捕縛

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 王都の郊外にあるアンダーソン伯爵邸に乗り込む予定だったクレア・キリル・オリヴァーの三人は、屋敷の門外で足止めを食らっていた。その理由はこの家の老齢の執事が、アポイントメントのない者は屋敷に上げられないと主張し続けているからだ。それは大貴族であるエクランドの名を持ち出しても揺るがず、先程から繰り返されている不毛なやり取りにキリルが痺れを切らしそうになっている。オリヴァーが何とか宥めていたが、それもそろそろ限界だろう。そしてキリルだけでなく、彼とアンダーソン家の執事のやり取りを無言で見守っていたクレアも、それは同じことだった。

 キリルの生家であるエクランド公爵家は、公爵の称号を与えられた者の内でも権勢を欲しいままにしている大貴族である。公爵本人ではないとはいえ、その直系の者が訪ねてきたのだから、普通の伯爵家であればキリルのような子供が相手でも対応せざるを得ないだろう。にもかかわらずアンダーソン伯爵は、頑ななまでに拒んでいる。それは後ろめたいことがあるからなのか、もしくは大貴族をも凌ぐ権威に庇護されているかの、どちらかだろう。どちらにせよ、キナ臭いことには変わりがない。

(せやけどなぁ……)

 殴りこみだと勢い込んで来たものの、実際にそれをやるとなると主に迷惑がかかる恐れがある。そのことを考えると決意が鈍ってしまうのだが、二日ほど家に帰っていない葵のことを考えれば、悠長なことは言っていられない。義理を取るか人情を取るか、ギリギリまで悩んだクレアは結局、人情を取ることにした。

(ユアン様、ごめんなぁ)

 心の中で主に謝意を捧げてから、クレアは今にも暴走を始めそうなキリルを振り返った。

「行くで!」

「よっしゃ!」

「ちょっ……おい!」

 オリヴァーが何かを叫んでいたが、クレアは共に走り出したキリルと屋敷へ向かって疾走した。屋敷へ辿り着くまでには侵入者防止のトラップが仕掛けられていたが、それはキリルがいとも容易く撃破する。すでにマトを薙刀に似た武器に変態させていたが、クレアに出番はなかった。

 屋敷に突入するとキリルが迷いのない足取りで奥へと向かったので、クレアはそれに続いた。クレアの感覚ではあまりよく見えないのだが、キリルには人体から放出されている魔力によって、この屋敷の主がどこにいるのか分かるらしい。実際のところ、キリルが目標としていたのは屋敷内にある、一番強力な魔力だった。

「ここか!」

 アンダーソン伯爵がいると思われる部屋の前に辿り着くと、キリルが扉を足蹴にして破った。その横からスルリと抜け出したクレアは、マトを変態させた武器を室内にいた身なりのいい男に突きつける。しかし脅迫の形が整った次の瞬間、マトが元の姿に戻ってしまった。彼がお互いの意思を確認しあうこともなく変態をしたのはこれが初めてのことで、クレアは驚愕に目を見開いた。

「マト! 何しとんのや!」

「……マト?」

 クレアの声に反応したのは、つい今しがたまで変態したマトを喉元に突きつけられていた男だった。彼は床で腹這いになっているマトに目を落とすと何を思ったのか、その傍らにしゃがみこむ。さらにクレアを驚愕させたのは、マトが自分から男に近付いて行ったことだった。

「マト、なのか……」

 この状況に相応しくない柔和な笑みを浮かべた男は、懐かしそうに目を細めながらマトに手を伸ばす。混乱の極みに達したクレアは何が何だか分からず、頭を抱えた。

「えっ、何や、それ? 何がどうなっとるんや?」

 クレアが零した独白に導かれてか、マトを抱き上げた男がこちらを振り向いた。その瞳にクレアの姿を映すと、彼の顔にはまたしても驚愕が広がる。そして、呟きが零された。

「エレナ……?」

「何でおたくがうちのおかんの名前を知っとるんや?」

「エレナが、母親?」

 男が独りごちたところで、会話がプツリと途切れる。その後、賊が侵入した後のような室内では誰もが口を開けず、奇妙な沈黙が流れた。






 クレアとキリルが結託して屋敷に突入して行くと、門外に取り残されたオリヴァーとアンダーソン家の執事の間には気まずい雰囲気が漂った。ここは自分が詫びておかなければならない場面だと思ったオリヴァーは低頭したのだが、老執事からは冷ややかな反応が返ってくる。同行者達が執事の許しも得ずに屋敷に侵入した後では致し方ないことだった。

