葵がアルヴァと共にグラウンドに戻ると、すでに勝敗が決していた。ウィルが余裕の表情で腕組みをしているのに対し、キリルがどんよりとした空気を醸し出していることから、葵はそう察したのだ。あんな宣言をしておいて負けてしまったキリルが少し可哀想ではあったが、これでキスの件は白紙に戻ったため、葵は安堵の息をつく。デートの相手がウィルなら、滅多なことはないだろう。
「アオイ、どこ行ってたの?」
ユアンが声をかけてきたので、葵は「ちょっと」とだけ答えた。追及されるのを防ぐためか、アルヴァが早々に話題を変える。
「勝負はついたのか?」
「うん。ウィルの勝ち」
やはりそうかと思った葵がマジスター達の方に顔を傾けると、ウィルと目が合った。葵の傍に来ると、ウィルは特に感慨もなさそうに口火を切る。
「明日、迎えに行くから」
「わ、分かった」
挑戦状を叩きつけられるのに似た気分で、葵はウィルからの申し出に頷いた。その態度が大袈裟だったからか、ウィルはニヒルな笑みを浮かべる。
「今からそんなに緊張して、どうするの」
「別に緊張はしてないけど、変な気分」
「良かったね、勝ったのがキルじゃなくて」
「え?」
突然の科白にキョトンとしている葵の耳元に顔を近づけると、ウィルは囁きを零した。彼が発した『キス』という一言で、昨日のキリルとの一件を見られていたのだと知った葵は爆発的に顔を赤くする。そんな葵の反応を見てニヤリと笑うと、ウィルは踵を返してからヒラヒラと手を振って見せた。
「アオイ、何言われたの?」
「……何でもない」
心配して声をかけてきてくれたユアンに引きつった笑みを返すと、葵は深呼吸をして気分を落ち着けた。
(いい方に考えよう)
ウィルは万事があの調子だが、少なくともキリルのように迫って来ることはないだろう。一緒にいると疲れそうだが、それも一日だけの辛抱だ。そう自分に言い聞かせて、葵は考えるのをやめることにした。
気分を変えて伏せていた目を上げた葵は、視界にユアンの変化を捉えた。ユアンがあらぬ方向に顔を向けるのと同時に、アルヴァも同じ方角へと視線を傾ける。何かを察したようで、ユアンは俄かに慌て出した。
「アル、後のことはよろしくね!」
突然アルヴァに何かを押し付けると、ユアンは転移の呪文を唱えて素早く姿を消した。状況が呑み込めていない葵は説明を求めてアルヴァを見たが、彼は肩を竦めただけで口を開くような気配はない。その理由を、葵はすぐに理解した。しばらくするとレイチェル=アロースミスが姿を現したからだ。
「レイ」
彼女が学園に来るのは珍しく、葵は驚きながらレイチェルを迎えた。少し離れた場所にいたクレアやマジスター達も、レイチェルの存在を認めるとこちらに歩み寄って来る。その場にいる全員に向けて簡略に挨拶をした後、レイチェルは葵に向き直った。
「アオイに報告があって参りました」
「報告?」
「例のヴィジトゥールが見付かったそうです」
「例の……あ、もしかしてレム?」
「はい。都合がつけばすぐにでも、研究室に来て欲しいとのことです」
「分かった。行く」
葵が即答すると、それならば自分が同行するとアルヴァが申し出た。頷いて見せてから、レイチェルはクレアに目を向ける。
「クレア、ユアン様の行方を知りませんか?」
「申し訳ございません」
「そうですか。連絡があったら研究室に行くようにと伝えて下さい」
レイチェルは忙しいらしく、クレアが了承するとすぐに去って行った。葵が目を向けると、レイチェルが去った後を見つめていたクレアが、視線に気がついて苦笑する。
「主命やけど、レイチェル様に嘘つくんは心苦しいなぁ」
「やっぱり、レイは知らないんだ?」
「いや、たぶん知ってるよ」
口を挟んできたのはアルヴァで、彼はレイチェルが気付かぬフリをしているだけだろうと言う。アルヴァがそう言うのならそうなのだろうと、葵とクレアは苦笑いをした。
「ミヤジマ、行こうか」
「クレアも行く?」
アルヴァに頷いて見せた後で、葵はクレアを誘ってみた。しかし彼女は、後片付けがあるからと言って首を振る。そういうことならばと、葵もすぐに引き下がった。
