プリズン

BACK NEXT 目次へ



 鉛色の空から深々と雪が降りしきる中、キリルは庭を歩いていた。ここはトリニスタン魔法学園アステルダム分校の近くにあるエクランド公爵の別邸で、現在はキリルと数名の使用人が住んでいる。使用人達が奇行を見守る中、キリルは先程から延々と新雪を踏み荒らしていた。ただ、無駄に歩き回っているわけではない。体を動かしながら、どうにもまとまらない考えを整理しようと頭を働かせているのだ。

 キリルの考え事とはもちろん、何らかの罪で捕まったのだという葵のことだった。彼女を捕まえた相手が王家でさえなければ何とでもなるのだが、王家が相手となるとどうにも手の打ちようがない。しかしすでに、アルヴァなる人物が葵を助けるために動いているのだ。二番煎じになってしまうのは否めないが、このまま何もせずにいるわけにはいかなかった。

「キーリル!」

「うっ、」

 考えこみながら庭をうろついていると、誰かが突然背後から抱きついてきた。不覚にも接近に気がつかなかったため、動揺したキリルは雪に足を取られて倒れこむ。背後から抱きついてきた者も一緒に倒れてきたため、キリルは新雪にプレスされた。

「……っ、誰だてめぇ!」

「ア・タ・シ」

 背中に感じていた重みがなくなったのを機に体を起こすと、すぐに姉の顔が目に入った。キリルには兄姉がたくさんいるので姉といっても色々な人がいるのだが、軽快な喋り方をするこの姉は下から四番目のエルシーだ。

「エルシー姉さん」

 意外な人物の訪問に、驚いたキリルは目を瞬かせた。その身に風を纏わせて空に浮いているエルシーは、空中で一回転してから離れて行く。彼女が後方を指差したので、雪を払っていたキリルもそちらに目を向けた。

「こんな夜に何を歩き回ってるの? 使用人達が奇行に怯えてるじゃない」

「ほっといてください。それより、何の用なんですか?」

「べーつに? 用事なんてないわよ。ただカワイイ弟の顔を見たくなっただけ」

義兄にいさんとケンカでもしたんですか?」

 どうやら図星だったらしく、エルシーは黙り込んだ。彼女はまだ結婚して一年にも満たない新婚なのだが、よく夫とケンカをしては実家に帰っているらしい。終月しゅうげつ期の親族達の集りでそういった話を聞かされていたキリルは呆れてため息をついた。

「オレ、忙しいんです。相手してるヒマないですから」

「なになに? 悩み事ならお姉様に話してごらん?」

 特に恋の悩み相談が得意だと、エルシーは瞳を輝かせている。喜々としている姉の顔をじっと見た後、キリルは小さく首を振った。エルシーは年長ではあるが、立場はキリルと似たようなものである。この悩みを解決するには彼女では無理なのだ。せめて、そう、正統なる爵位を持つ者でなければ……。

 まだ何かを喋っているエルシーの声をシャットアウトしたキリルは、脳裏に長兄の姿を浮かべた。エクランド公爵家は爵位継承の準備期間に入っていて、来年には長兄であるハーヴェイが正式に爵号を受け継ぐことになる。いや、しかし、兄に頼ったのでは結局、自分は何もしなかったのと同じことになるのではないだろうか。自力で動くためにはやはり、身分が必要だ。

「兄さんから爵位を奪う……」

「それはこの兄に対する挑戦と受け取って構わないのか?」

 すっかり自分の考えに沈んでいたキリルは、突然思考に割り込んできた声にギョッとした。声がした方を振り向いて見るとハーヴェイが佇んでいて、キリルは俄かに慌て出す。

「に、兄さん……」

「ずいぶんと大胆な発言だな、キリル?」

「ち、違うんです!」

「あら、ハーヴェイ兄様。ごきげんよう」

 エルシーが横から口を出してきたので、キリルはホッとして閉口した。ハーヴェイの視線はキリルから離れ、エルシーの方を向く。意外そうな面持ちをしていないところを見ると、ハーヴェイは彼女がここにいることを知っていたようだ。

