信じる心

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 王女に続いて室内に進入して来たのは、ユアンだった。普段の服装がラフというわけではないのだが、今日の彼はよりいっそう身なりを整えていて、貴族の風格を醸し出している。髪型を変えて、いつもは見えない額を露わにしていることも印象が違って見える一因かもしれない。ユアンがそうした出で立ちで王女の隣に並ぶと彼らは非の打ち所のない、お互いにとって最も似つかわしい恋人のように思えた。

(ロイヤルカップル、かぁ……)

 葵がそんなことを考えていると、ユアンの紫色の瞳が不意にこちらを向いた。目が合った瞬間に葵はドキリとしたのだが、ユアンの顔には知人に対する親しさも、葵がここにいることに対する驚きも浮かんでいない。

「この子?」

 葵から視線を外したユアンは王女を振り向いて尋ねた。彼の指が葵を示しているので、二人を交互に見た王女はユアンに頷いて見せる。まるで人間だねという会話を王女と交わしているユアンを見て、葵は彼の思惑を察した。彼は、アルヴァの犠牲を利用するつもりなのだ。

「こっちの、水槽の中にいる子は?」

 ユアンの関心がレムに移ると、水槽の中の岩場に腰を落ち着けている彼女は尾ひれで水面を強打した。水槽から飛び出した水が、ちょうど葵達が佇んでいる場所をめがけて落ちてくる。しかしユアンが素早い反応で魔法を使ったため、水は誰も濡らすことなく蒸発していった。

「大丈夫だった?」

 真っ先に王女を気遣った後で、ユアンは呆然としている葵にも声をかけてきた。その口調に必要以上の親しさは感じられなかったが、真っ直ぐこちらに向けられた紫色の瞳が、何らかの意思を湛えている。見捨てられるかもしれないと絶望しかけていた葵は、それを見てハッとした。

(ユアン……)

 自分がなんとかするから、待っていて欲しい。言外にそう言われたような気がして、葵は腰砕けになりそうなほど安堵した。葵が半ば反射的に頷くとユアンはニコリと微笑み、再び王女の傍に寄る。どうやらレイチェルもここへ来ているらしく、ユアンと王女はそんな話をしながら部屋を後にした。

「人王……」

 背後から独白が聞こえてきたので、扉を見つめていた葵は我に返った。振り向いてみるとレムは水槽の縁に腕を預けていて、少し身を乗り出すようにしながらユアンが去った後の扉を見つめている。その様子に、葵は目を瞬かせながら口火を切った。

「それって、少し見ただけで分かるようなものなの?」

「人王を知っておるからのぅ。あの小僧が魔法を使った時に見せた輝きは人王のそれとよう似ておった。 ……代替わり、したんじゃのぅ」

 この世界の人間の寿命は、おそらく葵の感覚と大差ないだろう。それに比べてレムは千年以上の時を生きてきたのだから、先代の人王と面識があってもおかしくはない。葵が一人で納得していると、やがてレムが視線を向けてきた。

「おぬしは人王が何たるかも、あの小僧のことも知っておったのだな?」

「……うん。今は知らない振りをしてないといけないけど、ユアンならきっと、この世界を変えてくれるよ」

 それはハント場で出会った召喚獣の子孫達が口にしていたことだった。ユアンが王になれば、この国が変わる。そうすれば、葵やレムのように召喚獣だからという理由だけで閉じ込められる者もいなくなるだろう。レムにその話をすると胡散臭げな表情をされてしまったが、それでも葵は晴れ晴れとした気分で笑い返した。






 王女のコレクションハウスには、コレクションを展示しておくための長い廊下がある。シャルロットやユアンと別れた後、レイチェルはローデリックに伴われてその廊下を訪れていた。廊下の所々には小規模なホールがあって、そこに様々なコレクションが飾られている。その多くが絵画だったり美術品だったりする中で、ある一つの場所にだけ、まったく趣の異なったものが飾られていた。

「美しいだろう?」

 ローデリックが薄笑みを浮かべて見上げたそれは、巨大な水晶柱だった。無論、ただの水晶ではない。内部に人間を閉じ込めた特別なもので、水晶の中では金髪の青年が静かに眠りに就いている。水晶の檻クオーツ・プリズンに収監されている罪人はレイチェルの実弟である、アルヴァ=アロースミスだ。