「アオイ」
アルヴァと共に歩き出そうとすると、今度はウィルが呼び止めてきた。何かと思って振り返ると、ウィルは淡々と言葉を次ぐ。
「明日、その恰好で来てね」
「この恰好? 何で?」
「好みだから」
「あ、そう……」
予想外の科白に戸惑った葵はろくな反応を返さずに、そそくさとその場を立ち去った。
「じゃあ、僕は帰るから」
葵とアルヴァが去って行くと、そう言い置いたウィルが転移魔法でさっさと姿を消した。クレアはレリエという魔法道具を使って誰かと通信を始めたため、オリヴァーはハルを振り向く。
「俺達はどうする?」
「眠くなってきたから帰る」
「そうか。じゃあ、またな」
オリヴァーに頷いて見せると、ハルは欠伸を零してから転移の呪文を口にした。ハルもウィルも帰ってしまったので、オリヴァーはクレアに目を向ける。ちょうど通信を終えたところのようで、クレアもこちらを振り向いた。
「ハルはどないしたんや?」
「眠いからって帰った」
「……おたくら、仲ええのか薄情なんか分からんなぁ」
「薄情?」
「アレ、目に入らんのかい」
クレアが指差した方向を見て、オリヴァーは彼女の言いたいことを察した。オリヴァー達はレイチェルが姿を現した時に移動してきたのだが、賞品席と称された椅子が置かれている付近で、未だにどんよりとしている者が一人。負け犬のキリルだ。
「ウィルやハルは、こういうことにはドライだからな」
「せやけどオリヴァーは、違うんやろ?」
「まあ、な」
こういうことは自分の役回りだと自覚しているオリヴァーは、クレアに微苦笑を返すと歩き出した。無言で後に続いたクレアも、手伝ってくれるつもりらしい。
「キル?」
頭を抱えてしゃがみこんでいるキリルに近付くと、オリヴァーは屈んで彼の顔を覗き込んだ。勝負に負けたことがよっぽどショックだったのか、キリルは一人でぶつぶつと何かを言っている。声が小さすぎて聞き取り辛いが、どうやら「ありえねぇ」と呟いているらしかった。
何が『ありえない』のか、葵から昨日の出来事を聞いているオリヴァーにはなんとなく想像がついた。勝負に勝ったらデートだけではなく、キスをするとまで宣言したのだ。その挙句に負けてしまったのでは、プライドもズタズタだろう。こういった場合、何と言って慰めたものか。オリヴァーが思案していると、先にクレアが口火を切った。
「勝ったらキスするとまで言うといて負けるやなんて、えらい恥ずかしいなぁ」
率直すぎる上に慰めにもなっていないクレアの発言に、ギョッとしたのはオリヴァーだけではなかった。自分の世界に入り込んでしまっていたキリルも驚愕して、思わずといった様子で顔を上げている。しかしあ然としている男達には構わず、クレアは平然と言葉を重ねた。
「そのうえ負けたことを、いつまでもネチネチ気にしとる。ちっさい男やなぁ」
「……てめぇ、もういっぺん言ってみやがれ!!」
屈辱も驚愕も怒りの前では吹き飛んでしまったようで、勢い良く立ち上がったキリルはクレアの胸倉を掴み上げた。オリヴァーは慌てて仲裁に入ろうとしたのだが、クレアはそんな状況になっても眉一つ動かさずに話を続ける。
「なんや、元気やないか」
「元気なわけあるか!!」
「そうやって怒鳴れるんは元気な証拠や。その勢いで、デートなんてジャマしてやったらええやんか」
あくまでも平静を崩さないクレアに、キリルは気圧されした様子で口をつぐむ。それがクレアの狙いかと、納得したオリヴァーも仲裁に入るのをやめた。キリルのようなタイプには下手に慰めの言葉をかけるより、怒らせて発散させてしまった方が効果的かもしれない。
(……よく、分かってるな。キルのこと)
ひょっとすると自分より、クレアの方がキリルの扱いに長けているのではないか。そう思ったオリヴァーが傍観を決め込むと、クレアはいとも容易くキリルを説き伏せ、こういう時はパーッと遊ぶに限るということで話をまとめたのだった。
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