王城で英霊を譲渡するための儀式が終わった後、アルヴァはウィルだけを連れて職場に戻って来ていた。王立の名門校であるトリニスタン魔法学園のアステルダム分校、その校舎一階にある保健室がアルヴァの仕事場である。ウィルを簡易ベッドに座らせると、アルヴァは白衣に袖を通しながら薬品棚へと向かった。
「傷は深いの?」
「口の中が切れてて痛いのと、あとは頬が腫れてるくらいだよ」
「まるで誰かに殴られたような症状だな」
薬瓶を手にしながらベッドに寄ると、ウィルはあっさりと殴られた傷跡であることを明かした。本当に殴られたのだとは思っていなかったため、アルヴァは意外に思いながら湿布を剥がしてみる。本人が言っていた通り、確かにウィルの頬は腫れていた。
「マジスター同士でケンカでもしたのか?」
「応酬がないとケンカとは言わないよね? だったら、ケンカじゃないよ」
一方的な暴力だと
「そのくらいの傷、自分で何とか出来ただろう。何故、放っておいた?」
「放っておけばあなたが手当てしてくれるだろうと思ったから」
「そんな回りくどい真似をしなくても、話があるのならそう言えばいいだろう」
「僕が来ると煩わしがるくせに。よく言うよ」
「……まあ、いい。僕も君に話があったからね」
このままでは埒が明かないと思ったアルヴァは雑談を切り上げ、さっさと本題に入ることにした。薬はすぐに効いたようで、ウィルも頬を気にすることなく話に応じる。
「あなたが何を言いたいのか、分かってるよ」
「なら、そのまま話を続けてくれ」
「さっきは言わなかったけど、バラージュを探すのにスミンとユーリーに協力してもらった」
「それは僕が助力を頼むより以前のことだな?」
「そうだよ」
「何故、隠した?」
「都合が悪かったから」
「その理由を訊いてるんだ」
英霊を譲渡する儀式を行うにあたって、ウィルは素直にユアンからの質問に応じていた。しかしどうやってバラージュを英霊としたかということは話しても、いつ英霊としたのかは言わなかったのだ。黙っていたのには相応の理由があるはずであり、アルヴァにはそれが、葵が気落ちしていたことと無関係だとは思えなかったのだ。そうした切り口から問い詰めると、ウィルはアッサリと隠し事を白状した。
「実はアオイに、バラージュを召喚して欲しかったら結婚しろって言ったんだよね」
「……今、何て?」
「結婚。アオイはユアン=S=フロックハートに溺愛されてるし、レイチェル=アロースミスやあなたにも大切にされてる。彼女と結婚するとメリットが大きかったんだよね」
「つまり、後ろ盾を得るためにミヤジマを利用しようとしたのか?」
「まあ、平たく言うとね」
「……最低だ」
脅迫して結婚を迫るなど男として……いや、人間として最低だ。しかもその理由が我欲のためだったなど、言語道断もいいところである。涙ながらに縋ってきた葵の姿が思い出されて、アルヴァはウィルを殴ってやりたいと思った。
「そのせいでミヤジマがどれだけ苦しんでいたか、お前は知っているのか」
「感情的になるところを見ると、あの話は本当だったみたいだね」
「何のことだ」
「あなたがアオイを愛してるらしい、ってこと」
ウィルが不敵に微笑んだので、アルヴァはまんまと乗せられてしまったことを察した。冷静になるよう自分に言い聞かせ、感情を鎮めたアルヴァはため息を吐き出す。
「もしかして、結婚の話は嘘なのか?」
「さあ、どうだろうね? それよりさ、あなたもキルみたいに着いて行く気なの?」
ウィルにそう言われた時、アルヴァの脳裏にはバラージュに食ってかかったキリルの姿が蘇っていた。あれは感情的に動ける者の特権であり、アルヴァやウィルのように感情だけでは動けない者には真似することが出来ない。お互い同じタイプの人間であることは承知しているので、ウィルには答えずとも分かるだろう。そう思ったアルヴァが黙ったままでいると、ウィルは沈黙を答えとしたようだった。
「やっぱりあなたも、バカにはなれないんだね」
「キリル=エクランドも
「行かせない、ってこと?」
「あの愚直なお坊ちゃんはもっと視野を広くするべきだ。着いて行ったらミヤジマが迷惑するって、何故分からないんだろう」
「それはキルが、あなたみたいに余計なことを考えすぎないからだよ。アオイには着いて来るなって言う権利があるだろうけど、それをあなたが言う権利はないと思うよ? 今はまだ、ね」
「……何が言いたい?」
ウィルの言葉がやたら棘張っていたので、アルヴァは眉根を寄せた。それまでヘラヘラと笑っていたウィルは急に真顔に戻り、核心に触れてくる。
「ただ傍にいられればいい、そんなのは欺瞞だよ。自分だけ嫌われないよう上手く振る舞って、あなたは僕以上に最低の卑怯者だね」
強い口調で辛辣なことを言うと、話はそれだけだと言ってウィルは帰って行った。一人きりになってからもしばらくポカンとしていたアルヴァは、ややあってから考えを巡らせ始める。
(彼は一体、何を言いたかったんだ?)
