プリズン

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 冬月とうげつ期中間の月である白殺しの月の十三日。その日は仕事の予定ではなかったのだが、トリニスタン魔法学園に登校しなかったクレアは朝から雇い主の元を訪れていた。主の名は、ユアン=S=フロックハート。彼の少年は机上に山積みになった魔法書に埋もれていたのだが、クレアの姿を認めると席を立った。

「どうしたの?」

「お忙しいところ、申し訳ございません」

「今日は仕事の日じゃないんだから、フツウに話していいよ」

 クレアはユアンと、使用人の正装であるメイド服を着ている時以外は平素の態度で接するという契約を結んでいる。今日は私服でおとなったため、クレアは言われた通りにすることにした。

「レイチェル様はおらんのかいな?」

「レイなら人と会う約束があるって出掛けたよ。レイに用があったの?」

「さよか……」

 レイチェルもいるところで話をしたいと思っていたクレアは言葉を濁して閉口したが、すぐに思い直して唇を開いた。二度手間になってしまうが、彼らに伝えるのは早い方がいい。

「アオイが王家に捕まりおった」

 まだ三日が経っていなかったが、アルヴァとの約束を破ることにしたクレアは葵が行方不明になってからのことを洗い浚い、ユアンに説明した。






 朝早くに届けられた旧友からのメッセージに従って、レイチェルは王都の郊外にある一軒の屋敷を訪れていた。この屋敷を所有しているのはエクランド公爵で、呼び出しをかけてきたのは来年には爵位を継ぐことが決まっているハーヴェイ=エクランドだった。ハーヴェイとレイチェルはトリニスタン魔法学園の本校に通っていた時の同窓生である。老齢の執事に案内されて客間へ入ると、そこにはハーヴェイだけでなくロバート=エーメリーの姿もあった。ロバートはエーメリー公爵の子息であり、爵位継承者ではないが、レイチェルやハーヴェイとは共にトリニスタン魔法学園で学んだ仲だ。

「来たか」

「久しぶりだな、レイチェル」

 ハーヴェイとロバートがそれぞれの反応で迎えてくれたので、レイチェルは彼らに頷くと勧められた席に着いた。この集まりの発起人であるハーヴェイはレイチェルの分の紅茶を淹れると、さっそく本題を口にする。

「多忙極まりない君をわざわざ呼び立てたのは、他でもない、君の弟のことについて話があったからだ」

「アルヴァがどうかしましたか」

「王城に出頭した後、行方が分からなくなっている。そのことは、知っていたか?」

「いえ。今、初めて知りました」

 ハーヴェイが発した『出頭』という言葉に不穏なものを感じつつも、レイチェルは表情を変えることなく淡々と答えを口にした。弟が行方不明と聞いてもレイチェルは顔色を変えなかったわけだが、ハーヴェイとロバートは彼女の感情が面に出にくいことを承知している。そのためハーヴェイも、淡々と話を続けた。

「この事態について何か、心当たりはあるか?」

 問われたレイチェルはしばし考えるための間を置き、それから小さく首を振った。心当たりがないこともなかったが、現時点では憶測が事実かどうかを判断する材料が少なすぎる。レイチェルに尋ねれば何か解決の糸口が見付かると思っていたのだろう、質問を投げかけたハーヴェイは難しい表情になって唇を結んだ。黙り込んだハーヴェイに代わって、今度はロバートが口火を切る。

「それについては私に一つ、心当たりがある」

「何? どういうことだ、ロバート」

 ハーヴェイが訝しげな面を向けるのと同時に、レイチェルもロバートを見た。ロバートのミッドナイトブルーの瞳はこちらを直視していたので、目が、合う。彼が何かを掴んでいると思ったのは、その瞳と、アステルダム分校の理事長であるという彼の肩書きからだった。アルヴァが語ったのかもしれないと察したレイチェルは、進んで口を開く。

「考えを、お聞かせ下さい」

「アルは何らかの理由で王家に拘束されたミヤジマ=アオイという少女のために王城へ出向いた。そうだったな、ハーヴェイ?」

 ロバートが確認をするようにハーヴェイを振り向いたことで、レイチェルは自身の憶測とロバートの見解が一致していることを知った。一人だけ話が見えていないハーヴェイは困惑の表情を浮かべながらロバートに頷いている。この状況でハーヴェイ一人が真実を知らないことに意味はなく、レイチェルは彼にも解るように説明することにした。

「ミヤジマ=アオイという少女は異世界からの来訪者です。彼女が王家に拘束されたのだというのならば、おそらくそれが原因でしょう」

「あの少女が、召喚獣……?」

 話に聞いているだけではなく実際に葵にも会ったことがあるようで、ハーヴェイは驚愕を隠そうとしなかった。今初めて情報を得たハーヴェイに頭を整理する時間を与えるために、レイチェルとロバートは無言でティーカップに手を伸ばす。常人ならば驚きを収めるのにかなりの時間を要するだろうが、ハーヴェイは二人がティーカップをソーサーに戻す頃には気持ちを立て直したようだった。

「それは、禁呪を蘇らせたということか」

「そういうことに、なるな」

 独白のように零されたハーヴェイの言葉にロバートが相槌を打ったところで、客間は静まり返った。誰が禁呪を蘇らせ、ミヤジマ=アオイという少女を召喚したのか。それはアルヴァの出頭が全てを物語っている。ハーヴェイとロバートは、おそらくそう考えているのだろう。

