プリズン

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 広い庭を持つ豪奢な屋敷の一室で眠りに就いていた宮島葵は体を揺さぶられる振動と、誰かの大きな声で目を覚ました。眠い目をこすりながらベッドの上で上体を起こすと、すぐ傍でカーテンを開く音が聞こえてくる。冬月とうげつ期の空は厚い雪雲で覆われているのでカーテンが除かれても窓から強い光が入り込んでくることはなかったが、朝なのだと思った葵は窓の外に目をやった。そのままぼんやりとしていると視界に突然、中年女性の姿が割り込んでくる。自分の寝室にいるような気でいた葵は、彼女の存在で現実を思い出した。

「フェアレディがお呼びだよ。早く登城の支度をしなさいな」

 恰幅のいい中年女性は常人よりも地声が大きく、元気にそう言うと部屋を出て行った。彼女が姿を消すのを見送って、葵は寝乱れた髪をガシガシと掻く。

 葵が新生活を強制されたこの屋敷は、ゼロ大陸を治めるスレイバル公国の王女が自分のコレクションを一所に集めた場所だった。彼女に収拾された召喚獣は基本的にはこの屋敷で軟禁されていて、呼び出しがあれば王城に行くという仕組みなのだ。召喚獣は異世界からの来訪者であるため、葵のように魔法を使えない者もいる。その世話役として屋敷に常駐しているのが、先程葵を起こしに来たおばさんというわけだ。

 この屋敷にいる者は、王女からの呼び出しがあれば必ず召喚に応じなければならない。逆らう気概もなく、また屋敷にいても他にすることのなかった葵は仕方なく身支度を整え始めた。気が進まないのでのろのろと支度をしていると、世話役のおばさんから叱責の声が飛んでくる。その声に急かされながら支度を終わらせた葵は、おばさんに送られて王城の一室にある転移用の魔法陣に出現した。

「次の召喚からはもっと早く来るように」

 今日初めて顔を合わせたにもかかわらず、あいさつの一つもなく注意を喚起してきたのは、王女の教育係であるローデリック=アスキスという青年だ。魔法陣のある部屋で待ち構えていた彼は葵を伴って、王女が待つ部屋へと向かう。香り高い花や可愛らしい調度品で内装された部屋で葵を待っていた王女は顔を合わせるなり、葵に着替えを命じた。

(またかぁ……)

 王女の所有物となってしまって以来、葵は彼女の着せ替え人形と化していた。一日に何度も着替えをさせられるのだが、それが人前で行われるのである。人間としては扱われていないので、ローデリックも平然と王女と共に葵の着替えを眺めていたりする。それがたまらなく憂鬱だった。

 着替えが終わると、葵は椅子に座るよう命じられた。そして膝の上に、王女が乗ってくる。彼女は葵を気に入っているようで、呼びつけられると大抵、この恰好で異世界の話を聞かせることになるのだ。懐いてくれるのは可愛いのだが、いかんせん、彼女は葵の自由を奪っている張本人である。そのため王女にどう接していいのか分からず、葵は日々複雑な思いを抱いていた。

「フェアレディ、そろそろ勉強のお時間です」

 しばらく異世界の話をしていると、やがてローデリックが王女にそう伝えた。王女はローデリックを注視した後、無言で首を横に振る。それまで少し離れた場所にいたローデリックは葵達の傍へ来て、跪いてから言葉を重ねた。

「フェアレディ、ワガママを申されてはいけません。お父上やお母上のような、ご立派な支配者になられるのでしょう?」

 両親のことを持ち出されると弱いのか、王女は少し迷った末、ローデリックが差し出した手を取った。ローデリックに抱きかかえられる形で膝から下りると、彼女は葵を振り返る。ヴィクトリアン・モーヴの瞳があまりにも真っ直ぐに見つめてくるので、葵は少し身動いだ。

 王女の瞳は何かを語りたがっていたが、それが言葉という形で表れることはなかった。見つめ合いは長く続かず、彼女は侍女に促されて去って行く。居心地の悪い注視から解放されたことで、葵はホッと息をついた。

「話を聞かせてもらおう」

 安堵したのも束の間、まだ室内に残っていたローデリックが硬質な声音で口火を切った。何の話かと訝った葵が眉根を寄せると、彼はいきなり核心を突いてくる。どうやってこの世界に来たのかと問われ、葵は動揺を顔に出してしまった。

「誰かに口止めをされているとみえる」

 葵は一言も発していなかったが、ローデリックはすぐさま真相に行き着いてしまった。表情の変化からそれ以上の情報を与えてしまうのが嫌で、葵は俯く。それが微々たる抵抗に過ぎないことは解っていたが、そうする他にどうしようもなかった。

