解き放たれた想い

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「わたくしは、あなたが可愛いのです。この思いはあなたが雛鳥のようにわたくしの後について回っていた時から変わっていません。わたくしはあなたの愚かしさをも、愛しています」

 アルヴァの額に軽く口づけると、レイチェルは慈愛に満ちた笑みを浮かべた。彼女の言動も予想外のことながら、アルヴァは初めて見た彼女の表情にも絶句する。レイチェルと言えば胸裏が面に出にくいことで有名で、ともすれば冷たい心象を抱かせてしまうほど感情の起伏に乏しい人物だ。それは幼い頃からのことで、実弟であるアルヴァでさえも、彼女がこんなに柔らかな表情が出来ることを知らなかった。長年一緒に暮らしているユアンも、おそらくは見たことがないだろう。

 今、目の前にいる人物は、いったい誰なのか。あまりの衝撃に姉を姉としてさえ認識出来なくなっていたアルヴァは、しかしすぐ我に返った。真顔に戻ってもレイチェルが、じっと見つめてくるのだ。眼前にいる人物が見知った姉であることを認識すると、途端に発狂しそうなほどの恥ずかしさがこみ上げてくる。真っ赤になって上体を起こしたアルヴァは急いで顔を背け、それを両手で覆い隠した。

「やめて……、ください。そんなことを言われると、どうしたらいいのか分からない」

「これ以上恥ずかしい思いをしたくないのなら、今後はわたくしとも以前のように接してください。さもないと、優しくしますよ?」

「分かった! 頼むから、もういつものレイチェルに戻ってくれ!!」

 悲鳴に近い叫びを発し、アルヴァはベッドから飛び下りた。逃げ出したアルヴァが窓辺にまで後退したのを見ると、レイチェルは何事もなかったかのように立ち上がって姿勢を正す。硬直しているアルヴァに安静にしているよう言い置いた後、彼女は扉の方を振り向いた。

「身内に偽りなど通用しませんし、自分を偽る必要もありません。アルヴァだけでなく、あなたにも言えることですよ」

 慌てて逃げても無駄だと言いながら歩を進めると、レイチェルは扉を開けた。そこにユアン=S=フロックハートの姿があるのを見て、アルヴァは頬を引きつらせる。ユアンもまた、決まりが悪そうな表情でレイチェルを見上げた。

「レイ、何で分かったの?」

「何年、一緒に暮らしているとお思いですか」

「お見通し、ってわけだね。さすが、レイ」

「煽てても無駄です。わたくしの話は済みましたので、後はよろしくお願いします」

 平素の調子で素っ気なく言うと、レイチェルはユアンを残して部屋を後にした。アルヴァと目が合うと、ユアンは苦笑いを浮かべて見せる。

「その様子だと目は覚めてるみたいだね」

「……ああ」

「それにしても、ビックリしちゃったよ。まさかレイがねぇ。あのレイがね、弟に『愛してる』とか言っちゃうなんてねぇ」

「……やめろ。言うな」

 思い出しただけでもらしく・・・なさすぎて気持ちが悪いほどなのに、他人の口から冷やかされると死にたくなるほど恥ずかしい。ユアンが盗み聞きしていることを承知であんなことを言ってのけたレイチェルを恨みたい気分になりながら、アルヴァは頭を抱えた。するとユアンが、そのまま頭を抱えていろと言ってくる。その物言いを不可解に思ったアルヴァが顔を上げようとすると、脳天に衝撃が走った。

「!!?」

「天誅!」

 ユアンの掛け声と共に脳天チョップをもう一発くらい、フラフラになったアルヴァはその場にへたりこんだ。衝撃が収まると、突然の暴力に憤ったアルヴァは勢い良く顔を上げる。しかし彼の口から怒声が発せられることはなかった。アルヴァが顔を上げた瞬間、ユアンが抱きついてきたからだ。

「バカ。心配、したんだからね」

 耳元で囁かれたユアンの声は弱々しく、アルヴァは怒る気力を殺がれてしまった。

(そういえば……)

 先程、レイチェルが言っていた。世界から消されたアルヴァを助けてくれたのはユアンと葵だったのだと。

「……ユアン、話を聞きたい」

「体は大丈夫なの?」

「手加減なく殴っておいて、それを言うか?」

「あはは。確かに」

 明るい笑い声を上げるとユアンは体を離した。彼が紅茶を淹れる呪文を唱えたので、アルヴァはベッドに腰かけてティーカップを受け取る。自身は立ったまま紅茶を一口含むと、ティーカップをソーサに戻してからユアンは口火を切った。

