塔でキリルと別れた後、校舎に戻った葵は一階の北辺にある保健室を訪れた。白衣姿で窓際のデスクに座っていたアルヴァがいつものように椅子ごと振り返って迎えてくれたので、葵はすぐさま傍に寄ってニヤニヤしながら話を始める。
「この間、アルの写真撮ったじゃん? さっきその写真見た友達から返事が来て、アルのこと超イケメンだって」
「いけめん?」
「すごくカッコイイってこと」
「……へぇ」
「へぇって、反応それだけ?」
喜ぶとは思っていなかったがアルヴァの反応は明らかに淡白であり、葵はノリが悪いと思った。どう反応すればいいんだと言って、アルヴァは苦笑する。
「それを言うために、わざわざ来たの?」
「まさか」
アルヴァに暇人扱いされてしまったので雑談は切り上げることにして、葵は本題を口にした。
「バラージュのこと、調べてみるって言ってたじゃん? どうなったかなと思って聞きに来たの」
「ああ……そのことか」
「なんか渋い顔してるけど、うまくいってないの?」
「プリミティフ族に知り合いがいるんだけど、なかなか会うのが難しい状況でね。まだ話を切り出せてもいないんだよ」
「そっか……」
「仲介を頼んであるから、それがうまくいけばいいんだけどね。そっちは少し時間がかかりそうだから、待っている間に別の切り口からも調べてみようと思ってる」
「別の? 何々?」
「
アルヴァが口にした坩堝島とは南海に浮かぶ孤島で、クレアの故郷である。何故ここで坩堝島が出てくるのかと問うと、アルヴァは説明を始めた。
「前にクレアが坩堝島でヴィジトゥールに会ったことがあるって言ってただろう? その中にはレムのように、長生きの種族がいるかもしれない」
「あ、なるほど」
今夜あたりクレアに話してみるつもりでいたとアルヴァが言うので、葵は彼を夕食に誘った。仕事が終わったら行くという返事を受けて、葵は先に屋敷へ帰ってクレアと共に食事の支度に勤しむ。その間に事情を説明しておいたので、アルヴァが来ると話はスムーズに進んだ。
「坩堝島に行くなら、うちが案内するわ」
「そうしてもらえると助かる。僕も坩堝島には行ったことがないからね」
「アオイも行くんか?」
アルヴァとの話が済むとクレアが顔を傾けてきたので、葵は行くと即答した。以前にアルヴァと二人で世界を巡る旅に出たことがあるが、坩堝島には行っていない。バラージュの情報を得ることが目的の第一であることに変わりはないが、単純にクレアの故郷に行ってみたいという思いもあった。
「旅にはミヤジマが欠かせないよ」
心持ちとはまた別のことをアルヴァが言い出したので、葵はどういう意味かと彼に目を向けた。クレアにも意味が分からなかったようで、彼女もアルヴァを見て首を傾げている。二人分の疑念を受けて、アルヴァは説明を始めた。
「魔法なんか使わなくても、ミヤジマには誰とでも意思の疎通が出来るようになってるからね」
坩堝島はその名の通り、様々な人間や動物のいる生物の坩堝である。そういった特異な場所だからこそ、ガイドブックの作成されていない国の人間がいないとも限らないのだ。ガイドブックがあれば言語が魔法化されているので母国語が違っても普通に会話をすることが可能なのだが、ガイドブックがない場合はそうもいかない。その点、ヴィジトゥールである葵は便利なのだ。
「そらエエわ。アオイ、よろしく頼むで」
クレアにポンと肩を叩かれて、何か府に落ちなかった葵は首を傾げた。違和感の正体に気がつくと、葵は眉根を寄せながら尋ねてみる。
「坩堝島ってクレアのふるさとでしょ? 言葉が分からなかったりすることなんてあるの?」
「坩堝島では色んなもんがごちゃ混ぜになっとるさかい、そらあるわ」
そういうものなのかと思った葵は自分の生まれ育った国のことを考えてみた。同じ日本国内でも地方のお年寄りが使う方言などは、意味を知らなければ何を言っているのか分からない場合もある。クレアが言っているのもそれと同じことかと思って、葵は一人で納得した。その間に、アルヴァとクレアはどんどん話を進めていく。
「移動は船がいいかな?」
