恋愛のカタチ

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 パンテノンでの買物を終えた後、送って行くというウィルの申し出を断って、葵は徒歩で帰宅した。街から屋敷まではかなり時間がかかるため、帰り着いた頃には辺りが暗くなっていて、しかもエントランスホールではクレアとアルヴァが待ち構えていた。

「どこ行っとったんや」

 葵の姿を見るなり、クレアは仁王立ちのまま怒気を孕んだ声を投げてきた。彼女が怒っているのは、調子が悪いと言って学園を休んだくせに葵が出歩いていたからだろう。予測し得る事態ではあったが、どう答えていいのか分からず、葵は無言のままに俯いた。

「とりあえず、ミヤジマの寝室に行こうか」

 何故かクレアと一緒にいたアルヴァが容喙してきたため、その場は何も答えずに流すことが出来た。しかし寝室に移動すると、アルヴァが改めてクレアと同じ質問を投げかけてくる。二人がかりで問い詰められ、答えに窮した葵は仕方なく、本当のことを話すことにした。

「ちょっと約束があって……」

 この返答に、クレアがさらに怒り出してしまった。体の調子が悪いのに何を考えているのかと詰られ、返す言葉もなかった葵は再び沈黙する。

「もうエエわ! もう知らん!」

 無言でいる葵に痺れを切らせたクレアは、そう叫ぶと部屋を出て行ってしまった。荒々しく閉ざされた扉の音が、耳の奥でいつまでも谺している。ベッドに腰かけている葵は太腿の上できつく手を握った。

「……ミヤジマ、」

 しばらくの静寂の後、アルヴァが声をかけてきた。顔を上げられずにいると彼は隣に腰を下ろし、ゆっくりと言葉を続ける。

「今朝、ひどい顔をしていたんだって? クレアは心配して、学園まで僕を呼びに来たんだよ」

 だがアルヴァと一緒に帰ってみれば、屋敷にいるはずの葵がいない。また行方不明になるような何かがあったのではないかと、葵が戻って来るまでクレアはずっと心配してくれていたらしい。彼女が怒るのは無理もないとアルヴァに言われ、葵もその通りだと思った。

「無理を押してまで、どこに行っていたんだ?」

 きちんと話せば、クレアはきっと分かってくれる。そのことも重々承知していたが、それでも葵は口を開くことが出来なかった。事情を話してしまえばクレアやアルヴァは許してくれるだろうが、代わりに全てが終わる。

(話せない)

 だが、このままだんまりを続けていればクレアだけでなく、アルヴァにも見放されてしまうかもしれない。親しい人達が離れていってしまうのは身を切るように辛く、悲しい。

 俯いたまま閉口していると、やがて隣から嘆息が聞こえてきた。それが別れの宣告のように聞こえた葵はビクリと体を震わせる。しかしアルヴァは立ち去ることはなく、硬く握られている葵の拳に自身の手を重ねてきた。

「手が白くなっている。ゆっくり、力を抜いて」

 張り詰めていた心にアルヴァの言動は優しすぎて、涙が零れてしまった。涙の雫がちょうどアルヴァの手の上に落ちたため、彼も葵が泣いていることに気がついたのだろう。優しく頭を引き寄せられてしまってはもう我慢がならず、葵はアルヴァに縋って泣いた。

「……ありがと」

 アルヴァの胸を借りて思い切り泣いた後、葵は礼を言いながら重い頭を引き上げた。問題が何一つ解決したわけではないが、泣かせてもらったおかげで気持ちはだいぶ落ち着いた。今ならば話に応じられそうだと思った葵は鼻声で言葉を重ねる。

「今は何も話せない」

「ということは、何かがあったのは確実だってことだね?」

「……うん。でも、何も言えない」

「いつになったら話せそう?」

「分からないけど、そのうち嫌でも話すことになると思うから」

「微妙な言い方だね。体の不調もそれが原因なのか?」

「体は、大丈夫。気分は最悪だけど、どこも悪くはないよ」

「分かった。それなら、ミヤジマが話してくれるまで待つよ」

 宥めるように葵の背を軽く叩くと、アルヴァは立ち上がった。彼が帰ると言うので、葵も見送りのために寝室を後にする。途中でクレアに会ったら謝ろうと思っていたのだが、屋敷内で遭遇することはなかった。葵が何を気にしてキョロキョロしているのか察したようで、アルヴァは玄関戸の前で足を止める。