「さっきのチョップは人王としてのおしおきと、みんなに心配かけた罰だよ」

「人王としての仕置き?」

「ああ……アルは、僕が人間界モンド・ゥマン調和を護る者ハルモニエだって知ってるよね?」

「ミヤジマから聞いている」

「じゃあ話が早いや。あんなもの呼び出そうとするなんて、本当ならチョップだけじゃ済まないんだからね」

 人王であるユアンが『あんなもの』と言うからには、それは世界の調和を乱すようなものを指しているのだろう。心当たりは色々とあったが、アルヴァは早々に見当をつけたので問いかけることはしなかった。複雑な気持ちでため息をついて、アルヴァは言葉を紡ぐ。

「僕の記憶を見たっていうのは本当の話だったのか」

「前から知ってたら、もっと早くにおしおきしてるよ。アル、あんなこと二度とやらないでね」

 つと真顔に戻って、ユアンは念を押してきた。その顔は悪ふざけに興じる子供のものではなく、世の人々を導く宿命を背負った人王としてのものだ。二度とやらないと誓いを立てた後、アルヴァは改めて疑問を口にしてみた。

「僕の記憶を見ただけで、あれが何なのか分かったのか」

「これでも一応、人王だからね」

「だったら、もっと早くに尋ねておけば良かった」

 英霊の召喚に失敗した時に何が起こったのか、アルヴァは正確に事態を把握していなかった。寄生主の魔力を吸い取る『種』を開発した今でも、実はあの時の真相は分かっていないのだ。だが人王であるユアンならば、その答えをくれるだろう。こんなことなら背徳行為を重ねる前に正直に話してしまえば良かったと、アルヴァは過去を悔やみながら言葉を重ねた。

「あの時、僕は英霊の召喚に失敗した。だけど、失敗したことは分かっていても、その原因が分からなかった。何故、英霊の腕が鎌のようなものに変化した? あれに傷を負わされたレイチェルが種を植え付けられたのは、何故だったんだ?」

「召喚に失敗したのは世界がそれを拒んだからだよ。英霊は世界に還った魂が人格を持ったままこの世に呼び戻されることで、世界に干渉出来るんだから。召喚した者がアレを従えられなかったら……どうなるか、分かるでしょ?」

 世界が再び、滅亡に瀕したかもしれない。そのリスクを、アルヴァは当時から把握していた。承知の上で、だからこそ召喚することに意味があると、当時は思っていたのだ。目的を達成出来なかったのは世界のせいだが、それは同時に取り返しのつかないことになる前に世界が止めてくれたのだと考えることも出来る。世界の判断は妥当だったと、アルヴァは今にして実感した。

「英霊の腕が鎌のようなものに変化したのはね、あれも世界の意思。禁を破った者に罰を与えたんだよ。あの鎌、モール・ドゥ・フォスィールっていうんだけど、僕も初めて見た。あんなもの、二度と使わせちゃいけないよ」

「……僕ではなくレイチェルが罰を負ったことも、世界の意思だったのか?」

「あれは不可抗力だったみたいだけど、レイ達がすぐ封印にかかったでしょ? だから世界も改めてアルを罰することはしないで、そのままにしておいたみたい」

「……そうか……」

 レイチェルが世界の温情と戒めの話をしていたのはそういうことだったのかと、アルヴァは一人で納得した。しかし感慨に浸る暇は与えられず、ユアンは顔を曇らせたまま言葉を次ぐ。

「アル、反省するのはまだ早いよ」

「……何だ?」

「人体実験、やったでしょ?」

「…………」

「たぶん、アルが収監されたのは、世界がそうなることを望んだからだよ。でも結果として、アルは解放された。アオイに聞いたんだけど、アルはその後で研究を続けるって言ったんだって? だから最終手段として、世界はアルを消しちゃったんだ」

「予兆はあった、ということか」

「せっかく精霊王が助言してくれたのに。アルは色々な人の好意を無駄にしたんだ」

 精霊王の助言と聞き、アルヴァは葵が受けてきた差出人不明の伝言のことを思い出した。あれが精霊王からのメッセージだったとするならば、葵が頑なに誰から受け取ったものなのかを隠していたことにも納得がいく。

「そういう、ことか……」

「アル、まだ反省しちゃダメだよ」

「まだ何かあるのか?」

「絶対に分かってないと思うから僕が言っちゃうけど、アオイがコレクションにされたのだってアルのせいなんだよ」

 そこまで世界の意思に沿った出来事だったのかと、アルヴァは驚きに目を見開いた。それから、申し訳なさが募って目を伏せる。アルヴァがちゃんと反省したのを見て取ってから、ユアンは苦笑いを浮かべた。

「まあ、アオイのことに関しては僕のせいでもあるから。アルだけを責められないよね」

「……元はと言えばユアンがミヤジマを召喚したりしなければ、こんなことにはならなかったんじゃないか」

「だから、アオイには二人で精一杯贖罪しよう? その他のことに関しては一人で十分に反省してよね」

 どれもこれも自分に非がないとは言えない状況だったため、アルヴァも苦笑を浮かべてユアンに頷いてみせた。






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