マリッジ、ブルー

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 冬月とうげつ期最後の月である秘色ひそくの月の二十二日。その日、クレア=ブルームフィールドは坩堝るつぼ島から帰って来て初めてトリニスタン魔法学園に登校した。生徒達の登校時間からはズラして学園に来たため、校内にはもう人影がない。ひっそりとしている廊下を脇目も振らずに歩いた末、クレアは校舎一階の北辺にある保健室へと辿り着いた。

「ジャマするで」

 扉を開けると窓際のデスクに白衣姿の人物がいるのが目に留まったので、声をかけながら室内に進入する。この部屋の主であるアルヴァ=アロースミスは椅子ごと体を回転させて振り返り、座ったままクレアと向かい合った。

「ミヤジマの様子はどう?」

 アルヴァが開口一番に口にしたのは、クレアの同居人である宮島葵のことだった。クレアの用件もそれだったので、彼女は小さく息を吐いてから答えを口にする。

「様子が変や」

「まだ具合が悪いのか」

「体の不調っちゅーより、何か悩みがあるような感じやな」

「悩み?」

 何の悩みかとアルヴァが尋ねてくるので、クレアは肩を竦めて首を振る。本人にも同じことを尋ねてみたのだが、葵には苦笑ではぐらかされてしまったからだ。それを聞くと、アルヴァは微かに眉根を寄せた。

「何か、ミヤジマが悩むようなことに心当たりはない?」

「心当たりっちゅーほどのもんでもないんやけど、坩堝島で迷子になったアオイを見つけた時から様子は変やったな」

 クレアが迷子になった葵を見付けた時、彼女は一人でフラフラと浜辺を歩いていた。普通なら迷子になった場合、元いた場所に戻ろうとして歩き回るか、それ以上迷わないように一定の場所でじっとしているものだろう。だが葵は、そのどちらにも当て嵌まらなかった。彼女の身に何かがあったのだとすれば、迷子になっていた時だろう。クレアがそうした私見を述べると、アルヴァは口元に手を当てて考えこんでしまった。

「……迷子になる前、ミヤジマはキリル=エクランドと一緒にいたらしいね?」

 しばらくしてからアルヴァが口火を切ったので、その密会を手助けしたクレアは苦い表情になりながら頷く。どうやらアルヴァは、キリルとの会話の内容に問題があったのではと考えているようだ。

「キリル=エクランドに話を聞きに行く」

「……うちも行くわ」

 クレアが頭を掻きながら同行することを伝えると、アルヴァは席を立ってクレアの手を取った。彼が「大空の庭シエル・ガーデンへ」という言葉を口にすると、それが呪文の効果を果たしたようで、保健室から一瞬にして場所を移動する。広大な温室の中にある魔法陣に出現した後、クレアは呆れながらアルヴァを見た。

「転移するのに呪文も必要なしかいな」

「校内の魔法陣がある場所へなら、どこへでもね」

 教師の特権だよと涼しい表情で言うと、アルヴァはさっそく花園の中へと歩を進めて行った。こういうところはさすがだと感心しながら、クレアもアルヴァの後に続く。シエル・ガーデンの中央部には花を愛でるためのスペースが設けられていて、テーブルが置かれているそこではアステルダム分校のマジスター達が全員揃ってお茶を飲んでいた。

「聞きたいことがある」

 テーブルに近付くとアルヴァはわざわざキリルの前に立って、彼の目を見ながらそう言った。アルヴァがシエル・ガーデンに現れたことで、ただでさえ不機嫌そうな顔をしていたキリルが、その威圧的な物言いに頬を引きつらせる。

「てめぇ、オレにケンカ売ってんのか?」

「何故そういう解釈になるんだ? 僕はただ、話を聞きたいと言っただけだ」

「おたくら、うっとーしいから止めや」

 アルヴァとキリルの双方が不機嫌になっている理由を知っているクレアは、彼らの無言の主張をバッサリと切り捨てた。クレアの物言いが淡白かつ双方にとって容赦のないものだったので、アルヴァとキリルは黙り込む。その様子を見て、まずはハル=ヒューイットが小さく吹き出し、続いてウィル=ヴィンスも遠慮のない笑い声を発した。

「おい! てめーら何笑ってんだよ!」

「いや、滑稽だなって思って」

「クレアが面白い」

 ウィルとハルが平素の通りに応じたため、キリルもムキになって怒声を返している。いつもなら適度なところでオリヴァー=バベッジが仲裁に入るのだが今日はその前に、クレアが彼らのコミュニケーションに割って入った。