「家に帰れ、エルシー。ベイカー卿が心配なさっていたぞ」

 ハーヴェイが口にしたベイカーとは、エルシーの嫁ぎ先である。ベイカーは侯爵家なので、公爵家の出身であるエルシーに頭が上がらないらしい。夫のそうした態度に不満を抱いているエルシーは、ハーヴェイがベイカーに頼まれて説得に来たのだと知ると、ツンとそっぽを向いた。

「またハーヴェイ兄様に頼んだのね。あの人のそういう意気地のないところ、大嫌いだわ」

「ベイカー卿はお優しい方だ。お前に対しても強くは出られないのだろう。少しは察してあげなさい」

「それは優しいって言わないのよ。兄様も女心が分かってないわねぇ」

「エルシー、あまり周囲を困らせるな。今回は私の顔に免じて大人しく帰れ」

「今回も、でしょう? まったく、分かったわよ」

 それで話はついたようで、エルシーはぶつくさと文句を言いながらも帰って行った。エルシーの件が一段落すると、ハーヴェイが改めてキリルに視線を向けてくる。それまで蚊帳の外に置かれて安堵していたキリルは再び体を強張らせた。

「さて、先程の発言の真意を聞かせてもらおうか」

 無表情にそう言うと、ハーヴェイはキリルを伴って屋敷の中へと戻った。ハーヴェイにかけられていた魔法は解けたものの、この兄に対する畏怖の念は未だ健在で、キリルは戦々恐々としながら後に続く。客間で紅茶を淹れて向き合うと、ハーヴェイはさっそく本題を口にした。

「爵位が欲しいのか?」

「いえ……そうじゃ、なくて……」

 キリルは爵位に、まったくと言っていいほど関心がない。それはキリルが生まれた時にはすでにハーヴェイが爵位を継ぐことが決まっていたからで、キリルは爵位とはそういうものなのだと思っていた。それならば何故、兄から爵位を奪うなどという独白が口をついて出たのか。その理由をキリルがしどろもどろに説明すると、ハーヴェイは意外そうな表情をした。

「何故、王家に対抗する必要がある?」

「それは……兄さんは、ミヤジマ=アオイを知ってますよね?」

 彼女が王家に捕らわれたからだと聞くと、ハーヴェイは怪訝そうに眉根を寄せた。捕らわれた理由を問われたが、それはキリルも知らなかったので首を振る。ハーヴェイはしらばく黙っていたが、やがて表情を改めてキリルに向き直った。

「キリルはあの少女のことをどう思っている?」

 唐突な問いかけにキリルは狼狽したが、逡巡の末、率直な気持ちを兄に打ち明けた。少し間を置いた後、ハーヴェイは短く嘆息する。

「それならば一度、本邸の方に彼女を連れて来なさい」

「はい」

「そのためにはどうあっても、彼女を取り戻す必要があるな。ミヤジマ=アオイの知人にアルヴァという男がいただろう? 彼と接触してみるといい」

「その男なら、王城に行ったらしいです」

「……それは本当か」

 驚愕の表情を浮かべたハーヴェイは、俄かに色めき立った。兄の反応を見て、キリルは「ああ……」と胸中で独白を零す。

「そういえば、学友なんでしたね」

「あの男が動いたとなると、只事ではないかもしれない。キリル、お前は動くな。私が調べてみる」

 忙しなく言い置くと、ハーヴェイは席を立った。異次元から魔法書を取り出しているので、どこか自分には考えが及ばないような場所へ転移するのだろう。独力ではどうにもならない悔しさを噛みしめながら、キリルは頼もしい言葉を残してくれた兄を見送った。






BACK NEXT 目次へ


Copyright(c) 2013 sadaka all rights reserved. inserted by FC2 system