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 よく晴れた空の下、大海原に一艘の船が浮かんでいた。その船は先刻まで魔法で発生させた追い風によって驚異的なスピードを出していたのだが、今は自然に吹く風と潮流に任せてゆるゆると進んでいる。舳先が向いている方角には島影が見えていて、船の中甲板からそれを眺めている者の姿があった。ナチュラルブラウンの髪と、その身に纏っているマントの裾を風に揺らされている少女の名は宮島葵。彼女は一人きりで甲板に出て来ていたのだが、しばらくすると背後に人影が出現した。

「もうすぐやな」

 背後を振り返った葵は、そこに友人で同居人でもあるクレア=ブルームフィールドの姿を認めて笑みを浮かべた。

「意外と早く着きそうだね」

「せやな。ユアン様のおかげや」

 クレアがユアン=S=フロックハートの名前を口にしたのは彼が帆船や船乗りなど、この旅に必要なものの多くを用立ててくれたからだった。準備を整えてくれたユアンは残念ながら同行出来なかったのだが、この船には葵達の他にアルヴァ=アロースミス、トリニスタン魔法学園アステルダム分校のマジスターであるキリル=エクランド・オリヴァー=バベッジ・ハル=ヒューイット、そしてクレアの父親であるアンダーソン伯爵が同乗している。葵が彼らの様子を尋ねると、クレアはアルヴァからレクチャーを受けているところだと答えた。

「レクチャーって、何の?」

「マト、説明頼むわ」

 クレアの肩にはワニに似た姿をしている魔法生物がいて、彼の名がマトという。クレアが肩から下ろしたマトの体を差し出してきたので、葵は両手でそれを受け止めるとマトを胸元に引き寄せた。マトは人語を喋ることは出来ないが、触れ合うことによって人間とも意思の疎通を図ることが出来る。そのおかげで、葵は言葉で説明されるよりも早く『レクチャー』の内容を理解した。

 坩堝島では土着の民や漂流してきた者など様々な人間が暮らしていて、その中には魔法を使える者もいるし、ほとんど使えない者もいる。しかし坩堝島の人間達は共通して、島内では極力魔法を使わないようにしているのだそうだ。それは坩堝島で暮らしている魔法生物に対する配慮で、強制ではないが暗黙のルールとして浸透している。しかし坩堝島は人間が魔法を使えなくなるフロンティエールとは違い、使おうと思えば使えてしまう。スレイバル王国が支配しているゼロ大陸では日常の中に魔法が根付いているので、自発的に抑制するのではふとした瞬間にボロが出てしまうこともあるだろう。特に同行者達は魔法力に富んでいる者ばかりなので、どこまで自制出来るかは難しい問題だ。そこでアルヴァは坩堝島に上陸する前に、例のユアンが生み出した指輪で彼らの魔力を押さえ込んでしまおうとしているようなのだ。マトから聞いた話は、概ねそんなような内容だった。

 レクチャーの説明が終わると、今度はマト自身の思いが葵の中に流れ込んできた。彼は久しぶりの帰郷に心を弾ませているようで、葵は微笑みを浮かべながらクレアを振り向く。

「マト、すごく喜んでるね」

「坩堝島は魔法生物にとって居心地のいい場所やからな。滞在中はのんびりさせてあげたいわ」

「クレアは? やっぱり、ふるさとに帰って来るのって嬉しい?」

「どうなんやろうな」

 正直なところマトほど帰郷を喜ぶ気持ちはないと、クレアは複雑な胸中を明かした。彼女にとって坩堝島は確かに故郷ではあるのだが、友達がいるというわけではないらしい。それも特別なことではなく、坩堝島では人間も動物も干渉を避けるようにして暮らしているので、必然とそうなってしまうのだという。

「まあ、そんな所やから、ヴィジトゥールが身を隠すにはもってこいなんやな」

「クレアがそのヴィジトゥールに会ったのって何年くらい前の話なの?」

「七・八年くらい前やな。それと、バラージュの話聞いてて思い出したんやけど、確か褐色の肌の人間もいたような気ぃするわ」

「ほんとに?」

 褐色の肌の人間はプリミティフ族と言って、この世界ではかなり珍しい存在らしい。プリミティフ族は普通の人間とは違うので、同族を見つければ、バラージュがどうやって世界から姿を消したのか、その方法を聞けるかもしれないのだ。クレアの話を聞いていると、やはり坩堝島には何らかの情報が眠っていそうな感じがする。上陸する前から期待に胸を膨らませた葵は、少しずつ大きくなってきている島影に目を移した。

