レイチェルから伝言を受け取った後、葵とアルヴァはアステルダム分校の校門付近に描かれている魔法陣を使って王城に転移した。王城には幾つか転移可能な場所があって、アルヴァは一般的に使われている正門前に転移することを選んだので、今は王城の廊下を研究室に向かって歩いている途中だ。先は長いので、葵は歩きながらアルヴァに話しかけた。
「レイ、なんか忙しそうだったね」
「レイチェルはもともと多忙な人だけど、今は法の整備とか召喚魔法の研究とかにもにも携わってるみたいだから」
アルヴァの言うところによると、レイチェルくらい優秀な人物になると様々な場面で意見を求められることが多いらしい。彼女にしか出来ないことも数多く存在しているようで、それがレイチェルを忙殺しているのだ。それでもレイチェルは、そんな状況をうまくやりくりする器用さを持っている。天性の秀逸さだねと言った後で、アルヴァは自分も時たまレイチェルの仕事を手伝うようになったことを明かした。
「じゃあ、アルも忙しいんだ?」
「僕はそれほどでもないよ」
そんな話をしているうちに、葵とアルヴァは目的地に到着した。研究室の扉を開けようとすると、それは内側から開き、全体的に白い青年が室内から姿を現す。彼は王女の教育係である、ローデリック=アスキスだ。
「アルヴァ。ミヤジマ=アオイも一緒か」
声をかけてきたローデリックにアルヴァが改まった礼をしたので、葵も軽く頭を下げておいた。畏まっているアルヴァに向かって「楽にしていい」と言った後で、ローデリックは葵に目を向ける。
「例の召喚……ヴィジトゥールが、見付かったらしいな」
スレイバル王国ではこれまで、葵のように異世界からやって来た者のことを『召喚獣』と呼んでいた。しかしそれは差別用語のようになっていて、召喚獣を解放することが公布された後に名称を改めたのだ。だが改変が行われてからまだ日が浅いため、長年の習慣はなかなか抜けないらしい。それでもわざわざ言い直したローデリックの態度に誠意を感じた葵は愛想よく話に応じた。
「そうみたいですね。さっきレイから聞いて、それで来ました」
「すでにユアン様もいらっしゃっている。行くといい」
扉の前から体を退けて道を譲り、ローデリックはそのまま去って行った。室内に入ってみるとローデリックの言っていた通り、ユアンの姿が見える。ついさっきまでダークブラウンに染まっていた髪は、もう平素の金髪に戻っていた。
「あ、来た来た。遅かったね」
「レイチェルに会ったのか?」
「ううん。クレアが教えてくれたんだ」
ユアンとアルヴァが話を始めたので、葵は傍にやって来たスキンヘッドの青年に笑みを向けた。眉毛が薄く、色眼鏡で目元を隠している彼は、葵が以前に住んでいたアパートの隣人で、名をマッドという。その名はおそらく本名ではないのだろうが、マッドも改めて名乗ることをしなかったので葵はそのまま呼んでいた。
「弐号機の調子はどうだ?」
マッドの言う『弐号機』とはディ・ナモという自転車のような形をした発電機のことで、葵はこれを使って携帯電話の充電をしている。異世界の友人と頻繁に連絡を取り合うようになってからはこれが大活躍で、葵は改めてマッドに感謝の意を伝えた。
「ケータイも直しちゃうし、ほんとマッドってすごいよね」
「はっはっは。もっと褒めてくれてもいいぞ」
やる気が沸いてくるからと、マッドは快活に笑う。相変わらず変な人だと思いながらも、葵はマッドのそういうところを好いていた。
「アオイ、そろそろ行こう」
マッドと話しているとユアンが呼びかけてきたので、葵は彼を振り向いてから首を傾げた。
「行くって、どこに?」
「レムのいる所だよ」
レムが見付かったと聞いて、葵は彼女が研究室に来ているものだと思い込んでいた。しかし彼女は、ここへ来るのは嫌だと言ったらしい。その理由を聞いて、葵は納得した。レムはマーメイドのような姿をしている者で、その下半身は魚である。それは陸に上がっても変わることはないらしく、ここへ来るためには水槽に入らなければならないようだ。彼女は水槽に入れられてコレクションハウスに幽閉されていたので、それを嫌だと思うのは仕方のないことだった。
