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「それともう一つ、陛下にお願いがあります」

 国王が閉口して考えこんでいるところに、ユアンが言葉を重ねた。口元に手を当てていた国王は姿勢を正し、ユアンと目を合わせてから口を開く。

「申してみよ」

「はい。召喚魔法を禁呪から外していただきたいのです」

 葵にはそれが何を意味するのか分からなかったが、国王の顔を見る限りでは、どうやら相当に重大なことであるらしい。黙っては聞いていられないといった感じで、ローデリックも容喙してきた。

「ユアン様、何を仰っているのかご自身でお解かりになっていますか?」

「もちろんだよ、ロル。僕は彼女達が望むなら、元の世界に帰してあげたいんだ」

 ユアンの目が葵へと向けられたので、その場の視線が一気に集中した。ローデリックも葵を一瞥した後、苦い面持ちでユアンに視線を戻す。

「召喚魔法は王家が定めた禁呪なのです。おいそれと特例を認めることは、あってはなりません」

 それはユアンも重々承知しているはずだと、ローデリックは少し怒っているような口調で捲くし立てる。しかしローデリックの意見を聞いても、ユアンは涼しい表情のままだった。

「ロルは何で召喚魔法が禁呪になったのか、その理由を知っている?」

「それは……存じ上げません」

「陛下はご存知ですか?」

 突然話を振られた国王は眉をひそめた後、両脇に座している王妃と王女を振り向いた。しかし二人とも知らないようで、国王の問いかけに答える言葉はない。改めてユアンに向き直った国王も、理由までは知らないのだと言った。

「まさか、調べたのか?」

「はい。王宮図書館を隅々まで調べてみましたが、その理由はどこにも記録されていませんでした」

「それでは、結局のところは解らないということだな」

「はい。召喚魔法が何故禁呪とされたのかは解りませんが、その要因は世界にではなく、人間側にあったのだということは判明しています」

「それは……どういうことだ?」

「実は私が、今生の人王なのです。禁呪とされた原因が世界にとって都合の悪いことならば、私が禁呪について調べることを世界が好としなかったでしょう。しかし今のところ、世界の調和を乱す行為には相当しないようなのです。ですから召喚魔法が禁呪とされた原因は人間側にあるのだと、確信しました」

 滔々とうとうと語っていたユアンはそこで一度口を閉ざしたのだが、どこからも反論や質問などは発せられなかった。その代わりに、誰もが一様に目を剥いている。話についていけていない葵以外ではただ一人、レイチェルを除いて。

「人……王……」

 しばらく静寂が続いた後、国王が驚愕の表情を残したまま独白を零した。驚きの原因はそれだったのかと、葵は遅ればせながら一人で納得する。レイチェルが無表情を保っているのは、すでに知っていたからだろう。

「黙っていて申し訳ありませんでした。十五歳になった時に、お話ししようと思っていたのですが」

「……ユアンよ。そなたに一つ、訊きたいことがある」

「何なりと」

「そなたが人間界モンド・ゥマン調和を護る者ハルモニエとなったのと、我国の占術によってシャルロットの伴侶として選ばれたのでは、どちらが先だったのだ」

「シャルロット様の伴侶として選んでいただいた方が先でした」

「なるほどな。これは愉快だ!」

 一人で納得すると突然、国王は朗らかに笑い出した。その笑い声は本当に愉快そうで、彼は嬉しくてたまらないといった様子で王女に視線を傾ける。

「シャルロットよ、そなたの伴侶は類稀なる逸材だ。悠久なる我国の歴史の中でもハルモニエを伴侶とした者などおらぬぞ」

 それは大変誇らしいことのようで、国王は上機嫌なままユアンに視線を戻した。

「人王の仰せとあらば従わぬわけにはいかぬな。さっそく召喚獣の解放令を下そう」

 ユアンが人王だと打ち明けたことで話は一気に進み、国王は明るい表情のまま腰を上げた。しかし立ち去ろうとする国王の動きを、王女の突然の行動が制する。何かに急かされたように立ち上がった王女は葵の元へ駆け寄って来て、そのまま葵の腰の辺りにがっちりとしがみついた。

「シュシュ……」

「シャルロット……」

 王女の行動を見て独白を零したユアンと国王が、こちらに歩み寄って来た。どうしていいか分からなかった葵が両手を上げていると、王女は葵の腹の辺りで『いやいや』というように首を振る。その様は誰が見ても、駄々っ子そのものだった。