「ここにいたのか」

 しばらくクレアと二人で眼前の風景を眺めていると、背後から声をかけられた。麻のシャツに茶系のズボンといったラフな服装の上にマントを着用している中年の男性は、クレアの父親であるアンダーソン伯爵だ。彼は娘に笑みを向けた後、マトを抱いている葵を見て目を瞬かせた。

「よく、マトが触れることを許したな」

「アオイは特別や」

 クレアがマトの代わりに答えると、アンダーソン伯爵は苦笑いを浮かべて葵とマトを見た。

「私は触れさせてもらえるようになるまで、随分と時間がかかった」

「そうやって過去のことをいつまでも気にしとるダメ男だからやないんか? おとんと違ってアオイは思い切りがいいさかい、マトも気に入ったんやろ」

「いやいや、私も昔は義侠心に溢れる好青年だったのだぞ」

「ホンマかいな。その話、いつ聞いても疑わしいわ」

 必死で昔は男らしかったことをアピールしようとしている父親と、それをまったく相手にしない娘。二人が出会ったのはごく最近のことなのだが、そのやり取りを見ている限りでは何の違和感もなく親子なのだと思える。微笑ましい光景を、葵は頬を緩めながら眺めていた。

「ところで、何か用があったんやないの?」

 ひとしきり父親をからかうと、クレアが話題を変えた。どうやら用事があって甲板に出てきたようで、アンダーソン伯爵も話を合わせる。

「アロースミス殿が呼んでいる。上陸後の打ち合わせをしたいそうだ」

 アルヴァが呼んでいると聞くと、クレアはマトを再び肩に乗せてから踵を返した。葵もクレアの後に従って、甲板から船室に戻る。船室内にはアルヴァとマジスター達の姿があって、彼らはすでに坩堝島の地図を前にして話し合いを始めていた。

「来たか」

 葵とクレアが戻って来たのを確認すると、アルヴァは今までに決まった事柄を簡略に説明してくれた。その話によると、坩堝島に上陸後は二手に分かれて情報収集をすることになったらしい。

「坩堝島の地理に詳しいクレアと、誰とでも言葉が通じるミヤジマには二手に分かれてもらう。ミヤジマとは僕が行動を共にして、後の人達はクレアに任せる。うまい具合に使ってくれ」

「ちょっと待て! なに勝手に決めてんだよ!」

 アルヴァは自分の意見がすでに決定事項であるかのようにクレアと話をしていたが、そこに割って入ったのはキリルだった。彼は葵が、アルヴァと二人で行動することが気に入らないらしい。自分が葵と行くと言い張るキリルを一瞥した後、クレアはアルヴァに向き直った。

「それ、どういった編成なんや?」

「クレアとアンダーソン伯爵は坩堝島に詳しいだろう? ヴィジトゥールがいそうな場所に心当たりもあるだろうから、人海戦術を行うならそっちだと思って人数を割いた。クレアも坩堝島にいる人全てと言葉が通じるわけではないと言っていたから、ミヤジマには別の切り口から情報を引き出してもらおうと思ってる。だから二手に分かれることにした」

「アルがアオイと一緒なんは?」

「僕は以前にも魔法を使えない環境に身を置いたことがあるから、こういった事態には慣れがある。この中ではミヤジマとの付き合いも一番長いしね。客観的に考えても、彼女をサポートするのに適しているのは僕だと思うけど?」

 坩堝島には遊びに行くわけではない。アルヴァが言外にそう言っていたので、納得したらしいクレアは口をつぐんだ。それでもキリルは不満そうにしていたが、クレアに目で制されたため、それ以上の発言はしなかった。異論が出なくなったところで、アルヴァが改めて口火を切る。

「坩堝島に着いたら、まずは拠点を確保しよう」

 それで話がまとまったため、その後一行は上陸の準備に移った。






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