「せやな。ゼロ大陸からやと五・六日ってとこやろ」
口を挟まずに大人しくしていた葵は、クレアがアルヴァに言っているのを聞いて別のことに考えを及ばせた。
(五・六日かぁ)
移動だけで、往復十日。出発は明後日ということで、アルヴァとクレアの話はまとまったようだ。次の休みには家に来いとキリルに誘われているのだが、これでは行けそうにない。もともと乗り気ではなかったこともあって、葵は明日断ろうと思った。
「ミヤジマ、これを」
話が済むとクレアは食後の紅茶を淹れるために席を立ち、アルヴァは小瓶を差し出してきた。目の前に置かれたボトルを見て、葵は首を傾げる。
「何?」
「髪色を変える魔法薬だよ。色合いを見たいから、使ってみて」
そう言うと、アルヴァは魔法薬の使い方を説明してくれた。ユアンが開発したのは内服薬だったようなのだが、アルヴァはそれを塗り薬に変えてくれたらしい。トリートメントのように髪になじませるだけでいいと聞き、葵はさっそく塗ってみた。
「どう? 色、変わった?」
「はい、鏡」
鏡を召喚したアルヴァがそれを目前に置いてくれたので、葵は鏡の中の自分に見入った。真っ黒だった髪色が、ナチュラルなブラウンに染まっている。まだ髪の長さが足りないが、その色合いは生まれ育った世界で染めたような感じで、元の自分に戻れた葵は狂喜した。
「うわあぁぁ……超嬉しい」
「それは良かった。色合いはどう?」
「うん、いい感じ。これってずっと染まったままなの?」
「水で洗い流せるから、気分によって使い分けられるよ」
それは便利だと、葵は新たな喜びを感じた。髪色が変わっただけで気分が明るくなって、この世界に来てからないがしろにしていたオシャレをしたくなったのだから不思議なものだ。
「ありがと、アル」
葵が微笑みながら礼を言ったところで、キッチンで紅茶の準備をしていたクレアがワゴンを押して戻って来た。葵の髪色が変わっていることに目を留めると、彼女は瞬きを繰り返す。
「なんや、その髪色?」
「ユアンが使ってた薬をアルが私用に改造してくれたんだ。どう?」
「……雰囲気変わるなぁ。見慣れてへんから妙な感じや」
「そうか、クレアは知らないんだね。ミヤジマはもともと、このくらいの髪色をしていたんだよ」
アルヴァがクレアに言っているのを聞いて、葵も「そういえば」と思った。クレアと初めて会ったのはショートヘアにした後のことで、彼女は茶髪の葵を知らないのだ。
「アオイの世界には魔法なんてないんやろ? どうやって髪の色変えてたんや」
クレアが訝しげに尋ねてきたので、葵は美容室について知っている限りのことを説明した。魔法を使わなくても同じことが出来るということに、クレアは感心したようだった。
「髪の長さまで自由自在やなんて、すごいなぁ」
「ミヤジマ、その『うぃっぐ』とやらのことをマッドに話してみるといい。彼は異世界のことに精通しているから、もしかしたら作れるかもしれないよ」
興味深そうに話を聞いていたアルヴァが提案してくれたので、葵はそこで初めて可能性に気がついた。マッドはなんといっても、壊れた携帯電話を修理してくれた人なのである。ウィッグくらい、簡単に作れてしまうかもしれない。
「アル、頭いい!」
「アルの発想って柔軟やなぁ。そういうとこ、感心するわ」
少女二人に褒めちぎられて照れ臭くなったのか、アルヴァは苦笑いを浮かべた。そして早々と、自分の話題からは離れる。
「ミヤジマの発想はこの世界にはないものだし、もしかしたら流行るかもしれないね」
「なんか、買物したくなってきた。クレア、明日街に行こうよ」
「お、アオイがそないなこと言い出すなんて珍しいなぁ。うちも買物は好きやさかい、そういう誘いなら大歓迎や」
「旅支度もあるだろうし、行ってくるといいよ」
準備は整えておくので、葵とクレアは自分のことだけ考えればいい。アルヴァがそう言ってくれたので、葵とクレアはその言葉に甘えることにした。
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