「……止められなかったのか、レイチェル」

 しばらくの沈黙の後、ハーヴェイから向けられたのは非難のまなざしだった。しかし彼は、すぐに頭を振って表情を改める。

「いや、すまない。失言だったな」

「いえ。お気持ちは、解りますから」

 この場にいる者達は禁呪というものに対して過敏になっても仕方のない過去を共有している。その最たる者であるはずのレイチェルが落ち着き払っているので、ハーヴェイは苦い表情を浮かべた。

「その冷静なところは学生時代から変わらないな。私は時々、君が恐ろしくなる。だが何も感じていないわけではないのだろう?」

「ええ。わたくしも人間ですから」

「ならば聞かせてくれ。君はこの事態に何を思う?」

「不本意、ですね」

 レイチェルは不本意なことをそのままにしておく性質タチではない。彼女に動く気があることを知ったハーヴェイはふっと表情を緩め、ロバートは笑みを浮かべた。

「それを聞いて安心した。私の力が必要な時はいつでも頼ってくれ」

 レイチェルが本腰を入れて動くのであれば、その必要はないかもしれないが。そうハーヴェイが付け足すと、ロバートも同調するように頷いた。

「私はハーヴェイほど力もないが、気持ちは彼と同じだ。頑張ってくれ、レイチェル」

「お二人のお気持ちはありがたく頂戴しておきます。報せてくださって、ありがとうございました」

 立ち上がって頭を垂れると、レイチェルは旧友達に別れを告げて踵を返した。






 窓の外では大粒の雪が深々と降りしきる夜、屋敷のエントランスホールでユアンは同じ所をぐるぐると回っていた。今日は日中からその場所で足を動かしているか、私室でうろついているかという行動を繰り返している。気が急いて、とても眠れる状況ではなかったため、下手をすると朝まで屋敷内を徘徊しなければならないかもしれない。心を占めている不安とは別の憂慮に行き当たりそうになった時、屋敷の外にある魔法陣に人の気配を感知した。その人物が扉を開けるのを待ちきれずに外に飛び出したユアンは、魔法陣の上にいたレイチェルの元へ駆け寄る。

「レイ! 連絡しても反応がないから心配してたんだよ!」

「申し訳ございません。わたくしに何か、危急の用事があったのですか?」

「大変なんだ。アルが……」

 クレアから聞いた話を簡略に説明しても、レイチェルは眉一つ動かさなかった。そのあまりの無反応っぷりに、ユアンは眉をひそめる。

「もしかして、もう知ってた?」

「はい。その件について、ユアン様と話をしなければならないと思っていました」

 だから屋敷の中へ戻ろうと促され、ユアンは釈然としないながらもレイチェルの言葉に従った。屋敷内に余人の姿はないので、ユアンは歩きながら話を始める。

「僕はクレアから聞いたんだけど、レイはどうやって知ったの?」

「旧友から頂いた情報を元に推量しました。ですから厳密に言えば、知っていたわけではありません」

「旧友? 誰のこと?」

「ハーヴェイ=エクランドとロバート=エーメリーです」

「……なっとく」

 ユアンは二人と面識がないが、その噂はレイチェルやアルヴァ、その他諸々のところから耳に届いていた。エントランスホールから最も近い部屋で向かい合って腰を下ろすと、レイチェルはさっそく本題を口にする。

「どうなさいますか?」

「まずは現状をきちんと把握しないと。レイ、明日の予定は全部キャンセルしてくれる?」

「分かりました。朝一番でフェアレディのご予定も伺っておきます」

 葵が召喚獣として拘束されたというのなら、王家の誰かがコレクションに加えたはずである。まずはそれが誰なのかを、ロイヤル・ファミリーの中で一番切り崩し易い王女から聞き出そうというのだ。多くを語らずともレイチェルとは意思の疎通が可能なので、ユアンは頷いて見せた後、話を先に進めた。

「あと、アルが何て言ったかだよね。王城内で拘束されてるにしても、何の罪に問われたかによって変わってくるし」

「アルヴァは、自分がアオイを召喚したと言っているはずです」

 レイチェルの発言は憶測に過ぎなかったが、彼女の口調には他の可能性を排除する響きがあった。少し考えた末、ユアンも同意して顔を曇らせる。

「……そう、だね」

 アルヴァはユアンやレイチェルを庇うことが自分に課せられた使命だと、考えていた節がある。だがユアンやレイチェルは、彼がそのために自分を犠牲にすることを好ましく思っていなかった。それでもアルヴァの言動を抑制しなかったのは、それで彼の抱く罪の意識が少しでも薄れるならと考えていたからだ。

「バカだなぁ、アル。そんなことまでしてくれなくても、僕達は大丈夫なのに」

「そうですね。愚行であると、思います」

「でもさ、バカな子ほどカワイイって言うじゃない? レイもそのクチなんじゃないの?」

 レイチェルは否定も肯定もしなかったので、彼女が本当はどう思っているのかは、分からない。それでもユアンは、無言は肯定であると信じていた。だからアルヴァも、絶対に戻って来なければならないのだ。

「とにかく、明日だね。寝不足の顔じゃシュシュに会えないから、僕はもう寝るよ」

「はい。おやすみなさい、ユアン様」

「おやすみ、レイ」

 就寝前の通例となっている頬への軽い口づけを交わすと、ユアンは寝所へと戻って行った。






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