「ここでいいよ」

「あ、うん」

「今は事情を話せないにしても、そのことを話せばクレアは分かってくれると思う。ちゃんと仲直りしなよ?」

「……分かってる。心配かけて、ごめんね」

 目を伏せた葵の頭を軽く撫でると、アルヴァは笑顔で帰って行った。その背中が扉の向こう側に消えてしまうまで見送ってから、葵は踵を返す。向かう先はもちろん、二階にあるクレアの私室だ。

 葵とクレアが住んでいる屋敷はエントランスホールに階段があって、それを昇りきったところで東に行くと葵の寝室があり、西に行くとクレアが私室として使用している部屋がある。クレアの部屋の前に立った葵は扉をノックしてみたのだが、内部から反応は返って来なかった。扉に鍵などはついていないが、閉ざされたままの扉がクレアの心を表しているような気がして、葵は顔を歪めながらその場で話を始める。

「クレア……怒ってるよね?」

 室内まで声が届くかどうかは、分からない。それでも自分に出来るのは言葉を紡ぐことだけだと思い、葵は語りかけ続けた。

「嘘つくつもりじゃなかったんだけど、騙すようなことになってごめん。体はね、大丈夫だから」

 問題があるのは体ではなく心だ。しかし心にかかっている重圧が何なのか、今は話すことが出来ない。だが、そのうち絶対話すからと、葵は必死に訴えかけた。それでも室内はシンとしていて、クレアが扉を開けてくれるような気配はない。

「……許してぇ……」

 再び泣きそうになりながら扉に縋りつくと、背後から物音が聞こえてきた。慌てて振り返ってみると廊下の向こうからクレアがやって来るのが見えたので、葵はあ然とする。

「アオイ」

 私室の前にいる葵に気付くと、クレアは何事もなかったかのように何をしているのかと問いかけてきた。その途端、誰もいない室内に向かって話しかけていた自分がバカだったと実感して、葵は赤くなった顔を両手で覆った。

「恥ずかしすぎる……」

「何や? 何がどうしたんや」

 突然その場にしゃがみ込んだ葵を気遣って、クレアも腰を落とす。肩に手を置かれたため、葵は死にたいと胸中でぼやきながら顔を上げた。

「ごめんね。心配してくれて、ありがとう」

「……さっきのことやったら、うちも言い過ぎたわ。ごめんな」

「クレアが謝ることないよ。悪いのは私なんだから」

「話してくれる気になったっちゅーことか?」

「それは……まだ、言えない。でも、そのうち絶対話すから」

「分かったわ。ほんなら、待っとる」

 アルヴァと同じ科白で、クレアは許してくれた。過ぎたことは引きずらず、自分が悪いと思ったら潔く謝るという態度はいかにもクレアらしい。彼女のそうした態度にはこれまでも散々助けられてきたため、感極まった葵はクレアに抱きついた。

「クレアのそういうところ、すごく好き。許してくれて、ありがとう」

「なんや、便利な女っちゅーヤツになった気分やわ」

「そんなんじゃないって!」

「分かっとるから、耳元でわめくんやない」

「あ、ごめん……」

 うるさいと言われてしまったため、葵はばつが悪く思いながら体を離した。クレアと目が合うと、彼女は小さく吹き出す。つられて葵も力の抜けた笑みを浮かべた。

「もう何も聞かんけど、食事はちゃんと取らんとあかん。これだけは絶対やで」

「うん、分かった」

「それと、マトもだいぶ心配しとったんやで。マトにも謝って欲しいわ」

「……そうなんだ」

 クレアが肩に乗せているマトを抱き上げたので、葵は差し出された彼の体を受け取った。マトと触れ合うと、その思考が直接的に伝わってくる。クレアの言うように、元気がないことをだいぶ心配してくれていたようだ。マトを抱きしめながら、葵は彼にも深謝と感謝の念を伝えた。

「よし、飯にするで」

 頃合を見計らってマトを引き受けたクレアが立ち上がったので、葵も笑顔で頷いて廊下を歩き出した彼女の後を追いかけた。






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