蓋つきのベッドも整えられたままで、誰かが休んだような気配はない。

「なんや、帰らんかったんか」

 腰に手を当てて独白を零したクレアは、昨日葵と連れ立って去って行った少女の姿を思い浮かべた。自然と眉間にシワが寄り、クレアの手は無意識の内に肩へと移動する。

「アンダーソン、言うてたなぁ」

 ファミリーネームを聞いただけでは、クレアには貴族の位は分からない。しかし本当に気になっているのは、彼女のファミリーネームよりもファーストネームの方だった。

(エレナ……)

 何の偶然か、それはクレアの亡き母親と同じ名前だった。それなのに、クレアはあの少女に好意を抱けなかったのである。一目見て、目が気に入らないと直感的に思ったのだ。

 クレアの複雑な胸中を知っているマトが、慰めるように体を摺り寄せてきた。同時に人語とは違った彼の『言葉』も流れ込んできて、パートナーに励まされたクレアは笑みを浮かべる。

「せやな。同じ名前やからって気にすることあらへんよな」

 名前が同じというだけで二人はまったくの別人なのだし、好きになれなかったものは仕方がない。そういうこともあると思って考えを切り上げたクレアは、マトと二人だけの朝食を取るために夜気で冷え切った葵の寝室を後にした。






 ハンターに捕縛されてから一夜が明けた、白殺しの月の十日。その日、磨壬弧まみこの手によってドレスアップさせられた葵は、朝からどこかの城に連れて行かれた。そこはオロール城のように宿泊を目的とした場所ではないらしく、閑散としていたオロール城とは対照的に人間の姿が目立った。それもカジュアルな服装をしている者は一人もおらず、誰もがきっちりと正装しているのだ。さらには同じ制服を着た衛兵らしき者達がいるのも窺えて、とんでもない場所に連れて来られたのだと察した葵は青褪める。

(まさか、ここって……)

 磨壬弧が昨日、葵は王女の許へ連れて行かれるのだと言っていた。そうなれば必然的に、ここは王城ということになるのではないだろうか。そう考えれば、この物々しい雰囲気にも納得がいく。

(王城、かぁ……)

 アルヴァ=アロースミスという青年と旅をした時、葵は荘厳な王城の外観に惹かれて中を見学したいと思った。その時はけっきょく叶わなかったのだが、まさか今になって、こんな形で実現するとは思ってもみなかった。外から見ると華やかそうに見えたこの場所も、実際に訪れてみると牢屋の中にいるような息苦しさがある。それが比喩で済まないことを予感しながら、葵は着飾った人々が行き交う王城の中を歩いた。

 磨壬弧に従ってしばらく歩いていると、次第に周囲から人気がなくなっていった。磨壬弧が足を止めたのは階段の前で、その両脇には衛兵が一人ずつ佇んでいる。彼らと一言二言交わすと、磨壬弧は階段を上り始めた。天国ならぬ地獄へと続いていそうな階段を、葵は憂鬱な思いで上る。階段を上りきった先で手近にあった部屋に入ると、室内にはあの白い青年の姿があった。

「ご苦労」

 青年は無愛想にそれだけを言うと、磨壬弧に皮袋を手渡した。ずっしりと重そうなそれを、磨壬弧は笑顔で受け取っている。その重みが自分の価値なのかと、葵は小さく息を吐いた。

「じゃあ、頑張ってね」

 嫌味かと思うような一言を残して、磨壬弧は颯爽と去って行った。青年と二人きりで室内に残された葵は、仕方なく彼の方に目を向ける。青年の出で立ちは、昨日はスーツに似た服装だったが、今日は白のフロックコートを着用していて、胸元には一輪、生花と思われる花が飾られていた。その姿はどこで見ても、浮き世離れしている。

