「ユアンよ、ちと尋ねたいのだが」
葵とシャルロットが握手を交わしていると、不意に国王がユアンに視線を傾けた。葵とシャルロットの様子を微笑みながら見守っていたユアンは頬を緩ませたまま、国王を振り返る。しかし彼の朗らかな表情は国王が発した次の一言でたちまち凍りついた。
「そなたはこちらの少女と懇意であったのか?」
この一言にギクリとしたのは葵も同じだった。ユアンが少し頬を引きつらせながら何故そう思ったのかと尋ね返すと、国王は先程の葵の言い回しがそう思わせたのだという。そこまで説明されて初めて、葵は自分の失言に気がついた。
(しまった! フツウに名前で呼んじゃった!)
ユアンのように、などと発言すれば、確かに繋がりがあると思われても仕方がない。ユアンも突然のことに焦ってしまったようで、まだ国王の問いに答えられずにいる。万事休すかと葵とユアンが肝を冷やしていたところに、絶妙のタイミングでレイチェルが口を挟んできた。
「時に陛下、わたくしからもお尋ねしたいことがあるのですが、よろしいでしょうか?」
「ああ。構わぬ」
国王の意識がレイチェルに向いたところで、葵は密かに安堵の息を吐いた。横目でチラリとユアンの様子を窺うと、彼も「助かった」というように嘆息している。
(さすがレイ……)
ユアンもおそらく、同じことを思っているだろう。そんなことを考えながら、葵はレイチェルと国王の会話に耳を傾けた。
「召喚魔法が禁呪ではなくなるのでしたら、彼女を召喚した者の罪はどうなるのでしょう」
「彼女はいつ召喚されたのだ?」
葵を召喚した者について何も聞かされていなかったようで、国王は怪訝そうに眉をひそめている。レイチェルが答えようと口を開きかけたが、その前にローデリックが容喙してきた。
「ミヤジマ=アオイを召喚したのは、そちらの家庭教師殿の弟君です。すでに
「そうであったか……」
レイチェルが何故罪人を気にかけたのか、彼女に視線を戻した国王は得心したようだった。それから少し考えるような間を置き、彼は問いの答えを口にする。
「禁呪と知りつつ召喚魔法を復元させたことは遺憾だが、召喚の魔法自体が禁呪ではなくなるのだ。罪に問うことは出来まい」
「そうですか。安心いたしました」
レイチェルは常の無表情を崩さなかったが、この一言は肉親を案じていたからこそ出たものだと、誰もが思った。しかしその考え方を、レイチェル自らがすぐに否定する。
「良かったですね、ユアン様」
「……え?」
何故か急に矛先を向けられたユアンが、ギョッとしたようにレイチェルを見る。その顔には困惑が見て取れたが、レイチェルは構わずに再び国王を振り向いた。
「陛下、ミヤジマ=アオイを召喚したのはわたくしの弟であるアルヴァではございません」
レイチェルが突然本当のことを暴露し始めたので、必死でユアンのことを隠そうとしていた葵は耳を疑った。アルヴァから直接偽の告白を受けたローデリックも、驚きに目を剥いている。葵が恐る恐る視線を移すと、ユアンは卒倒しそうなほど青褪めていた。今、一番肝を冷やしているのは間違いなく彼だろう。葵がそんなことを思っている間にも、レイチェルと国王の会話は続く。
「そなたの弟ではないというのなら、彼女を召喚したのは誰なのだ?」
「その罪人の名は、ミヤジマ=アオイ自身に語っていただきましょう」
ついにはレイチェルがそんなことを言い出したため、その場の視線が一気に葵の方を向いた。様々な感情を孕んだ視線の中でも、ユアンから向けられる懇願のまなざしは強烈だ。対するレイチェルはあくまでも飄々と、言外に何を語りかけてくることもなくこちらを見ていた。
(……えっと、どうしよう)
葵的には、ここで真実を告白しようが事実を隠蔽しようが、どちらでも構わない。どちらを選ぶにせよ、自分もアルヴァも救い出されることがすでに八割がた決まっているからだ。この場合、味方をするならば……。
「私を召喚したのは、アルじゃないです」
