世界の壁を越えて

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 バラージュの姿が室内から失われると、地に足を着いたユアンはまず葵を振り返った。

「彼の知識は受け継いだから。情報を整理するのに少し時間がかかるかもしれないけど、もうすぐ帰れるよ」

「ほ、本当に?」

「うん。任せてよ」

 自身の胸を叩いて見せたユアンの姿は頼もしく、葵は徐々に歓喜を感じ始めた。小刻みに震えている葵の肩に、クレアがポンと手を置く。

「やったなぁ」

「嬉しすぎて、何言っていいのか分かんない」

「今は素直に喜んどけばエエんや」

 葵とクレアがそんな会話をしているうちに、ユアンはウィルに目を向けた。二人が会話している声が聞こえてきたので、葵もいったん喜びを収めてそちらに意識を向ける。ユアンとウィルはどうやら、英霊の譲渡ということについて話をしているようだった。すぐに話はまとまったらしく、ユアンは再び葵に目を向けてくる。

「僕達はこれから儀式をしてくるけど、アオイ達はどうする?」

「儀式?」

「バラージュは今、ウィルと盟約を結んでいる状態なんだ。それを解除して、バラージュがもう英霊として呼び出されることがないようにする。そういう儀式」

「そっかぁ。じゃあ私はシュシュの所に行こうかな」

「是非、行ってあげて。アオイに会いたがってたから」

 ユアンはニコリと笑うと自分も後で行くからと付け足して、葵から視線を外した。

「レイとアルは僕と一緒に来てね」

 ユアンがレイチェルやアルヴァに話しかけたのを機に、葵はクレアに視線を転じる。

「クレアも一緒に行こうよ」

「シュシュって誰や?」

「ああ、王女様のことだよ」

「フェアレディ、かいな……」

 普段は即決することが多いクレアだが、フェアレディと聞くと珍しく躊躇を見せた。それは至って普通の反応だったのだが、その感覚が分からなかった葵は首を傾げる。

「嫌?」

「イヤやなんて恐れ多いわ。せやけど、うちが行くのも恐縮や。どう返事したええのか分からへん」

「クレア、そんなに畏まらなくても大丈夫だよ。アオイ、皆を連れて行ってあげて」

 話を聞いていたらしいユアンはクレアと葵にそう言い置くと、ウィル・レイチェル・アルヴァの三人を連れて研究室を出て行った。室内に残っていて態度を決めていないのは後一人だけだったので、葵は無言を貫いているハルに目を向ける。

「ユアンも皆でって言ってたし、ハルも行かない?」

「オリヴァーとキルは?」

「そういえば……まだ外にいるのかな?」

 途中で退出したオリヴァーとキリルの姿を求めて、葵達も研究室を後にした。部屋を出るとすぐ二人の姿が目に入ったので、そちらへ寄る。オリヴァーが宥めてくれていたのか、キリルはもう興奮していなかった。

「今からシュシュの所に行くんだけど、一緒に行かない?」

「ああ、ユアン様に聞いた。キル、ハル、失礼なことしないように気をつけてくれよ」

 どうやら一緒に行くことはすでに確定しているようで、オリヴァーは不安げな顔をしてキリルとハルに念を押した。オリヴァーの緊張が伝わったのか、クレアまでもが少し身を硬くする。そんなに緊張しなくてもと思いながら、葵は彼らを連れて王女の部屋へと向かった。

 王女の私室をノックすると、室内から姿を現したのはメイドだった。フェアレディは屋上庭園にいると聞き、葵達はさらに階段を上る。屋上に出ると、そこではすでに茶会の準備が整っていた。王女であるシャルロットはテーブルを前に座していたのだが、葵の姿を見ると椅子から下りて歩み寄って来る。無言で抱きついてきたシャルロットを、葵は笑みでもって迎えた。

「元気だった?」

 あまり口数が多い方ではないシャルロットは頷いて見せただけだったが、歓迎してくれていることは態度で分かる。そのため自然とシャルロットの頭を撫でたのだが、その行動が同行者達にひどく驚かれてしまった。後からやって来たローデリックが、あ然としている者達を見て咳払いをする。

