外では大粒の雪が深々と降りしきっている夜、葵・クレア・アルヴァの三人は葵とクレアが暮らしている屋敷のサルーンで鍋を囲っていた。何故そんなことになったのかというと、アルヴァが
「そらまた、エライことになったなぁ」
シエル・ガーデンでの一件を説明すると、クレアは苦笑いを浮かべながらそう言った。しかしすぐ、彼女の関心は鍋へと移る。アルヴァが皿を空にすると、そこへすかさず肉を放り込んだ。
「食べ時や。肉は煮えすぎると硬くなるさかいな」
「ああ……どうも」
「アオイもちゃんと食べとるか? 大変な時こそ体力つけとかなあかんで」
「クレア、お母さんみたいだよ」
葵が言うと、アルヴァも同意して苦笑を浮かべた。
「そういえば、うちの母親もこんな感じだったな」
アルヴァが何気なく零した独白が意外で、葵とクレアは息を合わせたように彼を振り向いた。突然視線を向けられたことに面食らったようで、アルヴァは少し身を引いてから眉根を寄せる。
「何?」
「いや、なんか、アルが家族のこと話すのが意外で……」
「アルの母親っちゅーことは、レイチェル様の母親でもあるわけやな。どんな感じの人なんか想像もつかんわ」
「どんな想像をしているのか知らないけど、別に普通だよ」
アルヴァの言う『普通』は一般的な普通とはかけ離れていそうだとクレアが言うので、葵も同意してしまった。なにしろアロースミス姉弟が普通ではないのだ、その母親ともなると物凄い人を想像してしまう。葵は肝っ玉母さんや聖人君子像を描いていたが、アルヴァが言うにはそういったタイプではないらしい。
「おっとりしたタイプだけど怒る時は怒るし……そういうのを『普通』とは言わないのか?」
「おお、フツウっぽいなぁ」
「うん。フツウっぽいね」
「だから、最初に普通だって言っただろう?」
どんな母親を期待していたのかと、アルヴァは呆れた顔をした。母親自身についての話はそれで終わったのだが、クレアがその件について話を膨らませていく。
「待ってや。アル、さっき怒る時は怒るって言うたな?」
「それが、何か?」
「レイチェル様でも子供の頃はおかんに怒られとったんか?」
「レイチェルは昔からあんな感じだったから、怒られることは滅多になかったな」
「滅多に? っちゅーことは、やっぱ怒られとったんかい」
想像がつかないと独白して、クレアは茫然とした。誰にでも子供の頃はあるのだし、そこまで驚くようなことかと、アルヴァは呆れ気味に苦笑している。クレアほど驚きはしなかったが、レイチェルがどんなことをして怒られたのか気になった葵はアルヴァに尋ねてみた。
「悪事を働いて怒られたっていうわけじゃないよ。ただ、好き嫌いがあってね。残すなって叱られてた」
「へぇ。レイにも好き嫌いがあるんだ?」
「今は克服したみたいだから、昔の話だけどね」
「はあ……そんな努力までしてるんだ」
レイチェル=アロースミスという人間は、やはり完璧なのかもしれない。葵がそんな感情のこもった息を吐くと、アルヴァは肩を竦めただけでレイチェルの話を終わらせた。
「ところで、ミヤジマ。さっきの話だけど」
「どれ?」
「ウィル=ヴィンスが妙なことを言い出したって話」
「ああ……それね」
「彼の言うことを真に受ける必要はないよ。彼がミヤジマを欲しているのは愛だの恋だのって話じゃなくて、ただコネクションを得たいだけだから」
「コネ? 何の?」
「レイチェルがユアンと繋がりがあることを明かしていただろう? それに、フェアレディと親しいことも知られた」
ユアンは次代の国王であり、フェアレディは貴族達のトップに佇むロイヤル・ファミリーの一員である。そういった有力者と親しくしたいという気持ちは、貴族ならば誰でも持っている。アルヴァがそう言うので、葵は納得して頷いた。
「なるほどね。だからあんなこと言い出したんだ」
「ウィル=ヴィンスもキリル=エクランドも、相手にしないことだよ。それが一番いい対処法だ」
「……ちょお、待ってぇな」
それまで閉口していたクレアが突然口を挟んできたので、葵とアルヴァは彼女の方に目を向けた。クレアはアルヴァを見ていて、そのまま視線を動かさずに言葉を続ける。