レムからは他にも少人数で来て欲しいという注文があったらしく、赴くのは葵・ユアン・アルヴァの三人だけということになった。研究室内にはすでに魔法陣が用意されていて、その上に立つとユアンが呪文を唱える。転送先の魔法陣は砂浜に描かれていて、眼前には入り江の景色が広がっていた。
「レム」
転移が完了するとすぐ、岩場に腰かけて長い髪を梳いているマーメイドの姿が目に入ったので、葵は顔を綻ばせて彼女の名前を呼んだ。転移には気付かなかったようだが声は聞こえたらしく、レムは顔を上げてこちらを見る。葵が手を振ると、レムは海の中に飛び込んだ。透明な水の中を泳いで来る姿が見えたので、葵も水辺へと寄る。
「久しぶり。元気だった?」
「おかげさまで。あなたには感謝してるわ」
葵には感謝される覚えがなかったのだが、レムは葵のことを召喚獣解放の功労者だと思っているらしかった。コレクションハウスでは狭い水槽に押し込められていたが、今では広い海で自由に生きている。レムが喜々としてそう語るので、葵も話を合わせることにした。
「ごめんね、呼び出したりとかして」
「それは構わないわよ。わたしもあなたに会いたいと思っていたし」
「ありがとう」
微笑んで礼を言うと、葵は同行者を紹介するために背後を振り返った。するとユアンがレムを凝視していたので、不思議に思った葵は首を傾げる。アルヴァは初対面だがユアンは一度、王女のコレクションハウスでレムと会っている。そんな彼が、今頃何を気にしているのだろう。
「どうしたの?」
「アオイ、レムっておばあさんじゃなかった?」
ユアンが不可思議な顔をしていることに納得がいった葵は、ああ……と独白を零してから笑みを浮かべた。話を聞いていたレムも、ユアンを見てクスリと笑う。
「今生の人王は、この姿の方がお好みかね」
一度俯いて長い髪で顔を隠し、再び顔を上げた時には、レムは老婆の姿になっていた。彼女は喋り方まで変えたので、目を剥いたユアンは慌てて取り繕う。
「う、ううん! 若い姿の方がかわいくていいと思うな!」
ユアンのフォローが取って付けたようなものだったので、葵は声を上げて笑った。レムも顔を背けて吹き出すと、また若い姿に戻る。その変化を目の当たりにして、ユアンはまじまじとレムを見た。
「ヴィジトゥールが
珍しいと呟いてひとしきりレムを観察した後、ユアンは不意に首を傾げた。
「あれ? 何で僕が人王だって知ってるの?」
教えたのかと尋ねられたので、葵は首を横に振った。その疑問には、レムが自ら答える。
「前の人王に会ったことがあるのよ。魂のきらめき、とでも言うのかしら。そういったものが、よく似ているわ」
「そうなんだ? それって、何代前の人王なんだろう?」
「それは分からないわ。大体、前の人王に会ったのだって随分と昔の話だし」
「そうか。バラージュに召喚されたってことは、レムはすごく長生きなんだよね」
会話をしているうちにレムが非常に長生きだという実感が湧いてきたようで、ユアンは口元に手を当てると閉口した。会話が途切れたのを見て、それまで黙していたアルヴァが容喙してくる。
「そろそろ、本題に入るべきだと思うけど」
それもそうだと思った葵は最後にアルヴァを紹介してから本題に入った。
「レム、バラージュって人のこと詳しく教えて」
「詳しくと言われても、わたしも彼のことはよく知らないわよ」
詳しい話を聞きに来たはずが一言で済んでしまって、この先をどうしたらいいのか分からなくなった葵はユアンを振り返った。任せてと言うように頷くと、ユアンはレムと話を始める。
「バラージュに召喚された後、レムはどうしてたの?」
「この世界で、普通に暮らしていたわ」
「それは、バラージュと一緒に?」
「一緒ではなかったわね。たまに会うことはあったけれど」
「最後に会ったのはいつのこと?」
「覚えていないわ」
「そういえばレム、前に言ってたよね。バラージュがどこかに行ってしまう前に異世界から来た人達を送り届けてくれたんだって」
レムとユアンの会話を聞いていて、思い出したことがあった葵は口を挟んだ。葵の発言から連鎖的に何かを思い出したらしく、レムは微かに眉根を寄せて空を仰いだ。
「その時が、最後だったわね」
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