「ミヤジマ=アオイ、こちらの者達は?」

「ああ、友達です。ユアンが皆で一緒にって言ってたので一緒に来ました」

「ユアン様は御一緒ではないのか?」

「後で来るって言ってました」

 そこでローデリックとの会話を切り上げると、葵はまずシャルロットとローデリックに同行者達を紹介した。その後でシャルロットとローデリックのことを紹介したのだが、同行者達は一様に固まっていて極端に口数が少なくなってしまっている。そのため会話がちっとも弾まず、その状態はユアン達が屋上庭園に姿を現すまで続いた。

「レイ、なんだか空気が重いよ」

「それでしたら、ユアン様がほぐして差し上げればよろしいのではないかと」

 ユアンとレイチェルがいつもの調子でやって来たので、何とか場を取り成そうとしていた葵はホッとした。

「あれ? アルとウィルは?」

「ウィルは傷を治すからって、アルが連れて行った」

 葵の疑問に答えながらシャルロットの傍に歩み寄ったユアンは、まず彼女の頬に再会を喜ぶ口づけをして見せた。シャルロットもユアンが相手だと、花が咲いたような笑みを浮かべる。お似合いだと思ったのは、きっと葵だけではないだろう。

「クレア、紅茶を淹れてくれる?」

「はい。皆様の分も淹れなおしますね」

 ユアンに使われることによって平常を取り戻したのか、席を立ったクレアはテキパキと動き始めた。またユアンが積極的に話を振っていったりもしたので、マジスター達も次第に緊張を和らげていく。誰にも無理をさせずに場を取り成したユアンを、葵は純粋に凄いと思った。

(人を使うってこういうことなんだ)

 以前にアルヴァが言っていたのだが、ユアンの宿命は人を使うことであるらしい。彼はきっと、いい王様になれるだろう。その姿を見ることは出来ないけれどと思うと、葵は胸に微かな痛みを覚えた。

(……何だろう)

 何に痛みを感じたのかはよく分からなかったが、話が自分のことに及んだのでそちらに集中することにした。先程の研究室での出来事を、ユアンがシャルロットとローデリックに報告している。葵が間もなく元の世界に帰れるのだと知ると、シャルロットが不意に席を立った。傍に来たシャルロットが抱きついてきたので、葵は目を瞬かせる。

「どうし……」

「行かないで」

 問いかけた葵の声を遮って、シャルロットはいつになく強い口調で胸中を明かした。答えにくいことを言われた葵は困ってしまい、助けを求めてユアンに視線を送る。ユアンも席を立ち、葵達の元へとやって来た。

「僕はシュシュのためならどんな願いでも叶えてあげたい。でも、それだけは出来ないんだ」

「だって、会えなくなってしまうから……」

「うん、寂しいね。僕も、この場にいる人達も皆、アオイと会えなくなったら悲しいよ。でもね、アオイは異世界に大切な人がいるんだ。シュシュだって陛下や王妃様と会えなくなったら悲しいし、とても寂しいでしょう?」

 この世界に留まっている以上、葵は家族や友人と会えない悲しみを抱え続けなければならない。ユアンが優しく言い聞かせると、シャルロットは泣きそうになりながらも葵から離れた。俯いてしまったシャルロットの頭を、葵はそっと撫でる。

「ごめんね。ありがとう」

「会えなくなっても、友達?」

「どこにいたって友達は友達だよ。それに、ほら。ここにいる人達はもうみんな友達だから」

 話をして親しくなれば、それはもう友達である。葵はその程度のノリで言ったのだが、クレアとマジスター達はギョッとしていた。しかしユアンが葵の意見に賛成したので、友達になろうという話はとんとん拍子に進んでいく。

「そうだ、シュシュ。親睦を深めるためにパーティーをしようよ。ヴィジトゥール達も招待して、盛大に」

「あ、それいい!」

 葵がはしゃいだ声を上げるとユアンは得意顔で胸を張った。

「でしょ? みんなも参加してくれるよね?」

 貴族達にとってユアンの『お誘い』は命令に近しい威力を持っていて、反対意見はどこからも出てこない。さらに話が進んだ結果、親睦会は夏を迎えた日の夜に行われることが、この場でほぼ決定したのだった。






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