校内に始業を告げる鐘が鳴り響いても、それに反応して教室に向かったのは葵だけだった。エントランスホールに集っている生徒達は未だ驚愕していて、この場に集っている有名人達を見つめたままでいる。しかし彼らは他人から視線を集めることに慣れているため、生徒達のことは気にすることなく仲間内で話を続けていた。
「レイチェル、行こう」
アルヴァがそう促せば、レイチェルはロバートとハーヴェイに別れを告げてから踵を返した弟の後に従う。アロースミス姉弟が去ってしまうと、ロバートとハーヴェイも帰ることにしたようだった。普段は注目を集める立場にありながらも、この時は群集の一員として成り行きを見守っていたキリルは、兄が傍へやって来たことで我に返った。ロバートと共にエントランスに向かっていたハーヴェイも踵を返してからようやく、弟がそこにいたことに気付いたようだった。
「キリル。いたのか」
「は、はい」
「では、またな」
エクランド公爵家の次期当主であるハーヴェイは多忙な人物である。今日も忙しい合間を縫ってアルヴァの様子を見に来たらしく、弟には挨拶だけで別れを告げた。ハーヴェイに一礼してから頭を上げたキリルは、肩に手を置かれたので振り返ってみる。するとそこには、この学園の理事長であるロバートの姿があった。
「ミヤジマ=アオイが好きなのだそうだな」
話しかけられた内容が唐突なものだったため、キリルは即答することが出来なかった。返す言葉に詰まっているキリルを見てニヤリと笑うと、ロバートはキリルの耳元に顔を寄せて囁きを零す。
「ライバルだな」
楽しそうな口調でそう言うと、ロバートはキリルの肩を二・三度軽く叩いてから去って行った。突発的な出来事の連続で放心していたキリルは、やがてその体から炎に似た魔力を揺らめかせる。これは彼が激昂する前兆であり、エントランスホールに集っていた生徒達は我に返った様子で退避を始めた。
「ざけんな!!」
魔力を周囲に撒き散らすと共に怒声を発したキリルは、生徒達が逃げ出したことによって開けた前方に走り出した。身体能力のみで階段を駆け上がり、廊下を疾走したキリルは、そのままの勢いで三年A一組のドアを蹴破る。教室内には教師と数名の生徒の姿があったが、キリルは迷わず窓際の席に座っている葵の元へ向かった。
「な、何?」
「来い!」
突然のことに動揺している葵の手を問答無用で取ると、キリルは校舎の東にある温室、
「どうしたんだよ、キル」
オリヴァーからの問いかけは無視し、キリルは強引に葵を椅子へと座らせた。苛立たしく紅茶と叫ぶと、ハルが無表情のまま呪文を唱える。葵の隣にどっかりと腰を落ち着けたキリルは淹れ立ての紅茶を苦もなく干してから、改めて葵を睨み見た。
「説明しろよ。何もかも、全部」
強制的にシエル・ガーデンに連れて来られた葵は、キリルに睨まれながらそんなことを言われてしまった。しかしいきなり『説明しろ』と言われても、何を説明すればいいのかさえ分からない。
「何かあったのか?」
腕を組んでむっつりと閉口したキリルに代わってオリヴァーが尋ねてきてくれたので、葵は彼に向かって首を傾げた。すると、そのやり取りを見ていたキリルが苛立たしげにテーブルを叩く。
「さっきのアレは、何なんだよ」
「ああ……」
いることに気がつかなかったが、エントランスホールでの騒動を見ていたのかと、葵は納得した。しかしアレを説明しろと言われても、何をどう言えばいいのか分からないことに変わりはない。葵が困っていると、オリヴァーが再び助け船を出してくれた。
「何があったんだ?」
「えっと……ちょっと、色々と知り合いに会っただけなんだけど」
「レイチェル=アロースミスとはどういう知り合いなんだよ。あの白い男は誰なんだ。フェアレディってどういうことだよ!」