「この青年はレイチェル、君の実弟なのだそうだな?」

「……そうです」

「彼がどのような罪を犯し、このような姿になっているのか、君は知っているのではないか?」

「存じません。お教え願えますか?」

「いいだろう、教えてやる。彼はわたしに大罪を告白したのだ」

 ミヤジマ=アオイという少女を召喚したのは自分であるという、大罪を。ローデリックがそう言うので、アルヴァを見上げていたレイチェルは彼の方に視線を傾けた。目が合うと、ローデリックは微かに眉をひそめる。

「このような時でも君の表情は動かないのだな。大罪人とはいえ身内がこれでは、彼が哀れに思えてくる」

 救ってやりたいとは、思わないのか。ローデリックがそんな言葉を付け足したので、今度はレイチェルの方が微かに眉根を寄せた。

「それは、どういった意味なのでしょう?」

「その問いに答える前に、わたしの質問に答えていただこう。レイチェル、君にとって弟とはどういった存在だ?」

「大切な家族、ですが」

「家族のためならば何を犠牲にしても構わないと思うか?」

「全て、というわけには参りません。わたくしも立場のある身ですから」

「なるほど、君らしい答えだ。ではもう少し絞り込むとしよう。弟のためであるのなら君自身を犠牲にすることは可能か?」

「わたくしの身一つで済むのでしたら、喜んで」

「二言はないな?」

 ローデリックが引き出したかったのは先程の一言であったらしく、彼は不敵な笑みを浮かべて言葉を次いだ。

「君がわたしの物になると誓うのなら、彼を助けてやってもいい」

「…………」

「出来ないのだろう? 身一つで済むのならと言っておきながら、君は結局自分が可愛いのだ。保身のためならば実弟でも見殺しに出来る、恐ろしい女……」

「今宵、寝所に窺えばよろしいのでしょうか」

「……何だと?」

 それまで気持ち良さそうにレイチェルを非難していたローデリックの顔が、急に強張った。彼はあ然としていたが、レイチェルは淡々と話を進める。

「今宵はユアン様のご予定もございませんので、夕食の後、すみやかにお伺い出来るかと思います。そちらのご予定はいかがですか?」

「それは……本気で言っているのか?」

「わたくしが本気ですと、何か問題が?」

「君にはプライドというものがないのか!」

 ローデリックが突然激昂したので、レイチェルはキョトンとした。それがさらに怒りを煽ったようで、ローデリックは早口に捲くし立てる。

「脅迫されてあっけなく屈するなど、レイチェル=アロースミスのやることではない! わたしを失望させるな!」

「はあ」

「何だ、その気のない返事は! いつもの君らしく堂々と、強かに振る舞え!」

 一気に怒りを吐き出すと、口唇を結んだローデリックは肩で荒い息をしていた。しばらくそうしていた後、彼は苛立たしげな面をレイチェルに向ける。

「そこまで言うのなら今宵、わたしの寝所に来るがいい。君の覚悟を試してやろう」

 吐き捨てるように言うと、ローデリックは去って行った。その場に取り残されたレイチェルは再び水晶柱を見上げ、しかしすぐに視線を側方へと流す。いつから見ていたのか、ユアンが笑いながら姿を現した。

「あんなにムキになっちゃって、ロルってばカワイイねぇ。そう思わない? シュシュ」

「あんなロル、初めて」

「ロルはね、レイの虜になっちゃったんだよ。まさに骨抜きってやつだね」

「ユアン様」

 レイチェルが容喙すると、ユアンはイタズラな笑みを浮かべたままペロリと舌を出した。反省の見えない態度に短く嘆息したレイチェルはその後、表情を改めてシャルロットに向き直る。

「見苦しいところをお見せしてしまい、申し訳ございませんでした。フェアレディに醜態を晒したとあっては教育係の面目が立たなくなってしまうと思われますので、この件はどうぞ内密にお願い致します」

「それが、ロルのため?」

「然様でございます」

 素直に頷いてくれたシャルロットに謝意を含ませた一礼をして、レイチェルはユアンに視線を戻した。彼の目はレイチェルとシャルロットのやりとりにではなく、展示品として飾られている水晶柱に向けられている。その横顔には微かな険しさが漂っていたが、シャルロットがユアンを呼ぶと、それは瞬く間に隠蔽された。






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