「キル、本当にアオイに着いて行くつもりなのか?」
「ああ」
「アオイがいた世界って魔法が使えないんだろ? 本当に大丈夫か?」
貴族の子であるキリルやオリヴァーは、生まれた時から魔法に親しんでいる。オリヴァーには魔法がない暮らしなど想像が出来ないし、少しのあいだ魔法が使えなくなっただけでも大いに不便を感じた。それはおそらく、キリルも同じだろう。しかし彼はそれでも、宮島葵に着いて行くのだと言い張った。キリルが本気であることは、彼の愚直なまでの言動を見ていればよく分かる。反対するつもりはないのだが、オリヴァーにはキリルが心配でならなかった。
「それでももし、アオイが振り向いてくれなかったらどうするつもりなんだ?」
この世界に召喚された宮島葵が帰れないでいるように、一度異世界へ行ってしまったら、おそらくキリルも生まれ育った世界に帰ることは出来なくなるだろう。片思いの相手を追いかけて異世界へ行ったはいいが、恋も成就せず元の世界にも帰れないというのでは目も当てられない。仮に葵が交際を承諾したとしても、その付き合いがいつまで続くかは誰にも分からない。男女の関係とはそういうものなのだが、恋愛の経験値がないキリルがそこまで考えているとは思えなかった。
「どうもこうもねーだろ」
案の定、キリルはあっさりとした返答を寄越してくる。さらに不安を煽られたオリヴァーは説得を試みようとしたのだが、その前にキリルが言葉を重ねてきた。
「お前、確か婚約解消してただろ。あれ、どうやってやるんだ?」
「え?」
キリルが意外なことを言い出したので、どうやって彼に言い聞かせようかと考えていたオリヴァーはキョトンとした。
「そんなこと聞いて、どうするんだ?」
「決まってんだろ? 婚約を解消すんだよ」
キリルは現在、婚約を解消するかどうかで家人と揉めている。そのためにオリヴァーの所に身を寄せているのだが、その問題を解決するために動き出そうとしているようだ。それも全ては葵のためであり、もはやキリルを思い止まらせることなど出来ないのだと察したオリヴァーは説得を諦めて、全面的に協力することにした。
「俺の場合はまず家族を説得して、それから相手の家に謝りに行った。理由が理由だったからな、かなり立腹されてたけど、相手が公爵家じゃなかったから、なんとか丸く収まったって感じだ」
「理由って何だ?」
「それは……まあ、昔のことだ。そんなことより、母親は説得出来そうなのか?」
キリルの母もやはり貴族の出身で、現在のエクランド公爵と婚約を経て結婚をしたのだと聞いている。婚約解消に反対しているのも別段葵が気に入らないというわけではなく、貴族には貴族らしい結婚をしてもらいたいと思っているからなのだろう。オリヴァーの母親もそうだったので、そういった考えを持つ人物を説得することがどれだけ難しいか、よく分かっていた。エクランド夫人の説得もやはり難しいようで、キリルは渋い表情になって首を振る。
「絶対ダメだって言われた」
「まあ、キルの場合はな。兄姉がそういった結婚をしてきてるわけだし、認めてもらうのは難しいかもしれないな」
「どうすりゃいい?」
切実に尋ねられたため、オリヴァーは眉根を寄せて空を仰いだ。
「俺は、アルヴァさんが言ってたことも一理あると思う」
「あのヤロウの肩持つのかよ」
「まあ、聞けよ」
アルヴァの名前を出したことでムッとしてしまったキリルを制し、オリヴァーは話を続けた。
アステルダム分校の校医であるアルヴァ=アロースミスは、エクランドの本邸で、婚約を解消したいというのはキリルが葵と恋人同士になってから言うべき科白だと言っていた。オリヴァーにはそれが正論に聞こえたし、もし二人が恋人同士なら、キリルの母親の態度も変わってくるだろう。我が子の幸せを願わない親などいないからだ。
「でも現実問題として、アオイを振り向かせるのは簡単なことじゃない。焦って強引に迫るのは良くないからな?」
それだけは覚えておいて欲しいとオリヴァーが念を押すと、キリルは素直に頷いて見せた。過去にそれで失敗しているので、彼はそのことを教訓としたのだろう。大した進歩だとオリヴァーが関心していると、キリルが不意に腑に落ちないような表情を作った。
「お前、結局今のままでいいって言ってんのか?」
キリルに結論を尋ねられたため、オリヴァーは自分の意見を思い返してみた。確かに今までの話だと、婚約は継続したまま葵を口説くのがいいという結論になってしまう。しかしキリルは、葵が生まれ育った世界に帰る時には着いて行くつもりなのだ。それがいつのことになるかは分からないが、どのみち婚約は早く解消するに越したことはないだろう。
「アオイに着いて行くつもりだっていうのは家族に言ったのか?」
「まだ言ってねぇ」
「だったら、まずはそれをハーヴェイさんに話してみろよ」
オリヴァーがハーヴェイの名を持ち出したのは彼がエクランド家の次期当主であり、キリルの気持ちに好意的な見解を示していたからだ。どこまで協力してくれるかは分からないが、ハーヴェイを味方にすることが出来れば、他の家人を説得する時にかなり有利になるだろう。そういったオリヴァーの意見を聞くと、キリルはさっそく席を立った。
「帰る」
「頑張れ」
席に着いたままヒラヒラと手を振ると、キリルは力強く頷いて見せてから転移魔法で姿を消した。シエル・ガーデンに一人で残ったオリヴァーは冷めた紅茶を一口だけ含み、ティーカップを置く。
「アン・テ」
紅茶を淹れる呪文を唱えると茶器が動き出し、新たなカップに熱い紅茶を注いだ。その様子を見るとはなしに眺めながら、オリヴァーは頬杖をつく。勢い込んで実家に帰って行ったキリルのことを考えていると、エクランドの本邸でハーヴェイが言っていたことが蘇った。
キリルの葵に対する気持ちは、初めは魔法が歪められて生じた執着だった。だから初めのうちは相手の気持ちなどまったく考えていなかったが、今のキリルは違う。自分の意見を譲らないところは相変わらずだが、キリルはちゃんと葵の気持ちも考えて行動しているのだ。彼がそんな風に変わったからこそ、オリヴァーはこの恋が成就してくれればいいのにと本心で願っていた。
(ウィルは、どうなんだろうな)
葵が欲しいと言ってキリルと張り合ってはいるが、彼は本当に葵のことが好きなのだろうか。そう勘繰ってしまうのはウィルが今まで女の子に関心を抱いたことがないということと、彼が葵のことを好きだと言い出したタイミングに引っかかるものがあるからだった。
(アロースミス姉弟にユアン様、それに王室……)
葵を取り巻く人々は
(一度、ちゃんと話を聞いておくべきかもしれないな)
ウィルにはお節介だと煙たがられるだろうが、葵が絡んでいる以上、やはり話は聞いておくべきだろう。そう思ったオリヴァーはウィルとの通信を試みたのだが、気ままな彼とは相変わらず連絡がつかなかった。
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