「ウィルのことはともかく、キリルはアオイのことを好きやって言うてるんやで? 一緒にされたら可哀想や」
「そうは言っても、ミヤジマにその気がない以上はどうしようもないだろう?」
気のない相手にアプローチされても、迷惑なだけだ。アルヴァがそこまで断言してしまったので、クレアもさらなる反発を示した。
「それはアルの考え方やろ? アオイも同じように思っとるとは限らん」
「ミヤジマの反応を見ていれば分かることだと思うけど?」
「ほんなら、キリルやウィルは片思いすることも許されんっちゅーことか?」
「片思い自体を否定しようなんて思ってないよ。ただ、叶わない恋情なんて不毛だと言ってるんだ。これ以上害になる前に、彼らにはさっさと諦めてもらいたいものだね」
クレアにとってもアルヴァにとっても他人事のはずなのに、言い合いは何故かヒートアップしていく。二人の間で火花が散っているような気がして、取り残された葵は一人で困惑していた。
(何、この雰囲気……)
つい先程まで和やかに食事をしていたはずなのに、どこで何を間違えたらこういうことになるのだろう。仲裁に入った方がいいのか葵が悩んでいると、クレアがフッとニヒルな笑みを浮かべた。
「おたく、実は性格悪いなぁ」
「クレアさんもなかなか、強情だと思うけどね」
「さん付けせんでエエわ。うち、今のアルもわりと好きやさかい、気軽に呼んだってや」
「では、お言葉に甘えて。今後はそうすることにするよ」
和解の流れに乗ってクレアとアルヴァは笑い合ったが、お互いに目だけは笑っていなかった。何か、見てはいけないものを見てしまったような気になった葵はそそくさと視線を外す。鍋から救い出した肉を口に運ぶと、それはもう硬くなっていた。
「ミヤジマ」
アルヴァが口調を改めて呼びかけてきたので、下を向いて黙々と咀嚼していた葵は顔を上げた。アルヴァの顔からはすでに険が消えていて、クレアももう鍋に向かっている。険悪なムードが払拭されたことにホッとしながら、葵はアルヴァに応えた。
「何?」
「明日のことなんだけど、授業が終わったら保健室に来てくれ。一度ミヤジマを送り届けたら僕も着替えに帰る。その後また迎えに来るから、そのつもりで」
「うん、分かった」
「何や? 明日、何かあるんか?」
クレアが不思議そうに口を挟んできたので、葵はフェアレディから茶会に招待されたことを説明した。それは葵が考えるほど気軽なことではないらしく、クレアは驚いた表情を浮かべる。
「すごいなぁ」
「クレアも行かない? ねぇ、アル。そのくらい大丈夫だよね?」
「レイチェルあたりに一言言っておけば、たぶん大丈夫なんじゃないかな」
「水を差すようで悪いんやけど、明日は用事があるからダメや」
父親と会う約束をしているので外せないと、クレアは事も無げに用事の内容を明かした。しかしその辺りの話をまったく聞いていなかった葵は驚きに目を見開く。
「父親!? 見付かったの!?」
「そういや、アオイは知らんのやったな」
その後クレアから説明を受けて、葵は彼女がどうやって父親と対面したのかを知った。その過程で、キリルがどれだけ自分を心配していたかという話を聞かされ、複雑な気持ちになった葵は顔をしかめる。
(そういえば、そんなこと言ってたっけ)
だが葵はその時、それどころではなかったのだ。アルヴァが消えてしまったことにパニックを起こして、他のことは何も考えられなかった。しかし事情を知らないキリルにしてみれば、ただ邪険にされただけだ。悪いことをしたと、葵は今更ながらに自分の行動を反省した。
「キリルに、ちゃんとお礼言わないとね」
「せや。きっと喜ぶで。アルも、あの時はありがとうな」
「礼ならユアンに言うといいよ。僕は指示に従っただけだから」
「……せやったんか」
クレアがしんみりして口をつぐむと、サルーンに静寂が訪れた。しかしそれは気まずい沈黙ではなく、三人はその後、和やかな雰囲気を復活させて食事を続けた。
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