「なんや、その顔?」
「ちょっと、寝られなくて」
「まあ、義理とはいえデートする相手が決まるんや。アオイが緊張するのも分かるわ」
クレアは納得した様子で頷いていたが、実のところ寝不足の原因はそれとはまた違うところにあった。寝ようとすると昨日キリルにされたことを思い出してしまい、目を閉じることさえ出来なかったのだ。しかしそんなことは言えないので、葵は作り笑いで誤魔化した。
(やだなぁ……行きたくない)
キリルともウィルとも、本当はデートなどしたくない。しかし今はもう、そんなことを言える段階ではないのだ。何故なら今日の勝負はすでにイベント化していて、そのために授業さえも潰されてしまっているのだから。
(一回だけなんて言うんじゃなかった)
昨日のキリルとの一件で、葵は今更ながらにデートというものの重みを感じていた。今までデートの内容など考えてもみなかったが、義理でも何でもデートはデートなのである。ウィルはそんなことはないだろうが、キリルが勝った場合、昨日の調子で迫ってくる恐れがあるのだ。引き受けてしまった自分も自分だが、頼み込んできたオリヴァーにも、その辺りの危機意識が欠けていなかっただろうか。
「アオイ? どないした?」
一人で沈んでいるとクレアが声をかけてきてくれたので、抱えきれなくなった葵は彼女に悩みを打ち明けた。昨日の出来事の一部始終を聞いて、クレアは目を瞬かせる。
「なんや、エラい男らしいな」
「どうしよう、クレア。そんなの全然考えてなかった」
「まあ、デートっちゅーのはそういうもんやからなぁ。協力するって決めた以上は一回くらいさせてやったらええんちゃう?」
「そんな、他人事な……」
「せやかて、キリルとするんは初めてやないんやろ?」
「そりゃ、まあ……そうなんだけど」
確かに葵は過去に幾度かキリルとキスをしたことがある。しかしそこには、葵の意思など微塵も含まれていなかったのだ。それに改めてキスをすると宣言されると、相手が誰であれ緊張する。もう、この瞬間さえ嫌なのだと葵が泣きつくと、クレアは所在なさげに頭を掻いた。
「確かに待ち時間があるっちゅーのはイヤなもんかもしれんなぁ。せやけど、まだキリルが勝つって決まったわけやないし、気にしすぎなんとちゃうか?」
「そ、そう、だよね……まだ勝つって決まったわけじゃないんだし」
「まあ、キリルが宣言通りウィルを負かすようやったら、その心意気に免じてチューくらいさせてやりぃ」
「……クレア、なんかキリルの味方してない?」
「いやぁ? そんなことはあらへんで」
クレアは笑顔で即答したが、葵は怪しいと思った。彼女は服装も行動も派手気味な女の子だが、男女の付き合いについてはストイックな考えの持ち主で、好きな人とでなければ軽々しくキスなどしないタイプなのである。そのクレアがやけに軽々しくキスを勧めてくるのは、実はキリルのことを応援しているからではないだろうか。葵がそうした疑惑のまなざしを向けると、クレアはさっさと話を切り上げた。
「ほらほら、アオイは今日の主役なんやからめかしこむで」
早く朝食を済ませるよう葵を急かすと、クレアは準備をしてくると言って食堂を後にした。疑わしいタイミングで話を切り上げはしたものの、その態度は平素の通りで、クレアの背を見送った葵は首を傾げる。
(考えすぎ、かな?)
クレアはもともとキリルにいい印象を抱いておらず、あまり仲がいいとも言えない。その彼女がキリルを応援する理由が見当たらなかった葵は気のせいだろうと思い、再び憂鬱な気持ちになりながら朝食に手をつけはじめた。
その後、めかしこむと張り切るクレアの誘いを丁重に断って、葵はいつもの服装でアステルダム分校に登校した。せめて白いローブはやめろと言われたので、高等学校の制服の上にケープを羽織った恰好である。学園に到着すると、あっという間に白ローブの集団に囲まれてしまった。こうなることを予想していたらしく、クレアがローブはやめておいて正解だっただろうと言ってくる。むしろこの白い集団に紛れて逃れたいと思った葵は乾いた笑みを浮かべた。
「はいはい、道開けてやー」
クレアが群がってくる生徒達を掻き分けるようにして誘導してくれる姿を見て、葵はマスコミに囲まれた芸能人を連想した。生まれ育った世界で普通の女子高生ライフを送っていた時にはまさかこんな日が来るとは思わず、葵は苦い気持ちになりながらクレアの後を追う。その萎縮するような思いは、グラウンドの脇に造られた特設の観覧席を見るなり頂点に達した。
「何、あれ」
グラウンドを見渡せる位置にポツンと、やけに豪奢な椅子が置かれている。近付いてみると、大輪の花や宝石などで装飾されている椅子の背もたれには『賞品席』と書かれていた。その文字を一瞥して、クレアが葵を振り返る。
「座るんやろうなぁ。アオイが」
「やだよ」
「そんなこと言わないで、座ってよ」
せっかく用意したんだからという声が背後から聞こえてきたため、葵とクレアは同時に振り返った。そこにいたのは髪をダークブラウンに染めた、ユアン=S=フロックハート。笑顔で朝の挨拶をすると、ユアンはさっそく葵を特別席に座らせ、その頭にティアラを冠した。
「……ユアン、完全に遊んでるね?」
「そんなことないよ?」
「だったら、その恰好は何?」
ユアンの今日のコーディネートは白のシャツに蝶ネクタイ、半ズボンにサスペンダー、そしてストライプのハイソックスと、普段は見かけない奇抜な組み合わせだ。その恰好にマントを羽織っている彼は手品のようにシルクハットを取り出し、真面目だよと言いながら自分の頭に乗せる。どう見ても遊んでいると思った葵が深々と嘆息すると、クレアも呆れた様子で息を吐いた。
「その熱意を別のことに使って欲しいもんや」
「クレア、最近言うことがレイっぽくなってきたね」
「そうや。レイチェル様といえば、アルは見に来るんか?」
何故かクレアに話を振られた葵は小首を傾げ、分からないとだけ答えた。するとユアンが、葵の代わりに憶測を口にする。
「ここには来ないと思うけど、たぶんどこかで見てるよ」
「さよか」
ユアンとクレアが二人だけで何かを分かり合っているので、話についていけなかった葵は眉根を寄せた。しかし口にしかけた疑問は、不意に沸き起こった喚声にかき消されてしまう。騒ぎが起こっている方に顔を傾けると、マジスターが勢揃いでやって来るのが見えた。
「あーあ……来ちゃった」
どうせ喚声に紛れて聞こえないだろうと思って独白を零すと、ユアンがこちらを向いた。だがマジスター達が傍に来たので、彼の視線はすぐ葵から外れる。葵もマジスター達を見たが、キリルと目が合ってしまったため、すぐに視線を逸らした。
「じゃあ、始めようか」
キリルとウィルに向かって言うと、ユアンは異次元からステッキを取り出し、雪の上に魔法陣を描いた。そして彼が変則的な呪文を唱えると、魔法陣の上に人間が出現する。それはユアンによって選抜されたアステルダム分校の生徒達で、赤と青に色分けされた彼らは雪の降り積もっているグラウンドに散って行った。
「今からルールを説明するから、よく聞いてね」
赤と青のマントをそれぞれキリルとウィルに渡すと、ユアンはそう前置きしてから第一回戦の説明を始めた。
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