「手放したくないという気持ちは解る。だが召喚獣の解放は人王の……そなたの伴侶が望んでいることなのだぞ?」

 父親である国王が優しく言い聞かせても、王女は葵から離れようとしなかった。優しく言い聞かせるからこそ、彼女は我が儘が通ると思ってしまうのかもしれない。ユアンも王女に対しては強く出られないようで、困惑気味の苦笑を浮かべている。膠着状態になっていると、それまで黙していたレイチェルが口を挟んできた。

「フェアレディ、貴女は彼女の意見を聞いたことがありますか?」

 目線を合わせるように王女の傍でしゃがみこんだレイチェルは、そう言うと葵を見上げてきた。王女もつられるように目線を上げたが、レイチェルの問いに対する答えはない。それでもレイチェルは淡々と言葉を続けた。

「ユアン様が仰っていたように、彼女にもわたくし達と同じ心があります。彼女が今の状況をどう思っているのか、聞いてみましょう」

 冷たくもなければ柔らかくもない声音で王女に言い聞かせると、レイチェルは立ち上がった。彼女に目で促された葵は一つ息を吐いて、それから正直な気持ちを語り出す。

「私は好きでこの世界に来たわけじゃないし、出来ることなら今すぐ帰りたい。でも帰れないから、仕方なくここにいるの。何かしたわけでもないのにハンターに狙われたりとか、首輪をつけられて閉じ込められたりするのは、正直、すごく嫌な気分」

 葵の本音が辛辣だったこともあり、王女は傷ついた顔をして手を離した。項垂れてしまった王女を見て、彼女を悪く思わないでくれと言っていたユアンも顔をしかめる。国王もユアンと同じ表情をしていたが、返す言葉がないのか黙ったままでいた。それらの反応を一瞥した葵は、さらに嫌な気分になりながら言葉を続ける。

「私だけじゃなくて、たぶん異世界から来た人はみんなそう思ってると思う。私を捕まえたハンターも人間とは違う姿をしてて、自分が生きていくために仕方なく同類を狩ってるんだって言ってた。そんな世界、おかしいじゃない。すぐに直してよ」

 所有物として扱われるのは御免だが、歪みが修正された世界でならきっと、人と人の付き合いが出来ると思う。葵がそう告げると、謁見の間には奇妙な沈黙が流れた。

「シュシュの、友達になってくれるの?」

 静寂を破ったのはユアンで、念を押すように確認された葵は苦笑いで頷いた。もちろん、王女の方にその気があればの話だが。葵がそう付け足す前に、顔をほころばせたユアンが王女の手を取る。

「良かったね、シュシュ。人間の友達は初めてじゃない?」

「ともだち……?」

「僕とも、ロルとも違うよ。お城の侍従とも違う。友達っていう関係の前ではシュシュも王女様じゃなくて、一人の人間なんだよ」

「一人の、人間……」

 不思議そうにユアンの言葉を繰り返していた王女が、不意に葵を振り返った。その面にはまだ実感が窺えなかったが、葵は笑みを浮かべて王女の視線を受け止める。

「あんな所に閉じ込めておかなくたって、この世界には魔法があるんだから。私は魔法が使えないから会いに来るのは難しいけど、話がしたくなったらいつでも会いに来てよ」

「いつでも? いいの?」

 大きく目を見開くと、王女は後方を振り返った。彼女が視線を傾けた先にはローデリックがいて、彼は王女の視線をそのまま国王夫妻へと流す。王妃は上品な微笑みを浮かべ、国王は少し渋い表情で「節度ある範囲でなら」と娘の意向を受け入れた。両親の許しを得た王女が再びこちらを向いたので、葵は笑みを浮かべて口を開く。

「ちゃんと自己紹介、してなかったよね? 私、宮島葵っていうの。宮島がファミリーネームでアオイがファーストネームなんだけど、好きに呼んで」

「アオイ」

「うん。じゃあ、名前を教えてくれる?」

「シャルロット=リュヌ=スレイバル」

「ユアンみたいにシュシュって呼んでいい? この呼び方、可愛いなぁって思ってたの」

 可愛いと言われたのが嬉しかったのか、シャルロットは花が咲いたような笑みを浮かべた。この時すでに不穏な空気は漂っていたのだが、シャルロットが初めて見せた笑みに見入っていた葵は、まだ自分の失言に気付いていなかった。






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