解き放たれた想い

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 トリニスタン魔法学園では終業の鐘が鳴ると、生徒はすぐさま下校する。校内から人気が失せてからもアルヴァは保健室に残っていたのだが、背後で扉が開く音がしたので椅子ごと振り返った。来訪者は赤い髪が印象的な、私服の少年。彼が来ることをすでに察していたアルヴァは特に驚きもなく、穏やかにウィルを迎えた。

「校医の真似事でもしてるの?」

 白衣姿のアルヴァを見て刺々しく言い放つと、室内に進入してきたウィルは簡易ベッドに腰を落ち着けた。紅茶を要求されたので、アルヴァは淹れてやってから答える。

「真似事じゃなくて、校医なんだけどね」

「隠れるのをやめたってわけ?」

「もう、その必要がない」

 ベッドにいるウィルにティーカップを渡してからデスクに戻ると、アルヴァは引き出しから取り出した煙草に火をつけた。無遠慮なアルヴァの態度にウィルは眉をひそめる。

「必要がないって、どういうこと?」

「君に説明する義務はないと思うけど?」

「あ、そう。必要がないから、僕に植え付けた種も取り除いたわけ?」

「……その件については、謝る気はないよ。あれは僕を甘く見た報いだからね」

「別に謝って欲しいなんて思ってないよ。その代わり、あの種を譲ってくれるくらいのことはしてくれてもいいんじゃない?」

「やめた方がいい。その存在を世界から消されたくなければね」

「何それ。脅しのつもり?」

 ウィルは、アルヴァが実力行使で自分を抹殺するのだと解釈したらしく、嘲笑を浮かべて肩を竦めた。とんだ誤解だと、アルヴァも苦笑する。

「脅しじゃないよ。実際に、君に人体実験をしたせいで僕は世界から消されたんだ」

「子供だましのようなことを言わないでくれる?」

「これは子供だましでも、嘘でもない。本当のことだよ。集会レユニオンで見たことを他言しないと約束してくれるなら、そのあたりのことを説明するくらいはしてもいいと思ってる」

「約束? 強要の間違いなんじゃないの?」

 こちらが譲歩の姿勢を見せてもウィルはまったく信じていないようで、アルヴァの提案を鼻で笑った。人体実験の被験者となり、強制的に口を塞がれた後では、何を言っても無駄だろう。初めからそう考えていたアルヴァはそれならそれでいいと思い、ウィルとの会話を終わらせようとした。しかしその直前に新たな来訪者があったため、アルヴァの意識はそちらに向かう。ウィルもまた、転移魔法によって姿を現した者達に視線を傾けた。

 ウィルに続いてアステルダム分校の保健室を訪れたのは、褐色の肌の少女と白皙の少年だった。彼らは魔の道を追求する集団ル・ノワールの一員で、少女は名をスミン、少年は名をユーリーという。ウィルは反射的な動きで彼らから遠ざかったが、アルヴァは見知った少年少女を気安い態度で迎えた。

「ちょうどいい所に来てくれた」

 ウィルとの話が済んだら、アルヴァはル・ノワールのメンバーを招集するつもりでいた。しかし、そんなこととは知らずにアルヴァの元を訪れたスミンとユーリーは怪訝そうに眉根を寄せる。彼らを警戒しているウィルにも落ち着くように言った後で、アルヴァは自分が世界から消された詳細を語った。

「僕はもう世界から消されるなんて御免だから、ル・ノワールを抜けるつもりだ」

「……抜ケル、本気カ?」

「ああ。本気だ」

 ル・ノワールの一員である証の欠けた月ウェイン・ムーンを、アルヴァはスミンに向かって差し出した。それを見たスミンは憤りを露わにし、アルヴァの手から乱暴にウェイン・ムーンを奪い取る。

