「アオイも知ってる通り、アルとレイはトリニスタン魔法学園の本校に通ってた。貴族の出身でもない平民が本校に入学したってだけでも異例中の異例だったんだけど、アルとレイは才能に溢れた貴族の子弟をも唸らせる、本物の天才だったんだ」
アルヴァの過去を語るにあたって、ユアンはそんな話から口にした。アロースミス姉弟の伝説は葵も聞き及んでいたので、黙したまま次の言葉を待つ。一呼吸分の間を置いた後、ユアンは話を続けた。
「でもね、アルは在学中に事故を起こして、トリニスタン魔法学園を去って行ったんだ」
「事故……って?」
「禁呪の封印を解こうとして、失敗したんだよ」
禁呪と、失敗。その二つの単語が葵の脳裏にレイチェルの姿を蘇らせた。彼女の体には禁呪を復元しようとして失敗した者が負うのだという荊の刻印がある。葵はレイチェル自身がその行為に失敗したのだと思っていたのだが、それではユアンの説明と辻褄が合わない。しかしその疑問は、ユアンが言葉を次いだことにより解消された。
「レイの体に刻まれてる罰は、本来ならアルが負うべきものだったんだ。でもレイが庇ったから、アルは無傷で済んだんだって」
「……そう、だったんだ」
「でもアルを庇ったせいで、レイの魔力は半減してしまった。禁呪を復活させようとしたことは学園に知られる前に揉み消したらしいんだけど、アルは責任を感じたんだろうね。それからすぐ、学園を辞めたんだって」
ユアンの話を聞いていて、葵は以前にアルヴァが本校について語っていたのを思い出した。トリニスタン魔法学園の本校は高い志を持つ者にとっては聖域だが、挫折を知った者には氷河のように冷たい。そんなことを言っていたアルヴァはおそらく、その時に『地獄』を経験したのだろう。レイチェルのために骨身を削り、彼女のためならば自己犠牲を厭わないのはそういうことだったのかと、葵は小さく首を振った。
「じゃあ今度は、僕が記憶を辿るね」
ユアンが本題に戻ると、輪の中に再び映像が浮かび上がってきた。そこに映し出されているのは金髪の幼子と、同じく金髪の女性。それがユアンとレイチェルであることをすぐに察した葵は、食い入るように映像を見つめた。
「これ、何年前くらいの記憶?」
「僕が四・五歳くらいの時だから、七年くらい前じゃないかな。レイがカワイイでしょ?」
「うん。若いっていうか、幼いっていうか……」
落ち着き払っている雰囲気は今と変わらないものだったが、やはり七年も前のことともなると顔つきが幼い。年齢は葵よりもほんの少し年上の頃らしいのだが、葵はユアンの言う通り可愛いと思った。
《ユアン様、わたくしの弟のアルヴァです》
レイチェルがそう言うと、映像にアルヴァの姿が現れた。当時のアルヴァを見た刹那、葵は目を見開く。
「う、うわぁ、若い!」
「この頃のアルは十六・七歳かな?」
「私とタメくらいかぁ。今もレイに似てるけど、この頃は激似だね」
「髪も今より長かったしね。僕も最初は女の子かと思ったよ」
ユアンの発言から少し遅れて、映像のユアンもアルヴァが女の子なのではないかとレイチェルに尋ねていた。レイチェルは至極真面目な顔で、弟は普通男のことを言うのだと子供のユアンを諭している。レイチェルの受け答えもおかしくて、葵は笑ってしまった。
《初めまして、ユアン様。僕はアルヴァ=アロースミスと申します》
目上の人に対するようなしっかりした挨拶をすると、アルヴァはユアンの足元に跪いてから頭を垂れた。挨拶を終えた後もアルヴァが口調を崩すことがなかったので、葵はユアンを振り向く。
「この頃にはもう猫かぶってたんだね」
「いつから裏表を使い分けるようになったのかは分からないけど、僕が知り合った時にはもうそんな感じだったね」
「ユアンはいつ、アルが猫かぶってること知ったの?」
「じゃあ、その辺りの記憶を見てみようか」
調節は自由自在のようで、ユアンの発言に従って映像が切り替わった。新しい映像の中では先程の出会いの時より少し成長したユアンが大泣きしていて、レイチェルなんて嫌いだと喚いている。
「レイ嫌いとか言ってるけど、何かあったの?」
「それを説明するには、まず僕の家族のことを話さないとね」
そう言い置くと、ユアンは最初にフロックハート家のことを説明した。フロックハート家はもともと子爵だったらしいのだが、占術によってユアンがフェアレディの伴侶として選ばれた時に爵位を返上している。だから今は、厳密に言えばユアンもその家族も貴族ではない。しかし次代の国王を輩出した一門は貴族以上の存在であり、かなり優遇されているとのことだった。
