「あれ、キルのこと応援してるの?」
クレアがサンルームから去った後、最初に口を開いたのはハルだった。何故か視線を向けられたオリヴァーは、苦笑を浮かべながら私見を述べる。
「たぶん、な。色々と気を遣ってくれてんだよ」
「ふうん」
自分から問いかけてきたにもかかわらず、ハルは相槌を打っただけで話を終わらせた。彼のそういった反応はいつものことなので、オリヴァーは気にせずにキリルへと目を向ける。
「どうするんだ、キル? 諦めるのか?」
キリルは無言のままでいたが、答えは否だろう。それが出来るのなら、彼はもっと早くに決断していたはずだ。諦められないというのなら、クレアが言っていたように素っ気なくされても頑張るしかない。
「とりあえず、例の年下の男とは何でもなさそうだから安心しろよ」
「何でそんなことが分かるの?」
首を傾げたのはキリルではなく、またハルだった。彼がこういった場面で口を挟んでくるのは珍しいため、オリヴァーは意外に思いながらハルを振り向く。
「何かあれば態度で分かる。アオイはすぐ顔に出るからな」
「納得」
「……てめーら、二人だけで分かり合ってんじゃねーよ」
ハルと会話をしていたらキリルが不機嫌になってしまったので、オリヴァーは苦笑いを浮かべながら再びキリルに向き直った。
「キルもアオイのことよく見てみろよ。しばらくすれば分かるようになるから」
「つまり、ずっと見てたってことか?」
「え、俺? い、いや、そういうことじゃなくてだな……」
「見てても、オレにはさっぱり分かんねーよ。何なんだよ、あの女は」
「俺も同感」
いつもならここで口を出してくるのはウィルなのだが、キリルに同意を示したのはまたしてもハルだった。さすがにキリルも不可解に思ったようで、眉根を寄せてハルを見る。ハルの態度を訝しく思ったのはオリヴァーも同じだったが、もう一つ気になることがあったため、オリヴァーはハルを一瞥してからウィルに視線を傾けた。
「ウィル?」
「何?」
「どうかしたのか?」
「何でそういうことになるの?」
「いつもなら、ここで何か提案したりするのはお前だろ? それなのに、やけに静かだからさ」
「滑稽だなと思って見てただけだよ」
真顔でそう言ってのけると、ウィルは疑問があるのなら本人に聞けばいいと付け加えた。珍しく正論だったので、オリヴァーもそれに頷いて見せる。
「確かに、俺達がここで何だかんだと言ってても分かることじゃないよな。キル、アオイに直接訊いてみろよ」
「俺も聞きたい」
キリルに一緒に行っていいかと申し出たのは、ハルだった。彼がこういったことに首を突っ込みたがるのは非常に珍しく、キリルは物言いたげな視線をハルに向ける。何で、お前が出てくるんだよ。キリルの全身からそうした疑惑が発されていたので、口論にならないうちにと、オリヴァーが場を取り成した。
「俺も行くから。ウィルはどうする?」
「行くよ、もちろん」
「よし、決まりだな」
全員一致で話を聞きに行く運びとなったので、マジスター達はさっそくサンルームを後にする。しかしこの日は葵と再会することが出来なかったため、けっきょく彼らの抱える謎は謎のままとして残ることになったのだった。
人だかりのエントランスホールを一人で抜け出した後、葵は校舎一階の北辺にある保健室を訪れた。いつもはここで
「アル」
「やあ。来たね」
いつも通りに葵を迎えると、アルヴァは室内に並んでいる簡易ベッドを指し示した。座れという意味に取った葵がベッドの際に腰かけると、アルヴァは魔法で紅茶を要れてからベッドに近付いてくる。ティーカップとソーサーを受け取った葵は日常が戻って来たことを実感し、穏やかに笑んだ。
「おかえり、アル」
「それはこちらの科白だよ」
「ん?」
「ユアンから聞いた。一度は自分の世界に帰れたのに、僕を助けるために戻って来てくれたんだって?」
「ああ……そのことね」
「なんてバカなことをしたんだ」
「バカはアルも同じでしょ?」
葵がニヤッと笑うと、アルヴァは返す言葉に詰まった様子で閉口した。その様子から察するに、彼は記憶を見られてしまったことを知っているのだろう。だが、そのことをからかいのネタにするつもりのなかった葵は普通に話を続けた。
「あの窓のない部屋、まだ作ってないんだね」
マジック・キーが使えなかったと言うと、アルヴァはため息をついてから応えた。