「そこまでや。キリル、アオイのことなんやからマジメに聞きや」

「あいつがどうかしたのかよ」

 葵の名前を出すとキリルはすぐに怒りを収め、真顔をクレアに向けてきた。葵が何かに悩んでいるらしいと明かすと、キリルは真顔を心配そうに歪める。

「悩みって何だよ」

「うちもアルも心当たりがないんや。せやから、坩堝島でアオイと二人でおった時にどんな話したんか聞かせてや」

「話……」

 独白を零すと、キリルは眉間にシワを寄せて空を仰いだ。その様子は当時のことを思い出そうとしているように見えたので、クレアは黙してキリルの言葉を待つ。キリルは幾度か躊躇するような素振りを見せた後、ぽつりぽつりとあの夜のことを語り出した。その内容を聞いて、その場にいた者達は全員が目を剥く。

「キル、アオイの世界に行くって言ったのか?」

「悪いかよ」

「男らしいね。キルって案外、恋愛にのめりこむタイプだったんだ?」

「てめっ、ウィル! おちょくってんのか!?」

 オリヴァーと会話しているところにウィルが入って行くと、キリルはまた怒り出してしまった。いつものマジスター達の様子を尻目に、クレアは隣に佇んでいるアルヴァの顔を盗み見る。キリルに先を越されて動揺しているかと思いきや、アルヴァは口元に手を当てて何かを考えこんでいた。クレアの視線に気がつくと、彼は問われる前に口火を切る。

「ミヤジマが彼の申し出に応じたとは思えない。悩んでいるというのなら、それとは別件だろう」

「……ちょっと待てよ」

 アルヴァの言葉が聞こえてしまったようで、それまでウィルと戯れていたキリルが顔色を変えた。仲間に向けるものとは違って本気の怒りを湛えた目を、キリルはアルヴァに向けている。

「いつも見下した調子で知った風なこと言いやがって。お前、あの女の何だってんだよ!」

「何だと言われても困るが、少なくとも君よりは僕の方がミヤジマのことを知っている。僕が何か、間違ったことを言ったか?」

 キリルが異世界に着いて行くと申し出て、葵は何と答えたのか。アルヴァにそう尋ねられてキリルが黙り込んでしまったのは、きっと拒否されてしまったからなのだろう。閉口したキリルに、アルヴァは容赦なく追い討ちをかける。

「ミヤジマを追い回す前に、君には他にやることがあると思うけど? この間の婚約者の件だってまだ解決出来ていないんだろう? 大口を叩くのなら、それ相応の行動が伴っていないと説得力がないよ」

 ぐうの音も出ないほどキリルを打ちのめした後、冷淡に彼との話を切り上げたアルヴァはウィルに目を向けた。

「君にも話がある」

「いいよ。じゃあ、場所を移そうか」

 急な申し出にも簡単に頷くと、アルヴァとウィルは二人だけで姿を消してしまった。先程から戦慄いていたキリルが、アルヴァがシエル・ガーデンから消えたのを機に鬱憤を爆発させる。シミ一つない真っ白なテーブルは花園の中に転がっていったが、オリヴァーとハルの前に置かれていた紅茶は無事だった。しかしテーブルを蹴飛ばしたくらいでは怒りが治まらなかったらしく、キリルは手当たりしだいに物を破壊している。魔力の暴走はなかったので、クレアはキリルを不憫に思いながらため息をついた。

「キリル、ちょお落ち着きぃや」

「うるせぇ!!」

「落ち着け、言うとんのや」

 怒鳴り声にも怯むどころか、クレアがそれ以上の迫力で低い声を発したため、キリルはピタリと動きを止めた。猛っているキリルを一言で静止させたため、オリヴァーは少し驚いたような表情を見せ、ハルはクレアに軽い拍手を送っている。そんな二人の反応にもため息をついた後、クレアは真顔に戻ってキリルと向き合った。

「アオイとアルの間には絆みたいなもんがある。これは時間をかけて培ってきたものやさかい、今更どうにもならんわ。せやけどアオイは、恋愛対象としてアルを見てるわけやない。割り込めなくて悔しい気持ちも分かるけどなぁ、そのへんは割り切らんとカッコ悪いで」

「……くそっ! ムカツク!」

「アルのことは気にしたら負けや。キリルはキリルで頑張ればええやんか」

 優しく諭してもキリルはしばらく不満顔を崩さなかったが、彼がちゃんと話をすれば通じる人物であることを知っているクレアは根気よく説得を続けた。話をしているうちに気分が落ち着いてきたらしく、やがて彼は素直に頷いて見せる。キリルがそういった態度に出るまで待っていたクレアは彼の背中を少し強めに叩き、笑顔で激励するとシエル・ガーデンを後にした。






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