「わたしの名はローデリック=アスキスという。王女フェアレディの教育係をしている者だ」

「…………」

「名は?」

「……宮島葵、です」

「ミヤジマ=アオイ、すぐにフェアレディがお会いになる」

 着いて来るように言い置くと、ローデリックは葵に背を向けた。着いて行きたくはなかったが他にどうすることも出来ず、葵はローデリックの後に続く。一度部屋を出たローデリックは廊下を進み、角にある部屋の前で歩みを止めた。

「アスキスだ」

 軽く扉を叩いてからローデリックが声をかけると、すぐに扉が開かれた。扉を開けたのは侍女だったようで、メイド服姿の女性は葵達と入れ違いに辞去する。促されて室内に進入した葵はふわっと漂ってきた花の香りに誘われて、キョロキョロと周囲を見回した。室内にはあちこちに花が飾ってあって、そこから香りが立ち籠めているらしい。室内には他にもヌイグルミなどが置かれていて、いかにも少女の部屋といった趣だった。

「フェアレディ、新しい召喚獣を連れて参りました」

 ローデリックの『召喚獣』という言葉に眉をひそめながら顔を傾けた葵は、そこで目にした少女の愛らしさに一瞬で心を奪われてしまった。ベルベット素材の赤い椅子に腰かけている少女は、見目十二・三歳くらいだろうか。見るからに柔らかそうな髪は薄桃色で、綿菓子のようにフワフワとしている。くりっとした大きな目はヴィクトリアン・モーヴで、その瞳は真っ直ぐ葵に向けられていた。

(うわぁ……『お姫様』だ)

 フリルがたっぷりとあしらわれたドレスを着て、髪には大小様々な宝石が嵌めこまれたティアラをしているという少女の格好のせいもあるのだが、愛らしい印象を与える彼女の面立ちや、その居住まいなど、何から何までが、彼女が正真正銘の『お姫様』であることを表していた。彼女の存在自体が現実離れしていて、その隣にいるとようやく、ローデリックの存在がこの世に似つかわしいもののように思えてくる。

「……ちがう」

 しばらく葵を凝視した後、王女は傍らに控えたローデリックを仰ぎ見て、首を振って見せた。指差された葵は何が『違う』のか分からずに首をひねったのだが、ローデリックはすぐさま王女の意図を察したようだった。

「ミヤジマ=アオイ、服を脱ぎなさい」

「……えっ」

 ローデリックは障害など何もないかのように命令してきたが、葵は耳を疑った。当然のことながら、葵に応じる気はない。だがジリジリと後ずさると、ローデリックがそれを制してきた。彼が「マリオネット」と口にしただけで、葵の体は自由を失ってしまう。

「服を、脱ぎなさい」

 ローデリックがもう一度下命すると、葵の体は勝手に動き始めた。身に纏っていたドレスは足下に落ち、その場で体の向きを変えさせられる。素肌を晒した背中に突き刺さるような視線を感じて、葵はあまりの恥辱に顔を真っ赤にした。

「もういい。服を着なさい」

 ローデリックから命令が下るとようやく、葵は辱めから解放された。機械的に動く体が再びドレスを纏っている間にも、激しい憤りに苛まれた葵は唇を噛む。自分は人間として扱われていない。召喚獣には人権などないのだと、ものの数分で嫌というほど思い知らされた。ハンターに捕まるということは、そういうことだったのだ。

(いまさら気がついても遅いよ)

 ハンターの説明を受けた時から、常に用心しておくべきだった。それなのに二度会っただけで簡単に磨壬弧を信用し、誰にも行き先を告げずに出て来てしまったのだ。唯一の幸いはクレアが磨壬弧の家に行くのだと聞いていたことだが、そこからハンターに捕まったということに結びつくかは分からない。仮に王城にいるのだと知ったとしても、助けに来てもらえるだろうか。フロンティエールで捕らわれた時はアルヴァが来てくれたが、今回は相手が自国の王女なのである。

(アル……)

 空を仰いだ葵が思い浮かべたのは最後に会った時の、アルヴァの冷たい横顔だった。






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