「失礼。アンダーソン伯爵家の執事の方ですか?」

 オリヴァーが老執事に睨まれていると、不意に背後から第三者の声が聞こえてきた。振り返って見るとそこには、金髪に碧眼といった容貌の青年が佇んでいる。執事が問いに答えると、青年は彼の傍まで歩み寄ってから言葉を重ねた。

「先程ご連絡を差し上げた、アルヴァ=アロースミスと申します」

「ああ、貴方様が。少々立て込んでおりますがどうぞ、お入り下さい」

 青年の名乗りを聞いてオリヴァーが驚いたのと、執事が返答をしたのがほぼ同時だった。執事に促されて歩き出すアルヴァの横顔を、オリヴァーは驚愕を引きずりながら眺める。

(この人が、あの……)

 噂に聞いた、レイチェル=アロースミスの弟。そうしたオリヴァーの視線を感じ取ったのか、すでに歩き出していたアルヴァが不意に振り返った。トリニスタン魔法学園の生きた伝説とまで言われた偉人から唐突に目を向けられたことで、オリヴァーは自分でも気付かぬうちに体を硬くする。

「一緒に行きますか?」

 何故そこで彼が声をかけてきたのかは分からなかったが、ありがたい申し出だったのでオリヴァーは素直に従った。

 執事に導かれて屋敷に入るとすぐ、どこからか異様な気配が漂ってきていることに気がついた。エントランスホールでこれ以上の案内は不要だと執事に告げると、アルヴァは屋敷内を歩く許可を取ってから奥へと歩を進める。その対応は洗練されていて、彼の一挙一動が高尚なもののように、オリヴァーの目には映った。

(さすが、レイチェル=アロースミスの弟だな)

 ここまで噂通りな人物も珍しいなどとアルヴァを観察しながら歩いていると、やがて彼が歩みを止めた。その部屋は扉が内側に倒れていて、嫌な予感を覚えたオリヴァーは一気に現実に引き戻される。そして室内を覗くと、案の定な光景が広がっていた。

「アル」

 戸口に姿を現したアルヴァを見て、クレアが驚いたような声を発した。クレアは一瞥するに留め、無表情のアルヴァはまず身なりのいい中年の男に向かう。

「アンダーソン伯爵ですね? わたくしはアルヴァ=アロースミスと申します。この度はわたくしが監督している者が無礼を働き、申し訳ございませんでした」

 アンダーソンに向かって深々と低頭するアルヴァを見て、クレアが苦く顔を歪めた。キリルは胡散臭そうな顔つきでアルヴァを見ていて、アンダーソンはアルヴァの名に驚いているようだった。

「アロースミスといいますと、あの……?」

「レイチェル=アロースミスは姉に当たります。時に、アンダーソン伯爵。場所を変えてお話をさせていただきたいと思うのですが、いかがでしょう?」

「あ、ああ……そうだな。これは、失礼した」

 少し待っていて欲しいと言い残すと、アンダーソンは姿を消した。そこで改めて、アルヴァがクレアに向き直る。

「何故このようなことになったのか、説明していただけますか?」

 アルヴァの声音に非難の色はなかったものの、軽はずみな行動を悔いているのか、クレアは伏目がちに経緯を説明していた。話を聞き終わるとアルヴァは一度目を閉じてから、クレア・キリル・オリヴァーの三人を見回す。

「後のことは僕に任せて下さい」

 暗に「帰れ」と言われたことに腹を立てたキリルがアルヴァに食ってかかろうとしたが、それはクレアとオリヴァーが二人がかりで止めた。特にクレアは思うところがあるらしく、複雑そうな表情でキリルに言い聞かせている。

「アルに任せとったら間違いあらへん。うちらは帰るで」

「けど、お前……」

「エエねん。話は、後で聞くわ」

 キリルの言葉を遮って言うと、クレアは歩き出した。キリルは一度アルヴァを睨み見て舌打ちをしてから、それでもクレアの後に従う。クレアもキリルもどこか様子がおかしかったが、その場では追及せず、オリヴァーもアルヴァに一礼するとアンダーソン邸を後にすることにした。






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