 葵が黙したままでいると、ローデリックは何も言わずにおとがいに手をかけてきた。強引に顔を上向かせられ、目が、合う。何の感情も読み取れない赤い瞳に射られて、葵は戦慄を覚えた。

「召喚主の名は?」

 問いかけの形をとっていたものの、その一言は絶望的なまでに抗うことを拒む命令だった。言えないという思いよりも強く、恐怖を感じて唇が動かない。だが緊迫した空気は、扉をノックする音によって破られた。葵から手を引いたローデリックは姿勢を正し、何事もなかったかのようにノックに応える。姿を現したのは侍女で、彼女は来客があることをローデリックに伝えた。

「アルヴァ=アロースミスと名乗る青年が、召喚獣のことで王家の方にお話ししたいことがあると申しております」

 侍女が口にした名に反応した葵は動揺のあまり席を立ってしまった。その行動がローデリックの目に留まり、彼は葵を注視してくる。しかし何かを問うといったことはせず、ローデリックは侍女にアルヴァと会うことを告げた。

「共に来なさい」

 そう言い置いた後にローデリックが歩き出したので、葵は不安を膨らませながら彼の後に従った。連れて行かれたのは応接室のようなシンプルな部屋で、そこでアルヴァの姿を目にした刹那、涙が出そうになるほどの安堵が胸に広がる。葵は必死で歯を食いしばったが、無表情を保つことは難しかった。

「わたしはフェアレディの教育係をしている、ローデリック=アスキスという者だ。話を聞こう」

 自己紹介をした後、ローデリックはアルヴァと向き合って椅子に腰を落ち着けた。立ち上がってローデリックを迎えたアルヴァは着座を勧められたので腰を下ろしたが、葵は立ったままでローデリックの背後に控える。距離が近くなったことで話しかけたい衝動に駆られた葵は何度も言葉を飲み込んだのだが、真顔のままでいるアルヴァは目を合わせてくれなかった。そのうちに、ローデリックが話を始める。

「ファミリーネームがアロースミスということだが、レイチェル=アロースミスの縁者か?」

「はい。レイチェルは姉にあたります」

「なるほど、良く似ているな。それで、召喚獣についての話とはどのようなものか」

「そちらにいる、ミヤジマ=アオイという少女のことですが……」

 そこで初めて、アルヴァの視線が葵を捉えた。目を向けてもらえた嬉しさとは別に、葵はアルヴァの視線に含まれる何らかの感情を汲み取ってドキリとする。

(アル……?)

 アルヴァの瞳は異様な静けさを湛えていて、それが不安を煽った。何を言うつもりなのかとヒヤヒヤしていると、アルヴァは葵が予想もしていなかった言葉を口にした。

「彼女は僕が召喚しました」

 アルヴァがその一言を口にした刹那、室内の空気が凍りついた。絶句した葵が呆然と立ち尽くしていると、アルヴァとローデリックの間で冷ややかに話が進んでいく。禁呪をどうやって蘇らせたのかを尋ねた後、ローデリックは嘆息してから口調を改めた。

「残念だ。アロースミスから咎人が出るとは」

「どのような罰も、謹んでお受けします。ですがその前に、僭越ながらお願いしたいことがございます」

「何だ?」

「ご覧の通り、ミヤジマ=アオイという召喚獣は限りなく人間に近い存在です。召喚獣の証さえなければ魔法の使えない、ただの人間に過ぎません。ですからどうか、彼女の人間としての尊厳を保障していただきたいのです」

「それを決めるのはわたしではないが、お伝えしておこう」

「ありがとうございます」

 アルヴァが深々と頭を下げるのを見て、葵はひどい胸苦しさを覚えた。憤りとやるせなさで胸が潰れそうで、何かを言いたいのに言葉が出てこない。葵が歯痒い思いでいるうちに、ローデリックに促されたアルヴァは席を立った。ローデリックも立ち上がり、アルヴァに向かって掌を向ける。

「覚悟はいいな?」

「はい」

 アルヴァの迷いがない返事を聞き、ローデリックは「クオーツ・プリズン」という言葉を口にした。それは何かの呪文だったようで、アルヴァが足元から水晶で覆われていく。それに気がついた時、葵は悲鳴を上げた。アルヴァの元に駆け寄ろうとしたのだが、それはローデリックが「ストップ」と言い放ったことにより止められてしまう。

「アル!!」

 葵が叫ぶと、アルヴァの目がこちらに向いた。足元から徐々に自由を奪われているというのに、彼が傾けてきた面には焦りや恐怖などといった感情は浮かんでいない。ともすれば平素よりも穏やかに、笑って見せただけだった。


――君の力になれるのは僕だけなんだよ


 いつか、アルヴァが言っていた科白が不意に蘇った。その言葉の意味を今、見せ付けられている。そう感じながら、葵はただアルヴァが水晶で固められていくのを見ていることしか出来なかった。






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