解き放たれた想い

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 目を開けると、ぼやけた視界に人影が映った。初めは輪郭がぼんやりとしていたのだが、焦点が徐々に合ってきて、やがて視界に映りこんでいる人物が自分とよく似た顔をした女性であることに気付く。

「気が付きましたか」

「……レイチェル?」

 夢の続きを体験しているような感覚で名前を呼んでしまってから、アルヴァ=アロースミスはハッとした。慌てて上半身を起こすも、体が鉛のように重く、自分を支えきれなかったアルヴァは再び倒れこむ。倒れた先には柔らかな感触があって、アルヴァは自分がベッドで眠っていたことを知った。

「……すみません」

 姉を名前で呼んでしまったことも、彼女の前でベッドに横たわっていることも、普段は決してしない失態だ。弟の無様な姿に呆れたのか、レイチェル=アロースミスは嘆息した。

「今のあなたは普通の状態ではありません。無闇に体を動かすと怪我をしますよ」

 枕元に置かれた椅子に座っていたレイチェルは腰を浮かせると、アルヴァに手を貸して寝具の乱れを整える。レイチェルの発言が気になったアルヴァは眉根を寄せたが、疑問を口にすることはしなかった。自分の状態が把握出来ていないなど、恥ずかしくて口に出せなかったからだ。しかしレイチェルは、アルヴァの沈黙に構うことなく言葉を紡ぐ。

「このまま話をしても大丈夫ですか?」

「それは、大丈夫です」

「では、質問をします。自身に何があったか、覚えていますか?」

 レイチェルからの問いかけは非常にアバウトなもので、アルヴァは答えを探すために記憶の糸を辿った。そのうちにある結論に達したので、それを言葉にしてみる。

「この不調は水晶の檻クオーツ・プリズンに封印されていた弊害でしょうか」

「その後のことは、何も覚えていませんか?」

「その後、ですか?」

「覚えていないようですね」

 アルヴァがはっきりとした答えを返す前に反応だけで、レイチェルは早々と断定した。実際に、その後のことと言われても心当たりのなかったアルヴァは閉口することでレイチェルの意見を肯定する。尋ねてもいいものなのかどうかアルヴァが様子を見ていると、レイチェルは自ら説明を始めた。

「アルヴァ。あなたはわたくしのために、禁呪の研究をしていたそうですね」

 レイチェルが何気なく発した一言にアルヴァは耳を疑った。一番知られたくない者に、最も知られてはならない事実が暴かれてしまっている。その衝撃は今までの人生で経験したことがないほど大きく、アルヴァを混乱の極みに陥れた。だがレイチェルは、そんな弟の姿を見ても、淡々と話を進める。

「ユアン様とアオイから、話を聞きました」

「話……どんな……」

「順を追って説明しますので、落ち着いてください」

 まともに言葉も紡げなくなっているアルヴァに言い置くと、レイチェルはゆっくりとした口調で説明を始めた。彼女の話によると、アルヴァは危険な行いを続けたために、世界から抹消されたのだという。しかし今現在、アルヴァはここに存在していて、レイチェルもアルヴァの存在がここにあることを認めている。そのような状況ではいくら説明を受けても言葉が上滑りしてしまい、脳内で適切に処理されない。そんな経験は初めてで、アルヴァはさらに困惑の度合いを深めた。しかし、アルヴァにとって理解と実感が別物であることを知っているレイチェルは、さらに言葉を続ける。

「わたくしの魔力をよく見てください」

 レイチェルが何故そんなことを言い出したのかは分からなかったが、アルヴァは言われた通りに目を凝らした。そして、驚きに目を瞠る。

「元に……戻ったのですか?」

 レイチェルはアルヴァの愚行によって罰を与えられ、その魔力を半減させられていた。しかし今は、彼女がその身に纏う魔力が往年の強大さを取り戻しているのだ。アルヴァに見せるために放出していた魔力を抑えると、レイチェルは頷いて見せる。

「刻印は消えました。ユアン様が仰るには、世界の温情によるものなのだとか。しかし刻印を刻まれるに至った記憶は消えていません。それは世界が戒めとして残したのではないかと、ユアン様はお考えのようです」