「あの部屋は、もう作らない。ミヤジマもこれからは気兼ねなく何でも話していいよ」
「え? あんなに嫌がってたのに、いいの?」
「レイチェルと話をした。僕が世間体を気にして自分を偽る必要などないって言われたよ。僕がそんなことをしなくても、自分は優秀だからって」
その物言いがあまりにもレイチェルらしかったので葵は吹き出してしまった。笑っている葵を見て、アルヴァはまたため息をつく。
「バカバカしいね。ミヤジマの言う通りだ」
「でも、レイと話が出来て良かったじゃん。ずっと、気にしてたんでしょ?」
「……まあね」
記憶を見られている以上は否定しても仕方がないと思ったのか、アルヴァは渋々といった様子で唇を尖らせた。今はまだ、あまりレイチェルのことには触れない方がいいと思った葵は、内心では微笑ましく思いつつも話題を変える。
「あの部屋を作らないってことは、これからはアルが保健の先生をやるの?」
「ウサギも消されちゃったし、そういうことになるね」
「あのウサギ、消えちゃったの?」
「消えたというか、おそらくは元の姿に戻ったんだろう。あれは僕が改造した魔法生物だったから」
「ああ……なるほど」
「レイチェルの体に刻まれていた罰も消えたらしい。たぶん、ウィル=ヴィンスも元に戻ってるはずだよ」
「そうなんだ?」
「でも、僕がそれをやったという記憶は残ってるらしい。どうせなら全部消してくれればよかったのに」
アルヴァは渋い表情をしていたが、当然だと思った葵は同意しなかった。どんな理由があったにせよ、アルヴァは世界を傷つけたのだ。その罪を、世界が簡単に許すはずもない。それがアルヴァがこれから背負う罰、なのだろう。
「とにかく、危ないことはもう絶対にしないでよね。アルにそんなことさせないって、世界と約束したんだから」
「分かってるよ。 ……ミヤジマ、」
「うん?」
「ありがとう」
真顔のまま、アルヴァはそう言った。彼から混じり気のない感謝の言葉を受け取ったのは初めてで、見つめられていることが急に居心地悪くなった葵は目を逸らす。
「なんか、マジメに言われると照れちゃう」
何気ない間さえも照れ臭く感じられて、葵は弄んでいたティーカップを口元に運んだ。紅茶を一口含んでからカップをソーサーに戻すと、アルヴァが再び口火を切る。
「ところで、ミヤジマ。聞きたいことがあるんだけど」
「何?」
「ハル=ヒューイットのこと、まだ好きなのか?」
アルヴァの発言には脈絡というものがなく、動揺した葵はティーカップを落としそうになった。肝を冷やした葵は両手でしっかりとカップを握り締めると、安堵の息をついてからアルヴァを見上げる。
「何で、急にそんなこと聞くの?」
「うん。答えは分かったから、もういいよ」
「何も言ってないのに何で勝手に完結させ……」
アルヴァに抗議しようとしていた葵は、スカートのポケットから不意に聞こえてきた着信音に動きを止めた。アルヴァの意識もそこに向かったので、葵は口論を一時中断して携帯電話を取り出す。
「今、鳴ったよね?」
ディスプレイには不在着信など表示されていなかったが、アルヴァに確認を取ると彼も頷いた。ティーカップを枕元の台に置き、葵はアルヴァに別れを告げる。アステルダム分校には何故か携帯電話の電波がいい場所があるので、そこへ赴いた葵は異世界の友人である
『もしもし、葵?』
「うん。もしかして今、電話した?」
『何度も電話してたよ。やっとつながった』
通話が出来たことに安堵するような息を吐くと、弥也は調子を改めて言葉を重ねてきた。
『あのさ、前に電話したとき変なこと言ってたよね』
「変なこと?」
『別の世界にいるとか、何とか』
「ああ……」
そのことかと、葵は胸中で呟いた。話が通じたのを感じ取ると、弥也はさらに言葉を重ねる。
『とりあえず、全部信じるから。何がどういうことになってるのか話してよ』
葵が本当のことを言っていても、弥也は今まで信じようとしなかった。しかしあんな光景を目撃した後では考えを改めざるを得なくなったのだろう。弥也の態度が軟化したことを嬉しく思った葵は、彼女に全てを打ち明けることにした。それは長い話になったが、弥也は一度も疑うことなく葵の話を聞いてくれたのだった。
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