「でも、僕の両親は特権なんて使ったことがないんだ。王城内に部屋を与えられているんだけど、そこにも移らずに、今も子爵の時に住んでた屋敷で慎ましく暮らしてる」
「すごい、出来た人達だね」
「うん。すごく、尊敬してる。でもまあ、そういう人達だからこそ厳しくてね。僕は小さい頃にレイに預けられちゃったわけ」
「預けられたって……どういう意味?」
「さっきの、アルを紹介された頃にはもう両親と一緒に住んでなかったんだよ。物心ついた時にはレイと二人で暮らしてて、両親とは一年に数回会うだけっていう生活を続けてるんだ」
「それは、何で?」
ユアンの話から察するに、彼の両親は我が子の教育を放棄するような人達ではないだろう。ならば我が子を他人に預けたのには何か理由があるはずなのだ。自然とそう思った葵が問いかけると、ユアンは微笑みながら答えを口にした。
「僕は特別な子供だからね、教育の失敗は許されなかったんだ。でも家庭のことって、外からはなかなか見えないじゃない? だからレイみたいな人が必要だったんだよね」
レイチェルの役目はユアンに勉強を教えることだけではなく、ユアンの両親をも監督し、彼らの考える教育が王者を育むのに相応しいかどうかを第三者の立場から見定めることにある。そんなことが出来るのはレイチェルしかいないと判断したため、ユアンの両親は彼女に協力を求めたのだそうだ。
ユアンの両親は当初、レイチェルにフロックハート邸に住み込んでユアンの面倒を看てもらいたいと望んでいたらしい。しかしレイチェルが拒んだため、ユアンは幼くして両親と別居するようになった。同居を拒んだのは早いうちから自立心を養う狙いがあったのと、両親のためだったのではないかとユアンは言う。もしもレイチェルがフロックハート邸で同居していたら、ユアンの両親は常に監督の目に晒されることになっていた。覚悟はしていても、実際に日常的な重圧を受ければ確実に心の負担となっただろう。そう見越していたレイチェルは離れることで、ユアンの両親が我が子に愛情を注ぎやすい環境を整えてくれたのだ。
「というわけで、僕を直接的に教育してきたのはレイなんだ。レイ一人でもう一人の両親、っていう感じかな」
「……なんか、レイが凄すぎて言葉が出ない」
「超人だよね」
ユアンが軽快に笑うので、葵もつられて苦笑いを浮かべた。ひとしきり笑った後、ユアンは未だ泣きじゃくっている映像の自分に目を向ける。
「今はそんな風に思えるけど、この頃は僕も普通の子供だったから。レイが両親そのものだっていうのも分からなかったし、何で他の子供みたいに遊べないんだろうって不満に思ってた。だからレイのこと嫌いだって言って泣いてるんだよ」
「なるほど、ね……」
ユアンの顔から視線を外した葵は、彼が見ている思い出の映像に目を移した。レイチェルは泣いているユアンに手を差し伸べようとしなかったが、彼女の代わりにアルヴァが、ユアンを抱き上げる。
《姉さん、ユアン様を一日だけ僕に預けてくれませんか》
その申し出がレイチェルに承諾されると、アルヴァはユアンを連れて外に出た。子供の遊びに笑顔で付き合っているアルヴァは『いいお兄さん』のようで、微笑ましく思った葵は頬を緩める。しかし映像が夜になると、和やかだった雰囲気は一変した。アルヴァはあろうことか、小学校低学年くらいのユアンをキャバクラのような場所に連れて行ったのである。葵は絶句したが、ユアンは映像を見て楽しそうに目を細めた。
「ああ……懐かしいなぁ。ここでアルに男のロマンを教えてもらったんだっけ」
葵には何がどうロマンなのかさっぱり分からなかったが、着飾った女性達にチヤホヤされているアルヴァとユアンは生き生きとした顔をしている。呆れ果てた葵が言葉もなく流し見ていると、再び映像が切り替わってアルヴァとユアンの二人だけになった。
《すっごくたのしかった! ありがとう、アル!》
幼いユアンが興奮気味にそんなことを言っているところをみると、あの店から出た後の場面のようだ。すっかり顔つきが変わっているアルヴァはユアンにニヤリと笑って見せ、口唇の前で人差し指を立てる。
《レイチェルには言うなよ? 他の誰にも、絶対にナイショだ》
《うん! オトコとオトコの約束だもんね!》
《また連れて来てあげるよ。だからそれまでは、レイチェルの言うことを聞いていい子でいるんだ》
大袈裟な動作で頷いて見せたユアンの頭をアルヴァが荒っぽい仕種で撫でたところで、映像は終わった。それを機に、ユアンが口を開く。
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