 説明に実証が加わったことで、アルヴァは少しずつ平素の自分を取り戻していった。まだこちらから質問が出来るほど混乱が収まったわけではないが、理解はだいぶ追いついてきている。自分が世界から消されてしまったというのは、どうやら本当のことらしい。アルヴァがその程度のことを考えられるようになってから、レイチェルはさらに説明を続けた。

「一度は消されてしまったあなたを、ユアン様とアオイが救ってくれたのです。その際にアルヴァの記憶を見たと言っていました」

「記憶を……ですか」

「アルヴァが世界から抹消されている間、わたくしはあなたのことを忘れていました。ですから、その間に何があったのかは、ユアン様とアオイしか知りません。詳しい話が聞きたければ、後でお願いしてみるといいでしょう」

 一体何を、どこまで知られたというのか。それを考えると戦々恐々としたが、物思いに沈む暇は与えられなかった。レイチェルに名を呼ばれたので、アルヴァは血の気の引いた顔を上げる。レイチェルはあくまでも淡々と、話を続けた。

「あなたに、以前から言おうと思っていたことがあります。いい機会ですので、わたくしの話を聞いてもらえますか」

「……何ですか?」

「わたくしが何も知らないと思ったら大きな間違いですよ」

「それは、どういう意味ですか?」

「あの事故の後から、あなたは品行方正を演じるようになりました。けれど親しい者の前では昔のように喋り、わたくしのこともレイチェルと呼んでいますね?」

「……それは……」

「あなたの努力がわたくしのためであることを知っていたので黙っていましたが、この際、はっきりと伝えておこうと思います。そんな努力は必要ありません。身内の評価がどうであろうと、わたくし自身の評価が変わるわけではないのですから」

 レイチェルの科白は大層自信に溢れたものだったが、アルヴァはそれが誇張ではないことを知っていた。よって反論も出来ずに、黙り込んでしまう。改めて自分の全てを否定されたことが、ショックでもあった。

(本当に、初めから必要じゃなかったんだな)

 レイチェルはアルヴァのせいで不自由を強いられることになったが、それでも彼女は以前と変わらずに数々の局面をその才知で乗り切ってきた。魔法など彼女の武器の一つでしかなく、それが自由に使えなくなったからといって、彼女が挫折を味わうということもなかったのだ。そんな彼女を見ていて、アルヴァは自分の佑けなど必要がないことに気がついていた。それでも無駄な努力を続けてきたのは、自分が贖罪しているという気になれたからだ。

(……浅はかな、)

 そして、愚かな考えだった。自分の行いをそう振り返ったアルヴァは口元に自嘲の笑みを浮かべた。

「分かりました。今後は、出すぎた真似をしないよう気をつけます」

「わたくしが言っているのはそういうことではありません」

「……すみません。では、どういうことなのでしょう?」

「わたくしのためなどではなく、自分のために生きることを考えなさいと言っているのです」

「自分のため、ですか……」

「刻印が消えた以上、過去に縛られる必要もないでしょう。あなたは自由なのです。それでもまだわたくしに罪滅ぼしをしたいと言うのならば遠慮なく利用させてもらいますが」

 レイチェルの言い様があんまりなものだったので、アルヴァは思わず笑ってしまった。これほど強かな女のために非力ながらも助力しようとしていたことが本当に無駄なことだと思えたからだ。それでも、犯した罪が消えるわけではない。ならば利用価値のあるうちに存分に活用してもらった方がいいと思ったアルヴァは、これからも献身的な態度で臨むことをレイチェルに伝えた。すると、レイチェルが不意に顔を曇らせる。

「愚弟だとは思っていましたが、ここまで頭が悪いとは思いませんでした。やはり、はっきりと言わなければ伝わらないようですね」

 アルヴァならば自力で答えに辿り着くと思っていたと言って、レイチェルは失望のため息をついた。何に失望されたのか分からなかったアルヴァは眉根を寄せ、説明が加えられるのを待つ。さほど間を置かずに、レイチェルは言葉を重ねた。

「わたくしはあなたに望んでいることがあります。それが何か、今までの会話から解りませんでしたか?」

「姉さんが僕に、ですか? ……すみませんが、心当たりがありません」

 つい先程「いらない」と言われたばかりなので、望みがあるのだと言われてもアルヴァには怪訝な表情をすることくらいしか出来なかった。レイチェルは再び嘆息すると席を立ち、アルヴァが寝かされているベッドの際に腰かける。そして彼女は、アルヴァの頬に手を伸ばしてきた。






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