世界の臍からユアンと一緒に暗闇に飛び込んだ時のような無重力の感覚はなく、葵は一気に闇の底まで落下した。落下の終着点には淡い光が溢れていて、その場所に佇んでいたユアンは勢い良く尻餅をついた葵を見て目を丸くする。
「アオイ!? 何で来ちゃったの!?」
せっかく元の世界に帰れたのにと、ユアンは驚愕しながら言葉を重ねた。度重なる落下で体を痛めた葵は顔をしかめながら起き上がり、ユアンに向き直ってから口を開く。
「だって、アルを復活させるのに私にも出来ることがあるんでしょ? ほっとけないよ」
「アオイ……」
顔を歪めると、ユアンは抱きついてきた。くぐもった声で「ありがとう」と言うのが聞こえてきたので、葵もユアンの体を抱き返す。
「アルを連れて戻ったら、私が元の世界に帰れる方法を絶対見つけてよね」
「うん。僕、アオイのために頑張るよ」
体を離したユアンは葵を見上げ、ニコリと微笑んだ。それは別れを告げた時のような寂しい笑顔ではなく、ホッとした葵もはにかんだ笑みを浮かべる。だがいつまでも和んでいる場合ではなかったので、葵は気分を改めると本題を口にした。
「さっき、何があったの?」
「僕達が
どれだけ激しい拒絶をされたらそんなことになるのかと、葵は呆れるのと同時におかしさを感じて小さく吹き出した。葵の反応を見て苦笑したユアンは「笑い事じゃないよ」と言ってから説明を続ける。
「僕達がアオイの世界に飛び出しちゃったところまでは偶然じゃないけど、アオイがここに戻って来られたのは奇跡的なことなんだよ? 自分がどれだけ危ないことをしたか、分かってないでしょ?」
「え? そうだったの?」
「そうなの。僕がアオイを召喚した時と同じで、何かが少し狂っただけでアオイは世界の狭間を永遠に彷徨うことになってたかもしれないんだ。ゾッとするよ」
「……怖っ」
「遅いよ」
ユアンが吹き出したので、葵もつられて笑った。精神状態が普通の時ならば肝を冷やすような話だが、葵は今、ある種の興奮を感じている。今なら何があっても笑い飛ばせるような気がして、葵は笑みを浮かべたまま言葉を次いだ。
「急に言葉が通じなくなっちゃったのは?」
「う〜ん、僕にもよく分からないけど、たぶん僕が『召喚』されてアオイの世界に行ったわけじゃないからじゃないかな」
「マンホールのフタに魔法陣があったけど、あれってユアンが描いたの?」
「まんほーる?」
「えっと、こういう丸いフタ」
言葉ではうまく説明が出来なかったので、葵はジェスチャーで伝えることを試みた。実際に実物を見ているユアンにはすぐに話が通じたようで、彼は小さく首を振る。
「あれは僕が描いたわけじゃなくて、この世界が僕のために道を開いてくれたんだ。僕は一応、人王だからね。この世界になくてはならない存在なんだよ」
「じゃあ、私の世界でも魔法が使えたとかっていうわけじゃないんだ?」
「あ、試してみれば良かったかな。でも、あの時はそんな余裕はなかったし……」
別の世界で魔法を使ってみるという発想自体がなかったようで、ユアンは悔しそうに独白した。葵も少し期待していたのだが、過ぎたことを言っても仕方がないと話題を元に戻す。
「で、ここはどこなの?」
「ああ、えっと……何て言ったらいいのかな」
説明する言葉に窮した様子で、ユアンは考えこんでしまった。しかし長考することはせず、彼はすぐに顔を上げる。
「あそこ、見て」
ユアンが指差した方向を見た葵は、そこに見覚えのあるものを発見して眉根を寄せた。闇の中で仄かな光を放っていたのは足元から続いている道で、その道の果てには洋館が建っている。淡い光を放つ一本道も、暗闇の中にぼんやりと浮き上がる館も、以前に見たものとまったく同じだ。
「私、ここのこと知ってる」
「え?」
葵が独りごちると、ユアンが驚いた様子で視線を傾けてきた。それからふと、彼は眉をひそめる。
「そういえば、さっきもそんなこと言ってたよね」
「うん……」
「いつ来たの?」
ユアンが真顔で尋ねて来たので、葵は精霊王に助けられた時のことを詳しく説明した。元精霊王がこの道を辿って行ったのだと聞くと、ユアンは館の方に顔を傾けながら言葉を紡ぐ。
「そっか。アオイは、精霊が世界に還るところを見たんだね」
「あれが……?」
「僕たちには館に見えているけれど、あれは
「人間の魂も、なんだ?」
「そう。だから僕たちは、あそこに行くんだよ」
それきり口を噤んだユアンは、詳しい説明を加えようとはしなかった。無言になった彼は真顔で、館を注視している。その横顔を見て心構えをした葵は静かに口火を切った。
「じゃあ、行こう?」
葵が手を差し出すと、ユアンは躊躇いがちに手を重ねてきた。その手から震えが伝わってきたので、驚いた葵はユアンを見る。目が合うと、ユアンは弱々しい笑みを浮かべて見せた。
「大丈夫、もう止まったよ」
「ど、どうしたの?」
「僕たちがあそこへ行くことを世界が拒んでる。さっきは弾き返されただけで済んだけど、今度は消されちゃうかもしれないんだ。そう思ったら怖くて、動けなかった」
だから葵が落下してくるまで、彼はここで立ち尽くしていたのだという。ユアンの口から弱気な科白を聞いて改めて、葵は戻って来て良かったと思った。そんなに大変なことを、彼一人にやらせないで済む。そう思ったら嬉しくて、勇気が湧いてきたのだ。
励ましの言葉を口にする代わりに、葵はユアンの手をギュッと握った。ユアンも笑みを浮かべて握り返し、それから彼は進行方向へ体を傾ける。葵も道を正面に据え、ユアンと息を合わせて一歩を踏み出した。
「……何ともない、ね?」
前に進んだ途端に先程のような衝撃が来るのではと身構えていた葵は拍子抜けしながらユアンを振り向いた。もう一歩進んでから、ユアンもようやく安堵の息をつく。
「とりあえずは大丈夫、みたいだね。早くソールス・オブ・メメントに行こう」
ユアンが歩みを速めたので、手を繋いでいる葵も歩調を合わせた。前を見て歩いている葵は気付いていなかったが、彼女達の歩調に合わせるようにして辿って来た道が消えていく。ユアンはそのことに気が付いているようだったが、彼は葵に告げずに無言で歩を進め続けていた。
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