解き放たれた想い

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 自然に覚醒して、宮島葵はベッドの上で上体を起こした。瞼が異様に重く、体が異常にだるい。それが寝すぎた時に出る症状であることを知っていた葵は辺りを見て時計を探したが、そこは物で溢れている狭い自室ではなかった。キングサイズのベッドが置いてあっても広々としている室内を目にして、葵はまだ冴えない頭をガシガシと掻く。

 とりあえずベッドの際に腰かけてボーッとしていると、扉が開いて同居人が姿を現した。肩にワニに似た魔法生物を乗せている彼女の名は、クレア=ブルームフィールド。葵が起きているのを見ると、クレアはすぐさまベッドの傍へやって来た。

「起きたんか」

「おはよー……。今って朝? 昼?」

「まだ朝や。朝食は食べられそうか?」

「うん。おなか、減った」

「そらそうや。何も食べずに三日も爆睡しとったんやからな」

「……三日?」

「その話は食卓でするわ。はよ着替えてぃや」

 そう言い置くと、クレアは部屋を出て行った。重い体を引きずるようにして身支度を整えた葵は寝室としている部屋を出て、クレアの待つ食堂へと向かう。一階の片隅にある食堂では、すでにクレアが朝食の用意を整えて待ってくれていた。ゆっくりと食事をとりながら、葵はクレアに話しかける。

「私、三日も寝てたの?」

「せや。ユアン様と行方をくらまして七日、帰って来たと思ったら泥のように眠って三日。アオイと口きいたんは十日ぶりやな」

「……ごめんね、心配かけて」

「ユアン様と一緒やって分かっとったから、うちは心配してへんかったで。まあ一部には、ものごっつう心配しとったヤツがおったけどな」

 それが誰なのかは聞かなくても分かるような気がしたので、葵は苦笑いを浮かべるに留めておいた。クレアもそこで言葉を切り、話題を変える。

「学園には行けそうなんか?」

「うん。体は痛いけど、調子が悪いってわけじゃないから」

「せやったら、アルからの伝言を伝えるわ」

「そうだ、アル!」

 クレアの口からアルヴァの名前が出たことで、急に現実を取り戻した葵は急いて伝言を聞きだした。その内容は学園に来られるようになったら保健室に来て欲しいというもので、葵はさっそく席を立つ。

「私、学校に行く」

「そう焦らんと、食事はちゃんと取っていきや。もうすぐ予鈴やから、うちも一緒に行くわ」

 クレアが料理を作ってくれる時は手作りなので、残すのが忍びなかった葵は大人しく食事を続けることにした。その後、クレアと二人でトリニスタン魔法学園アステルダム分校に登校する。正門付近に描かれている魔法陣に出現すると、葵はすぐに保健室へ向かおうとしたのだが、エントランスホールで足を止めざるを得なかった。そこに、マジスター達がいたからだ。

(は〜……なんか、マジスターが揃ってるの久しぶりに見た気がする)

 目新しいような気持ちでカラフルな四人組を眺めていると、こちらに気がついた黒髪の少年が歩み寄って来た。漆黒の髪と同色の瞳といった容貌をしている彼の名は、キリル=エクランド。整った彼の面には憤りが浮かんでいて、葵はそんな表情を見るのも久しぶりだと思った。

「お前、年下の男とどこで何してたんだよ!」

 顔を合わせるなり怒りを爆発させたキリルが妙なことを言うので、意味が分からなかった葵は首を傾げた。

「年下の男って何?」

「とぼけんな!」

 クレアがそう言っていたのだと聞いて、葵は『年下の男』が誰を指しているのか理解した。クレアに視線を移すと、彼女は申し訳なさそうに苦笑している。クレアに苦笑いを返すと、葵はキリルに向き直って言葉を次いだ。

「別に、私が誰と何してようと勝手でしょ?」

「ふざけんな!」

 キリルの怒声が思いのほか強いものだったので、葵はビクリと体を震わせた。いつものどうしようもない嫉妬だと思っていたのだが、どうやらキリルは真剣に怒っているらしい。

「オレが、どれだけ心配したと思って……」

 激昂しているせいでうまく言葉が紡げないらしく、キリルは途中で口をつぐんでしまった。怒りに体を震わせている彼は葵から目を離して俯いたが、すぐにまた顔を上げる。その直後、キリルは驚いて言葉を無くしている葵を強引に抱き寄せた。