ユアンに任せると酷い目に遭うこともあるが、レイチェルに任せておけば間違いはない。そう判断した葵は国王の前で真実を告白した。すると葵に集っていた視線が、今度は一斉にユアンの方へと向く。謁見の間には何とも言えない沈黙が、流れた。
「陛下。ユアン様は召喚獣の扱われ方ついて、幼い頃からお心を痛めておられました。召喚魔法が禁呪と知りながら復元させたのは、対となる送還の魔法を復元させたかったからなのでしょう」
隠し通してきた真実を告白させたのもレイチェルなら、ユアンを庇ってみせたのもレイチェルだった。その言動からは彼女の真意が読み取れず、葵は首を傾げる。不可解に思っているのはこの場にいる者全てが同じなようだったが、そのことには言及せず、国王が話に応じた。
「ではそなたの弟は、ユアンを庇って嘘をついたということか」
「愚弟の浅慮と、ユアン様の躾が成っていなかったことを深謝致します。今回のことはアルヴァの姉であり、ユアン様の家庭教師である、わたくしの責任です」
「そなたは何もしておらぬではないか。罰すべき者は他にいる」
重々しく嘆息すると、国王はユアンに視線を傾けた。直立不動のまま国王の視線を受け止めたユアンは石のように体を硬直させている。その様を見て、国王はまたため息をついた。
「しかし、彼は我国の次代を担う者であるうえ、人王であることも判明した。公に罰するのは好ましくないのだが、レイチェルよ、そなたの意見を聞かせてくれ」
「では、僭越ながら私見を述べさせていただきます。ユアン様を法に照らし合わせて罰するのは避けた方が無難かと存じます。ですが、罪は罪。何らかの罰は受けるべきでしょう」
「その方法とは?」
「この場合、伴侶であるフェアレディに一任するのがよろしいかと」
「ふむ」
レイチェルの意見を聞いて妙案だという顔つきになった国王は、ぼんやりと話を聞いていたシャルロットに目を向けた。
「シャルロット、今の話を聞いていたな? そなたが良いと思う方法でユアンに罰を与えてあげなさい」
「ばつ……」
唐突に言われても、シャルロットには何も思いつかなかったのだろう。困惑の表情を浮かべた彼女は、それまで国王と話をしていたレイチェルに助けを求めるような目を向けた。それを受けて、レイチェルは力強く頷いて見せる。
「フェアレディ、ユアン様に
レイチェルの言葉が何かしらのヒントになったようで、シャルロットはコクンと頷いた。
「ディアブル、おいで」
ユアンに向けて左腕を突き出したシャルロットが何かを呼ぶと、彼女の指輪が輝き出した。そこから紫色の雲のようなものが出現し、シャルロットの指の上で渦を巻く。エクランドの
(魔人……?)
シャルロットが召喚したものを見て、葵が連想したのがそれだった。屈強そうな紫色の『人』の名前が、どうやらディアブルというらしい。
「ユアンに、おしおき」
『御意』
シャルロットの命を受けると、ディアブルは怪しげに目を光らせてユアンを見た。ユアンはすでに逃げ出していたが、瞬時にして体を伸ばしたディアブルが造作無く捕獲する。そして強烈な、尻叩きが始まった。
「痛い! 痛い!! シュシュ、やめてよぉ!」
「ダメ。悪い子にはおしおき」
「うわーん!!」
泣き喚きながらシャルロットに許しを乞うユアンからは、常の賢しさが微塵も感じられなかった。こうして『おしおき』をされているところを目の当たりにすると、普段どんなに大人顔負けの振る舞いをしていても、ただの子供にしか見えなくなってくる。
(お似合いだなぁ)
そんなことを考えたが最後、葵は顔を背けて吹き出した。一人で笑っていると、レイチェルが隣に並ぶ。
「ありがとうございました」
「何が?」
「近頃のユアン様の言動は、目に余ることが多すぎましたので」
レイチェルはそれ以上を語らなかったが、葵には言葉の続きが聞こえたような気がした。いつから計画を立てていたのかは分からないが、彼女にはユアンの秘密を守り通す気など、初めからなかったのだろう。その発想は実に『家庭教師』らしく、葵は浮かんできた笑みを隠すために手で口元を覆った。
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