アンダーソン伯爵との話を終えて大方の事情を理解したあと、伯爵邸を辞したアルヴァはまず葵とクレアが暮らしている屋敷に向かった。トリニスタン魔法学園ではちょうど昼休みくらいの時間帯で、クレアが自宅に戻っているだろうと思ったからだ。休み時間だということを抜きにしても、あんな騒動の後では学園に戻る気にはなれなかっただろう。そういったアルヴァの読み通り、クレアは一人で屋敷にいた。
エントランスホールで階段に座り込んでいたクレアは、アルヴァの姿を認めるとすぐ客間へと案内した。彼女が手作業で紅茶を淹れに行こうとするのを制し、アルヴァは無属性魔法を使って紅茶を淹れる。短時間で話し合いの体裁を整えると、アルヴァはすぐに本題を口にした。
「ミヤジマがハンターに捕まったようです」
クレアは葵が異世界からの来訪者であることを知っている。召喚獣がハンターに捕まるとどういうことになるのかも承知しているようで、クレアの顔からは一気に血の気が引いていった。
「何で……ハンターに捕まったなんて分かったんや?」
クレアが青褪めながら問いかけてきたので、アルヴァはアンダーソンから聞いた話と自身の推理を交えながら淡々と説明をした。
まず、アンダーソン自身はミヤジマ=アオイという少女の存在を知らなかった。ただ、エレナ=アンダーソンを名乗る少女には心当たりがあったのだ。彼はハンターを自称する少女に名前を貸すことで対価を得ていた。しかしその少女ハンターが何を獲物にしていて、どこでどのような動きをしているのかは把握していないとのことだった。
「ミヤジマがハンターに捕まったのだと仮定すれば、クレアさん達が不思議がっていた指輪のことも説明がつくのですよ」
盟約の儀によって葵の左手に嵌められていた指輪は、エクランドの者が解約の儀を行わなければ外せない仕組みになっていた。しかしキリル=エクランドは、葵と合意の上で指輪を外したのではないという。それならば考えられる方法は一つしかない。エクランドよりも力のある者が無理矢理契約を解除したのだ。
「エクランド公爵家は公爵の中でも第一位にある、大貴族です。そのエクランドの力を凌駕することが出来る者など限られていますね?」
「この国の王室、いうわけやな?」
「その通りです。王室は
アルヴァがそこで口を閉ざすと、客間には沈黙が流れた。しかしその静寂は長くは続かず、やがてクレアが口火を切る。
「アル、えらい冷静やな?」
どうしてそんなに冷静でいられるのかと、クレアが言外に問いかけてくる。それはもう成すべきことが見えているからなのだが、アルヴァは胸中を言葉にすることはしなかった。その代わりに、話を進める。
「アンダーソン伯爵と約束を取り付けておきました。明日の夜、改めて伯爵邸に出向いて下さい。その理由はもう、お分かりになっていますね?」
「…………」
「それから、マジスターに説明する際にはミヤジマが召喚獣であるという点だけを隠していただければ、後は真実を話していただいて構いません。作り話で彼らを納得させるのは、おそらく難しいでしょうから」
「アオイのことは、どうするつもりなんや?」
「僕が王城に行きます」
それでも葵を連れ帰ることは、おそらく出来ないだろう。だがアルヴァには、使命がある。アンダーソンの話を聞いてすぐに覚悟を決めたアルヴァは、ただ淡々と話の続きを口にした。
「ユアン様と姉には三日ほど黙っていて下さい。三日が経ったら、僕が責任を取ったので問題はないと、伝えていただけると助かります」
「おたく……」
全責任を負おうとしているアルヴァには、帰って来る意思がない。どうやって責任を取るのかまでは分からなくても、クレアはそのことを察したようだった。悲痛に顔を歪めて言葉を失ったクレアに、アルヴァは優しく微笑みかける。
「では、よろしくお願いします」
話を切り上げるとアルヴァは席を立ち、屋敷を後にした。その後は秘密裏に行っていた研究の痕跡を入念に抹消し、後々調べられても大丈夫なように身を清めてから、自身が所属している
保健室に酷似した窓のない部屋はすでに処分してしまったため、窓際のデスクに腰かけたアルヴァは久しぶりに『保健室』から外の風景を眺めていた。この学園で校医という仕事を始めてから、一体どれだけの時間をこの場所で過ごしただろう。当初から校医の職務は代理に任せてきたので、勤続年数よりはるかに少ないことは間違いない。だから未だに『保健室』の窓から見える光景が新鮮なのだと、アルヴァは皮肉げに口元を歪めた。
(ああ……そうだ、最後の仕事が残っていたな)
白衣のポケットからレリエを取り出したアルヴァは、それを窓辺に置いて通信を始める呪文を唱えた。すると間もなく、レリエから放たれた光が窓ガラスにユアンの姿を映し出す。彼はアルヴァからの
『どうだった?』
「止めには行ったんだけど、遅かった」
『うわぁ。クレア、何か伯爵にひどいことしちゃってた?』
「詳しいことは分からないけど、僕が伯爵邸に行った時には二人とも呆然としていたよ。伯爵の方はクレア=ブルームフィールドのことをどう思ったのか分からないけど、クレア=ブルームフィールドの方は伯爵がどういう存在なのか気付いたみたいだね」
『……そっか。クレアがトリニスタン魔法学園を卒業したら会わせようと思ってたんだけど、早まっちゃったね』
「明日、二人だけで話が出来るようにセッティングしておいた。その後のことはクレア=ブルームフィールドから聞くといいよ」
『うん、分かった。ありがとね、アル』
「ユアン、」
用件を済ませたユアンが通信を切り上げようとしたので、アルヴァは彼を呼び止めた。不思議そうに小首を傾げるユアンをしっかりと瞳に映し、一呼吸の間を置いてから、アルヴァは言葉を次ぐ。
「すまなかった」
『えっ? 何が?』
「八つ当たりをして」
『ああ……アレね。気にしてないよ』
「嘘つけ。思いきり気にしてただろうが」
『あはは。アルだって気にしてたんだから、お互いさまだよ』
確かに少し傷ついたと認めたうえで、ユアンはアルヴァの説得を諦めていないことも明かした。
『その件についてはまた今度、じっくり話し合おう? 時間が出来たらそっちに行くからさ』
「……来なくていいよ」
『そう言われても、行っちゃうもんね。じゃあ、アル。また今度』
朗らかに笑いながら、ユアンは今度こそ通信を打ち切った。次の機会がないことを知っているアルヴァは回収したレリエを白衣のポケットに入れ、それから白衣を脱ぐ。そしてそれを、炎の魔法で燃やす。窓を開けると風に攫われて、灰が曇天に舞っていった。
(まあ、最善の形ではないけどね)
アルヴァが考えていた『最善の形』とは、レイチェルの体に刻まれた荊の刻印を取り除くことだった。そのために彼は禁呪の研究を重ね、擬似的な
もう気負う必要もないため、アルヴァは保健室の窓辺で煙草を咥える。そして呼気と共に白く上って行く煙を見つめながら、煙草が燃え尽きてしまうまで窓辺に佇んでいた。
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