 一連の出来事はアステルダム分校のエントランスホールで、大勢の生徒達が見守っている中で起こった。ドラマチックな展開に、生徒達から様々な感情を含んだ声が上がる。その騒ぎで我に返った葵は慌てて、キリルの胸を押し返した。

「心配してくれるのは嬉しいけど、こういうのはやめてよ。恋人ってわけじゃないんだから」

 早口に捲くし立てると、葵は一人でその場を後にした。






 葵の姿がエントランスホールから消えると、その場を異様な静寂が支配した。マジスターを取り囲むような形で集っている生徒達は一様に沈黙して、キリルの反応を窺っている。葵に思い切り拒絶されてしまったキリルは傷ついた表情をしていて、それを人目に晒しておくのは二重の意味でまずいと思ったクレアは行動を起こした。キリルの手を引いて、人混みから離脱したのだ。

「っ、何なんだよ!」

 人気のない所まで来てクレアが足を止めると、体を動かしたことで少しは気が紛れたらしいキリルが不機嫌な声を上げる。乱暴に手を振り払われたが、クレアは気にせずに息を吐いた。走ったせいで乱れた呼吸を整えてから、クレアは腰に手を当てる。

「気持ちは分かる。せやけど、あないに人目のある所で傷ついた顔見せるんやない」

「あ? 何だ、それ」

「この学園の女子はおたくらに傾倒しとるんや。アオイがキリルを傷つけたなんて噂が立ってみぃ。何されるか分からんで」

 女の嫉妬が想像以上の波乱を呼ぶことは、すでに実証されている。先の出来事を思い出したのか、キリルは素直に黙り込んだ。話が通じたのを見て、クレアは嘆息する。

「まあアオイも、公衆の面前で言わなくてもええとは思うで。きっと、久しぶりのことに動揺したんやろな」

「動揺?」

「女の子はフツウ、いきなり抱きつかれたら驚くもんや」

「そういうもんなのか?」

「そういうもんなんや。キリルはもっとTPOを考える必要があるなぁ」

「水を差すようで悪いんだけどさ。それ、クレアが言っても説得力がないよ」

 不意に第三者の声が降ってきたので、クレアとキリルは同時に顔を傾けた。彼らは今、校舎五階にあるサンルームにいるのだが、戸口にいつの間にかウィル=ヴィンスの姿がある。室内に進入してきたウィルに続いて、オリヴァー=バベッジとハル=ヒューイットも姿を現した。彼らを一瞥してから、クレアは傍にやって来たウィルに向かって口火を切る。

「うちが言うても説得力がないって、どういうことや?」

「だってクレアってさ、いつでもどこでも肌を露出した恰好してるでしょ? それも、恥ずかしげもなく」

「いつでもどこでも、やない。ちゃんと時と場合を考えとるで」

 その証拠に今は、トリニスタン魔法学園の制服である白いローブを纏っている。クレアが胸を張ってそう言うと、ウィルは苦笑いを浮かべて肩を竦めた。

「学園内でもワイシャツにミニスカートって恰好してるアオイよりはTPOを弁えてるかもね」

「あれは……」

 確かに葵は、校内でもウィルの言ったような恰好をしている時がある。しかしあれはあれで、制服ではあるのだ。思わずそう言ってしまいそうになったクレアは、自分の口を手で覆う。危なかったと思いながらウィルを見ると、彼も何故か思案に沈んでいた。言及されてしまう前に、クレアはさっさとキリルに向き直る。

「とにかく、アオイを振り向かせるんが難しいのは分かっとったことやろ? 素っ気なくされたくらいでイチイチ傷ついとったらラチがあかんで。辛いならやめてまえ。せやけど、それでも諦められんのやったら、頑張ったらエエ」

 顔をしかめているキリルの腕をポンポンと叩くと、クレアはウィルに痛いところを突かれてしまう前に退散した。






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