「凡愚ダッタナンテ失望シタネ!」

 吐き捨てるように言うと、スミンは転移魔法でさっさと姿を消した。ユーリーはその場に残ったので、アルヴァは彼の方に目を向ける。

「王家には何も言っていないから、その点は安心してくれていい。それを確かめに、来たんだろう?」

「その通りです」

 スミンは激怒していたが、ユーリーは平素と変わらず冷静だった。胸裏では何を思っているか分からないが、アルヴァはユーリーの目を見て話を続ける。

「僕の話を聞いてもまだ、研究を続けられる?」

「魔法の枠組みカドルを外れ、魔の道を追求する。それが、ル・ノワールの指針ですから」

「どうするかは君達の自由だけど、研究を続けるなら気をつけた方がいい。幸いにも僕には僕のために命を賭けてくれるような人が二人もいたけど、君達にはそんな人がいる?」

「……ボクもこれで、失礼します」

「ああ。他の人にも忠告してあげてくれ」

 もう何も反応を示すことはなく、ユーリーも転移魔法で姿を消した。余人の姿が保健室から失われると、アルヴァは室内に残ったウィルに視線を傾ける。離れた場所で話を聞いていたウィルは、二人きりになったのを機に再び近付いて来た。

「あなたなんかのために、誰が命を賭けてくれたの?」

「それは想像に任せる。僕はもう、無謀なことはしないつもりだ。だから強要することは出来ないけど、出来れば彼らのことは口外しないでやって欲しい」

「じゃあ、あなたのことは誰に何を言ってもいいの?」

「構わない。王家に通報したければそうしてくれ」

「そんなこと、僕がすると思ってるの?」

「利口な者ならば、しないだろうな」

 馬鹿正直に王家に通報などしてしまうよりも、弱味を握ったままにしておいた方が断然有益だ。ウィルならばそう考えることは分かっていたので、アルヴァは望みを訊いてみた。すると案の定、ウィルはニヤリと笑う。

「話が早くていいね。それなら、レイチェル=アロースミスを紹介してよ」

「いいよ。話してみよう」

 アルヴァがあまりにもアッサリと承諾したので、ウィルは怪訝そうな顔をした。次世代の有力者とコネクションを作っておきたいというのが本音だろうが、少しはアルヴァに対する嫌がらせの気持ちもあったのだろう。だが今は、もう誰の目も気にする必要はないのだ。久しぶりの開放感を味わいながら、アルヴァはウィルとの話を笑みで終わらせた。






 携帯電話の充電が切れるほど弥也と長電話をした後、保健室で携帯電話を充電してから葵はクレアと合流して帰宅した。屋敷に帰るとクレアにこれまでの経緯を説明することになったのだが、彼女は葵が召喚獣として捕まった後にどうして解放されたのかも知らなかったため、説明が長くなった。一通りのことを話し終えた頃には日が暮れていて、窓の外に目をやった葵は今日は説明だけで一日が終わったと、一人で苦笑した。

「色々……あったんやな」

 一度に様々な説明を受けたためか、クレアは情報過多気味にぼんやりとした独白を零す。改めて説明をしてみると、ここ数日は本当に色々なことがあって、葵は深々と頷いた。

「アオイ、本当にこれで良かったんか?」

 クレアがふと真顔に戻って尋ねてきたので、葵は少し間を置いてから口を開いた。

「こっちに戻って来ちゃって、ってことだよね?」

「せや。せっかく元の世界に帰れたのに、良かったんか?」

「うーん……いいとは言えないけど、あの時はそうするしかないと思ったんだよね」

「はあ。アルは果報者やなぁ」

 クレアがしみじみと言って嘆息したので、葵は苦笑いを浮かべた。自分も散々アルヴァに助けられてきたのだから、お互いさまなのだ。

「元いた世界に帰った時にね、偶然向こうの友達に会ったの」

「前に、怒られたーって言うとった友達か?」

「そうそう、その友達。さっきその子から電話かかってきたんだけど、目の前で消えたり現れたりとかしたから、さすがに異世界にいるんだって信じてくれたよ」

「そら良かったやないか。これでもう怒られずに済むなぁ?」

「それがさ、帰れないんだって言ったらまた怒られちゃった。何でそんなバカなことするんだって」

「……やっぱり、帰られへんのか」

「今はね。でもユアンが絶対に帰してくれるって約束してくれたから、いつかは帰れると思う」

「そうなったらうちは寂しいけど、こればっかりはしゃーないな」

 まだ帰れる方法すら見付かっていないのにクレアがしんみりしてしまったので、葵は彼女の傍に寄る。またしばらくはよろしくねと言って手を差し出すと、クレアも笑みを浮かべて葵の手を取った。






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