何故ウィルに、卑怯者だと罵られなければならなかったのだろう。しかしいくら考えを巡らせてみても眉間のシワが深くなっただけで、アルヴァには答えを見出すことが出来なかった。
「アルとウィル、けっきょく戻って来なかったね」
フェアレディの私室を辞去した後、葵は隣を歩くクレアと話をしながら転移の魔法陣が描かれている場所に向かっていた。二人の後方にはキリル・ハル・オリヴァーの三人が歩いているが、ユアンとレイチェルは一緒ではない。彼らは先程決まったパーティーの準備をするのだと言って、さっそく行動を開始したのだ。
「アルとウィルはどうでもエエわ。それよりアオイ、おたくが無茶なこと言いよるから心臓に悪かったわ」
「無茶なこと?」
何か言っただろうかと記憶の糸を辿っていると、クレアは友達宣言のことだと付け加えた。そのことかと納得した葵は今更ながらにクレアの顔色を窺う。
「無茶なこと……だった?」
「ほんま、無茶振りもエエとこや。フェアレディと友達やなんて、恐れ多いっちゅーねん」
「でもさぁ、シュシュだってユアンと似たようなものでしょ?」
今は一国民でしかないが、ユアンもやがてはロイヤル・ファミリーの一員になるのである。シャルロットの場合は初めから王女様だが、二人は夫婦になるのだから同じことだ。葵がそう言うとクレアは納得したようだったが、それでもまだ割り切れない思いがあるらしく、眉根を寄せて空を仰いでいる。しかし主であるユアンにも友達になってあげて欲しいと言われているため、やがて考えるのを止めたようだった。
「まあ、なるようにしかならんわな。ここで考えててもしゃーないわ」
「そうだよ。無理にとは言わないけど、シュシュも友達が欲しいみたいだったし、出来れば友達になってくれると嬉しいな」
そんな話をしているうちに目的の場所に着いたので、葵は微笑みながら話を切り上げた。クレアに笑みを向けた時のままマジスター達を振り返ったのだが、キリルと目が合うと自然と口角が下がっていく。研究室での一件があるので少し、気まずかった。
(やっぱり、ちゃんと話しないとダメだよね)
キリルが着いて来るつもりでいることは
「訊こう訊こうと思っとったんやけど、おたく、その頬どうしたんや?」
クレアが指摘しているのを聞いたことで改めて、葵もキリルの頬に意識を向けた。ウィルと同じくキリルも頬に怪我をしていて、湿布を貼っているのだ。
「何でもねぇよ」
触れられたくないことだったのか、キリルはムスッとして答えるとさっさと姿を消してしまった。そのためクレアの矛先がオリヴァーに移る。しかし苦笑いを浮かべているオリヴァーは肩を竦めただけで口を開こうとしなかったので、この時は結局、キリルの怪我の原因は分からずじまいだった。
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