なかなか話が進まないことに痺れを切らしたらしいキリルが、再びテーブルを叩いた。先程の衝撃ではティーカップを退避させたものの、今度はオリヴァーもハルも動かなかったので衝撃で紅茶が零れる。その直後、マジスター達は何故か一様にあらぬ方向に顔を傾けた。葵もつられて視線を移すと、花園の中を誰かが歩いて来るのが見て取れる。先頭に立っている赤髪の少年はウィル=ヴィンスで、その後ろに従っているのはレイチェルとアルヴァだ。葵が妙な組み合わせだと思っていると、三人はこちらへやって来た。
「アステルダム分校のマジスターの皆様、初めまして。わたくしはレイチェル=アロースミスと申します。失礼ですが、お話は聞かせていただきました」
初対面であるキリル・オリヴァー・ハルの三人にそう言うと、レイチェルは葵に目を向けてきた。話を聞いていたのなら何か指示が来るかもしれないと思った葵は姿勢を正し、レイチェルを見つめ返す。しかし彼女は、気遣いは無用だと言わんばかりに何の合図も寄越さずに言葉を重ねた。
「アオイ、彼らに本当のことを話して差し上げたらいかがです?」
「え? いいの?」
「それが知れたところで困る人はもういないでしょう。ユアン様のために黙っていてくださって、ありがとうございました」
レイチェルが丁寧なお辞儀を寄越してきたので、葵は苦笑しながらマジスター達を見た。アルヴァやレイチェルと共にやって来たウィルは驚いていないが、その他の三人は驚愕している。彼らはどうやら、ユアン=S=フロックハートという名が持つ意味に驚いているようだった。
「僕たちも座りましょう」
レイチェルに向かってそう言うと、ウィルが椅子やら新しいテーブルクロスやらを召喚して場を整えた。人数分の紅茶が配られたところで、葵はユアンに召喚されたところから話を始める。マジスター達は終始驚いて話を聞いていて、口を挟んでくることは一度もなかった。
一通りの話が終わると、レイチェルはアルヴァを連れてシエル・ガーデンを去って行った。アロースミス姉弟が姿を消しても、キリル・オリヴァー・ハルの三人は無言のままでいる。それぞれの物思いに沈んでいるらしい彼らはそっとしておいて、葵は比較的冷静なウィルに声をかけてみることにした。
「ウィルは知ってたの?」
「アオイが召喚獣だってことはね。でもまさか、アオイを召喚したのがあのユアン=S=フロックハートだとは思わなかった。いや、彼だからこそ成功したと言うべきなのかな?」
「それはどっちでもいいよ」
ウィルに苦笑いを見せた後、葵はチラリと隣に座っている人物の様子を窺う。キリルはまだ呆けていたが、さっさと言ってしまった方がいいと思った葵は構わずに口火を切った。
「キリル」
呼ぶと、キリルだけではなくその場の視線が葵に集中した。話し辛い環境だとは思いながらも、葵は勢いで言葉を重ねる。
「私はこの世界の人とは付き合う気がないの。だから、ごめんなさい」
「……ちょっと待て」
そう言い置いた後、キリルは奇妙な間を空けてから言葉を次いだ。
「お前、前は恋人がいただろ」
「……何で、知ってるの?」
「知ってんだよ! 何でそいつは良くてオレはダメとかってことになんだよ!」
「それは……その、えっと、その時とは状況が違うから……」
「言い訳してんじゃねぇ!!」
言い訳と言われてしまえばそれまでのことで、何も言い返せなかった葵は口をつぐむ。しかしそのままにしておくわけにもいかなかったので、葵は言葉を探しながら再び口を開いた。
「私、違う世界の人なんだよ? そういうのは気にならないの?」
「お前はお前だろ。そんなの、関係ねーよ」
「あ、そう……ですか」
葵にとっては人間関係を築く上でかなりネックになる部分なのだが、即答したキリルには微塵の迷いも見えなかった。そんなことよりもと、キリルはさっさと話題を変える。
「お前、理事長とはどういう関係なんだよ」
「……何の関係もないけど」
「だったら何で、わざわざオレにライバルだとかぬかしやがったんだ!」
キリルが怒りながら打ち明けた事実に、葵は色々な意味で辟易した。ロバートのことは話題にも上らせたくなかったので、そのまま無言を通す。すると、見兼ねた様子でオリヴァーが口を挟んできた。
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